★お気楽日記★

アリとキリギリスでは断然キリギリスです。 うさぎとかめなら、確実にうさぎです。 でも跳ねる趣味はありません。

「絢爛豪華 祝祭音楽劇 天保十二年のシェイクスピア」の感想③(シーンごと)

だらだら駄文の防備録、その②からの続きです。

(三世次の発声について書き忘れました。声楽をされている方がSNSで「あの声(普段と違う声)で3時間通すとかいったいどんな声帯してるの?」と驚かれているのを見たのですが、ほんと一生さんは身体の作りが丈夫なんだと思います。今回の舞台も、喉の調子が悪いのかしらという回は私が観る限り全く無かったですし・・・。色々な点でとても努力されてらっしゃる方とは思いますが、身体の丈夫さは親御さんに感謝ですね)

 

4.赤ん坊と陰謀は女の陰部から生まれる

2つの箱をまた動かして、お文夫婦の家とお里夫婦の部屋を表現。

二組とも夫婦で炬燵に入っていて、お文のところにはぼろをまとった十兵衛が隠居所(掘立小屋)の寒さを訴えに来ている。お里に500文を放り投げられ「金を恵んでもらいにきたのじゃない」「じゃあ返してもらおうか」十兵衛、慌てて500文を足で押さえる、というコメディな感じですが、十兵衛の凋落なかなかキツい。自業自得だけど。(この部分が「アテネのタイモン」だとか)

(この間、お里は炬燵で蜜柑を食べまくり、夫の花平に肩を揉ませている、跡取り娘と婿の感じ)

「お里のところでもお行き」と十兵衛を追い出した後、お文夫婦もお里夫婦も同じく「手をこまねいていないで相手を潰そう」と妻が夫を焚きつけるが、夫は今のままでいいじゃないかと乗ってこない。(ここのお文とお里の台詞が呼応しているのも面白いし、最後、夫に「勝手におし」というのもハモっていて姉妹が似た者同士感が出ていました。夫たちが妻たちほど「あったまってくらあ」の台詞と手ぬぐい肩に乗せる動作がそろわないのは妻たちとの比較でわざとかしら?)

夫が風呂に行き、残された妻たちは「あの男はもうだめ、別の馬に乗り換えよう」と言って、カサカキ(皮膚病、梅毒)の歌(似た者同士が似た者を恨むという歌)を姉妹でデュエットします。この曲もかっこよくて好きです。東宝さん、サントラを・・・。

歌い終わるとそれぞれの愛人が「姐さん、呼びましたか」と入ってきます。お文のところには夫の弟の蝮の九郎治(「ハムレット」のクローディアスのもじり)、お里のところには用心棒の尾瀬の幕兵衛(オセロー+マクベス)。九郎治役は紋太役と二役なので、きっと裏では演じている阿部さんの早変わりが・・・。

馬を乗り換えることにしたお文お里姉妹、また息がぴったりで、お互いに愛人に「この前みたいに抱いて」と言い、愛人に「バレたらやばい」とひるまれると、「どうやら亭主が勘付いたらしい、先手を打ってうちの亭主を殺っておくれ、汚い手を使うからこそ男らしく今後も成功する、殺ったのは幕兵衛だ(九郎治だ)と敵方の名前を出せばばれっこないから大丈夫」と全く同じ発想をして愛人をそそのかします。

湯屋から帰ってきた紋太(影武者が顔を隠して演技)に九郎治が刀を突き立て、お文は「花平一家の用心棒、尾瀬の幕兵衛にうちの人がやられちまった」と叫びながら血を浴びないよう炬燵の布団を紋太の死体にかぶせて刀を抜き、九郎治に渡し九郎治は逃げます。(9日マチネは刀が鞘にすっと入らず、抜き身で部屋から出て行った九郎治さんでした(笑))(王の弟が王を殺害し、王妃をモノにするのが「ハムレット」)

お里の方でも幕兵衛が、障子の前で湯屋から戻る花平を待ち構え、入ってきた人物を「バッサーニオ!」(「ベニスの商人」の登場人物名)と言って斬りつけると、それはお文のところからやっとたどり着いた十兵衛でした。(上手の端の席になった時、十兵衛がセットの影をよたよた歩いているのが見えました。あまり見えない裏でもちゃんとお芝居されてるんですね)

「なんだい、おとっつぁんじゃないか」とがっかりしてお里が言うのに、十兵衛は、やっとたどり着いたらばっさりやられて、あげくに「なんだい、おとっつぁんじゃないか」と言われて、と文句を言いながらお光に悪いことをしたと言って死にます。(戯曲ではこれで死ぬのですが、今回の舞台では、駆けつけた花平が驚いて「誰がこんなことを?」と言うのに、必死に幕兵衛とお里を指さして(ただし花平気付かず)笑いを取って死にました)

 

5.老婆は一日にして成らず

暗転して箱を撤収、閻魔堂の扉やら草などを配置。この辺りのセットチェンジがスムーズでダレません。(スタッフの方々が時代ものの格好で雰囲気を壊さないように芝居している背景でセットチェンジしたり、アンサンブルの方たちが小道具運んだり)

幕兵衛が釣りをしているところに紋太一家の若い衆が4人位襲いかかる。しかし幕兵衛は剣術の達人で、お前たちの親分をやったのは俺ではないと、刀をかわし釣り糸で若い衆二人の耳と鼻をつり上げ斬り落とし(釣竿の先に耳と鼻がぶら下がる。コメディタッチ)他の一人の足に刀を串刺し、若い衆たちは戦意を喪失して逃げる。

その時閻魔堂の扉が開き、中から杖をついた怪しい老婆が出てきて「幕兵衛ばんざーい!あんたはこの清滝の花平一家の親分になんなさる」と予言します。(「マクベス」の魔女の予言が元ネタ)

何故そんなことがわかるのか聞く幕兵衛に、これだけ年をとって何億という人間の生きざま死にざまに立ちあってくると見えてくる、老婆は一日にしてならずさ、と(観客の笑いを取る)老婆。幕兵衛が斬りつけても杖が切れただけで身体は無傷。

気味の悪い老婆を恐れ、幕兵衛退場。

入れ違いに上手から三世次がやってきて、老婆の神通力に驚きながら、とすると今の予言も当たるのかもしれない、幕兵衛の腕には、やくざのやたら剣法では歯が立たないだろうから、自分は幕兵衛方について弱い紋太一家を片付ける手伝いをする、と見せかけて、幕兵衛の心の中にこっそり種をまこうと独白します。

「強い幕兵衛がやがて自滅するに違いない、災いの種を、(ウインク)な」・・・なんでそこ、ウインクしました!???? 誰に向けて!?(観客にサービス?)なんでそこで急にチャーミングなの?みよたん!!!!一生さんウインクの練習したんですの???

と、イセクラみんながストーリーが頭からすっとぶウインクをかましたところで「婆さん、俺の行き先も占っちゃくれねぇだろうか」と閻魔堂に呼びかける三世次。(あーあ、これがみよたんの運の尽きでした・・・)

断ろうと顔を出した老婆は、三世次の顔を見て驚くと、三世次の運勢は根岸肥前守静衛と同じだと予言する。その男は、生まれは宮大工だったが金を貯め絹商人になり、商売が当たってそのお金で御家人株を買って、とんとん拍子に江戸南町奉行になったという。

あまりに大きな予言を言われて「大工だからとんとんとーんの大出世か。くだらねぇごろ合わせだ」と呆れて冷笑する三世次。(このとんとんとーんの動作(トンカチで打つ)は後におさちとの場面で繰り返されることになる)

老婆は、正真正銘の史実だ、まずおまえさんはこの清滝宿を一手に握る、その代わりここは血糊でべたべたになるがと予言、三世次はおれの血が流れねえんなら構わねぇと言うと、その先は出世街道まっしぐら、老中にも手が届きそうだと言った後、「ただし、女が鬼門だね」と付け加えると、「女?このおれがか?」と三世次がそこですっと醒める。もうね、今までいかに三世次が非モテだったかという・・・・。

「一人で二人、二人で一人の女だよ。もしもそんな女と深間にはまったら畳の上じゃ往生できないよ」という老婆の予言はほんと三世次を破滅させる予言でした。可哀想なみよたん。深間にはまるということは、女性と相思相愛になって熱烈に愛しあうわけだけど、自己肯定感が低くて自分を好きになる女性がいるなんてありえないと思っている三世次としては、一人で二人の女というのもありえないし、女性と相思相愛もありえない、まあくだらねぇ予言だなとこの時点では思ったと思う。(一生さんの三世次は、女性との恋愛に対しての諦観と、一方で愛して欲しいと渇望してる三世次。この新解釈は二幕での客席いじりの場面で、戯曲の描写を全く違うものにしていました。また、この後、この予言について毎回三世次は「惚れちゃいけねぇ」と相思相愛じゃなく自分が惚れるって表現するのも、可哀想な感じ)

そんな風に動揺している隙に老婆が消えてしまい、驚いて三世次は辺りを探すところで暗転。

 

6.大事の前の障子

雨の中、障子の向こうで情事が行われている影が写り、その障子からお里が夜具を羽織って出てきて幕兵衛を呼び込み、幕兵衛が障子の向こうに踏み入ると、驚く花平の影とそれに斬りつける幕兵衛の影と障子に飛ぶ血糊、ここまで台詞は無く、効果音のみ。

障子の影から出てきた幕兵衛は「恩人を殺ってしまった」と嘆く。「料理に使う鳥にしてもそれを殺す季節というものがあるのにな」はシェイクスピアの何かの作品の台詞のもじりらしいです。

「もう眠れないぞ幕兵衛。幕兵衛は眠りを殺した」「爪と肉との間にこびりついた血が手水鉢の水で洗い流せるだろうか(海の水でも洗い流せず真っ赤になるだけ)」という台詞は「マクベス」から。

お里が、(あんたは)あたしの体とこの一家を手に入れた、これからはあんた以外の男に体を味あわせないからとなだめていると、ドンドンと扉を叩く音がして、ぎくりとする二人。

「――だれだい?」というお里の問い掛けに入ってきたのは三世次で(この出方がたまに可愛い時がありました。顔だけひゅっとだして)「おぁよーござぁまーす」と例の投げやり感のある言い方で入ってくるので、観客に笑いが起きました。

そして、花平一家の身内に加えてほしいこと、自分のひとことで紋太一家に悶着が起きるから、そこに殴り込みをかければ簡単に清滝が手に入ることなどを一気にまくしたてます。(次に「口が達者」と言われるから、絶対に噛まずに早口でまくし立てないといけない台詞)

「いやに口が達者じゃないか」とお里に言われ、「神様は依怙贔屓のないお方、あっしの体を手抜きでこしらえた分だけ、口を念入りに作って下さいました。達者口。これがあっしのたったひとつの得物でしてね」と答える三世次。

(最初の戯曲では口を上等に作った代わりに背中や足や顔を手を抜いたという話順になっていました。体の不自由さのコンプレックスはこの方が強く出るけど、わかりやすい話順は蜷川版以降の、体が手抜きだけど口は、の方ですね)

しゃべり方と相まって、三世次の卑屈感と哀しさが出る台詞でした。

それでもお里が、三世次のひとことで紋太一家が揉めたりするだろうかと疑うと、ここで三世次は「ことば、ことば、ことば」の歌を歌います。(ことば、ことば、ことば、は「ハムレット」の中の台詞)

「ことばには毒がある」と言って、愛妻家に妻の浮気を疑わせて殺させたり、主君に忠義な侍を不忠者と言われたと思わせて切腹させたり、不器量ものをよく見りゃ美人と言って惚れさせるという内容の歌で、後々幕兵衛とお里の無理心中、(ちょっと無理があるけど)忠義者だった河岸安を不忠(親分の妻を寝とった)として死に追いやる、醜いと言われていた三世次が「俺は案外醜くないのか?」と思わせたおさちにつながる歌詞だと思いました。(三世次は知らずに?歌っていますが)

三世次はこの歌を歌いながら、足が不自由なのに軽やかに、猿のように建物の二階に駆け上がって柱に抱きついたり(ポールダンス?)屋根にぶら下がったりして、オカンなイセクラがハラハラする場面です(笑)。

今回の三世次は小動物感あります。(というか、そもそも一生さんが小動物感ある人だから・・・)

そして、紋太一家の半纏を着た男たちが血刀を下げて出て行ったということを叫び、「こちらの新しい親分は剣術道場で修行をお積みなすった剣術つかい、そしてあっしは世の中というでっかい道場で修行を重ねた言葉つかい。剣術つかいと言葉つかい、いい組み合わせですよ」とお里と幕兵衛に言って「てぇへんだ、てぇへんだ!」と叫んで去っていきます。「でっかい道場」の言い方がほんと子供のようで可愛かったです。(それなのに「いい組み合わせですよ」の言い方は悪い人(笑))

 

その④に続きます。

(すでに感想ではなくほんと、各シーンの防備録になってきました。終わるのかしら、これ・・・)