★お気楽日記★

アリとキリギリスでは断然キリギリスです。 うさぎとかめなら、確実にうさぎです。 でも跳ねる趣味はありません。

「絢爛豪華 祝祭音楽劇 天保十二年のシェイクスピア」の感想①

2020年2月、日生劇場で上演された「絢爛豪華 祝祭音楽劇 天保十二年のシェイクスピア」を2/8(初日)、2/9マチネ、2/13マチネ、2/16マチネ(2階席)、2/20マチネ&ソワレ(GC席)2/23マチネ、2/24マチネ、2/27マチネ(事実上千秋楽)と観てまいりました。(本当は千秋楽と大阪も行くはずでした)

www.tohostage.com

<作品紹介>

シェイクスピア四大悲劇”として名高いリア王」「マクベス」「オセロー」「ハムレット
“世界中から愛される永遠のラブストーリー”ロミオとジュリエット
“野望に生きる異形の王”「リチャード三世」

発表から約400年、世界中で上演され続け、
現代演劇においても絶大な影響を与え続けるウィリアム・シェイクスピア全作を横糸に、
江戸末期の人気講談「天保水滸伝」を縦糸として織り込んだ井上ひさしの傑作戯曲。

 

<あらすじ>

 江戸の末期、天保年間。下総国清滝村の旅籠を取り仕切る鰤の十兵衛は、老境に入った自分の跡継ぎを決めるにあたり、三人の娘に対して父への孝養を一人ずつ問う。腹黒い長女・お文と次女・お里は美辞麗句を並べ立てて父親に取り入ろうとするが、父を真心から愛する三女・お光だけは、おべっかの言葉が出てこない。十兵衛の怒りにふれたお光は家を追い出されてしまう。

 月日は流れ、天保十二年。跡を継いだお文とお里が欲のままに骨肉の争いを繰り広げている中、醜い顔と身体、歪んだ心を持つ佐渡の三世次が現れる。謎の老婆のお告げに焚き付けられた三世次は、言葉巧みに人を操り、清滝村を手に入れる野望を抱くようになる。そこにお文の息子 ・きじるしの王次が父の死を知り、無念を晴らすために村に帰ってくる―。

 主役はみなさまの想像力。この争いの行く末はいかに・・・

 

(以上公演サイトから転載)

*************************

 というお話で、井上ひさしさんが天保水滸伝の時代背景に、シェイクスピア37作品をどこかに取り入れて書かれたすごい戯曲です。

主に使われているシェイクスピアの作品は、「リチャード三世」「マクベス」「ハムレット」「ロミオとジュリエット」「オセロー」などで、冒頭は「リア王」で始まります。井上さんの知識と言葉遊びが炸裂していて、猥雑でエネルギッシュな作品。

そもそもシェイクスピアもダジャレやシモネタ多いですし。

 

過去には有名なところで、2002年に上川隆也さんが主演の佐渡の三世次を演じた新感線版、2005年には唐沢寿明さんが三世次の、蜷川さん版が上演されています。

今回の演出は、蜷川さんの弟子の藤田俊太郎さんが演出、音楽は宮川彬良さんで、どのような演出になるのか、はたまた、過去は4時間の大作だったのを休憩込みで3時間35分という上演時間にどのように縮めるのか、蜷川版の時は戯曲を井上ひさし氏自ら改訂して削っていたのですが、亡くなられた今はどうなるのか楽しみにしていました。

結果として、一幕1時間40分、20分の休憩後、二幕1時間35分とするのに、場面は蜷川版から削らず、セリフをところどころ間引くことで短くしていました。また、舞台セットも人力で稼動する箱を建物に見立てることで場面転換を素早くし、かなりテンポが良くずっと惹きつけられる舞台でした。

 

さて、高橋一生さんの三世次。過去の三世次とはまた全く違って(新解釈で)、とってもとっても良かったです。(語彙力)

 

過去の作品は円盤でしか観ていないのですが、新感線版の三世次は悪人と言っても、おさち/お光に惚れてしまって、でも振られて予言通り死ななくてはならなかった可哀想な人、蜷川版はThe悪人でのしあがって権力と女を手に入れて(入れそこなって)最後成敗されるという三世次でしたが(一度の視聴なので浅い解釈です)、初日に一生さんの三世次を観た感想は

もう、ひたすら可愛い!!!

でした。(初日の三世次の可愛さは異常だった←その後は可愛さの割合が微調整に入った気がします)

つい、観ている方が「この子は悪くないの。このように生まれついて育ったら、こうなっちゃったから仕方ないの、責めないで」と、かばいたくなる三世次。

自分の計画通り争いが起こったのを屋根からニッコニコで見る三世次とか、こっちまでつられて微笑んでしまうくらい可愛い。(下では人が死んでるのに)

(醜いと言われる三世次だけど、歯並びが白くて綺麗で清潔感あるし、歯の見える笑顔が素敵。片頬の皮肉な笑いも好き。結局何でも好き)

 

三世次はリチャード三世がモデルで(佐渡=三世(サード)、三世次=三世)極悪人なのに可愛い??と思われるかもしれませんが、なんというか、無邪気に見えました。幼子が虫の羽を悪意なくむしったり、猫が鼠をおもちゃにして惨殺している感じです。

一生さんは役によって声の高さなどを変えるのですが、三世次は声を高めに、発声は投げやりというかたまに子供が駄々をこねているようなしゃべり方になったりで、そこから感じる三世次は「どこか子供っぽい」「自分の命も人の命も尊重すべきという感覚が無い」というキャラクターに思えました。

三世次がリチャード三世を投影したキャラクターということを考え合わせると、三世次の母親との関係は描写されていませんが、リチャード三世は醜いと母からも疎まれた人物設定なので、三世次も愛情を受けて育っていないのだろうなと感じます。

おさちのことも男女の惚れたでは無くて、人からの愛情が欲しかったんだろうなという三世次。

今までの三世次はちゃんと戯曲通りアラサーだけど、40歳になろうとしている一生さんが演じた三世次はティーンエイジャーに見えます。

ずっと不良少年が誰かに愛されたいと願っているような三世次。

だからラストが哀れでならない。

 

高橋一生に三世次をオファーしたら、そりゃそうなりますよね。

演じるキャラクターを愛し、ちょっとしたたたずまいにも、そのキャラクターが今まで背負ってきた人生を感じさせてしまう俳優、高橋一生ですから。

 

 

愛されなかったから自己肯定感が全く無い一方で、異常なまでに想像力、洞察力と言葉に長けたモンスター、三世次。(人を操るにはこれらが必要)

今回のポスタービジュアルで、三世次は十字架を背負っているのですが、これはキリストになぞらえているんだろうなと。(さらにグッズのTシャツにも十字架があしらわれていることから、今回のお芝居に十字架は大きなモチーフになっていると思われます)

初めに言葉ありき、ではありませんが、このお芝居の世界では言葉を握るものが神で、言葉を握っているものは狂言回しである百姓の隊長(隊長は狂言回しの役を離れて登場人物の一人にもなる)、予言をする老婆、そして言葉使いでありながら老婆の言葉に操られる三世次。人々の中では異端、異能であり、民衆に勝手に期待されもし、最後に神に見捨てられ(老婆に翻弄され)、人の罪を代表として背負って死を迎えるキリスト、三世次の生涯はキリストの受難劇のようなものなのかもしれません。

 

そしてこの作品のイメージは、メインキャラクターの王次も歌っている「二面性」。今回タイトルに「祝祭」と入っていますが、こんな登場人物ほぼ全員死ぬお話が「祝祭」?と思っていたのですが、「祝祭」の裏には虐げられた立場の「怒り」があるということのようです。

(天保十二年という年も歴史上、民衆の娯楽の弾圧と蜂起が起こった年らしい)

洋のシェイクスピアと和の天保水滸伝、行いは極悪人でありながら無邪気に見える三世次、単純でおバカに見えながらクレバーである(らしい)王次(藤田さん談。ここはちょっとまだよく見えていない私。決断が早いということでしょうか?)、伝法な口をきく女性でありながら誰よりも操が固くて一途なお光、貞淑な新妻と評されながらなかなかしたたかなおさち・・・キャラクターも二面性です。

 

そして宮川彬良さんの音楽の素晴らしさ。

どの曲も素敵で鼻歌で歌ってしまいます。

(三世次のブルース、カサカキ、王次の歌2つ、などなど)

サントラが欲しいです。

 

また、ヘアメイクと衣装も私の好みでした。

三世次の衣装は全て似合っているし、手塚治虫のキャラクターのようで可愛い。

さすが東京宝塚!

 

そして今回、26人のキャストで蜷川版の時は43人で演じた人たちを演じたそうで、一人何役もとか早変わりとかもすごかったです。

天保ファミリーとして皆さん団結力も高く、ほんとロングランしてほしい公演でした。

 

感想が書ききれませんので、次からは、各シーンについて感想を書いていきます!