★お気楽日記★

アリとキリギリスでは断然キリギリスです。 うさぎとかめなら、確実にうさぎです。 でも跳ねる趣味はありません。

野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」シーンごと感想⑧

 野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」各場面の感想、続きです。

crearose.hatenablog.com

 

f:id:crearose:20210722235939j:plain

 

フェイクスピアのフライヤーより。野田さんのメッセージ。

 

私は「フェイクスピア」というタイトルが若干フェイクだったように(フェイクというかミスリードかな。シェイクスピアとか、言葉がフェイクだとかは、そんなに最終的には、野田さんのやろうとしたことでは無かった気がします)「私ごときに創り変えられてはならない」というのもフェイクだったと思います。

野田さん、結構きっちり、このノンフィクションをフィクションに取り込んだな、と。

だから野田さんが「不謹慎」と迷う気持ちは本当だとは思う。

 

(私のブログのシーンごと感想①より↓)

>アンサンブルの方々が一生さんの持つ匣から何か(言の葉)を取り出している感じが、事故後CVR(コックピットボイスレコーダー)の機長の言葉の「ドーンと行こうや」が切り取られて独り歩きし、非難の対象になったこと(リアルな言葉のフェイク化)を想起させます。(そしてこれはラストシーン、野田さんによって「頭を上げろ」という言葉を切り取って別の意味にしたプラスのフィクション化と対になる気はします。このリアルな言葉に違う意味を付加するフィクション化を、プラスとするか「不謹慎」とするかは意見の分かれるところと思いますが

 

 

 

爆発音の後は、実際のCVRの書き起こし(?)に基づいたお芝居になります。

(台詞は私が抜粋して記入したので、全文は新潮の戯曲を)

 

【注意】

緊迫した状態なことが伝わる圧巻のお芝居のシーンですが、専門用語も出てくるので、この場面がどんな状態なのかという注釈入れています。

かなりヘビーな気分になるので、つらい方は読み飛ばしてください。

 

 

mono「なんか爆発したぞ、スコーク77」「ギア見てギア」

 

(爆発音からすかさず機長が「スコーク77」を発します。スコーク77は緊急信号で、これを発すると、管制塔との交信の優先権や着陸の優先権などがあります。

「ギア(車輪)見て」という指示は、この爆発音は何かの拍子に車輪が出てしまったのではないかと考えたから。

この爆発は、実は圧力隔壁が吹っ飛び(セットの跳ね板の模様が、圧力隔壁のようだという声もありました)それで飛行機内の気圧が減圧、破損(この時宙に舞った断熱材が「真夏の雪」)、尾翼が失われ、飛行機をコントロールするのに必要なハイドロプレッシャー(油圧装置)までもが全部やられているのですが、この時点では機長らは気がつきません。(ハイドロオールロスにはこの後に気がつきます)

圧力隔壁が吹っ飛んだので、機内の気圧が下がり、客席には酸素ボンベが降りました。客室乗務員(オタコ姐さん)が酸素マスクをするよう、乗客に指示を出します)

 

(このお芝居ではコクピット(と機内)の中の会話だけで成立させていますが、実際は管制塔と頻繁にやりとりもしています。

機長は羽田に緊急着陸しようと、副操縦士に右旋回するよう命じ、管制塔に羽田への緊急着陸を要請します。管制塔の許可を得て、右旋回するか左旋回するか聞かれ、「右旋回しています、誘導お願いします」と交信しています。

(これも事故後、左旋回していれば山に行かず海面着水できたのではないかと機長をバッシングする人が出ました。しかし羽田へ戻るには右旋回するのが最短、別に間違った判断ではない)

この右旋回で油圧使い果たし、機体は右に大きく傾いただけできちんと旋回出来ず、下田沖から焼津、そこから内陸部に向かいます)

 

mono「(機体が右に傾き)バンク(機体の傾斜)そんなにとるな、マニュアルだから」「バンクそんなにとんなってんのに」「(機体の傾斜を)戻せ」

アブラハム副操縦士:機長席に座っている)「戻らない」(ハイドロプレッシャー(油圧装置)が全部やられているので、操縦桿の操作は効きません)

mono「ハイドロ全部だめ?」

三日坊主(航空機関士)「はい」

mono「ディセント(降下)」

三日坊主「ディセンドしたほうがいいかもしれませんね」

mono「(高度警報音が鳴るのにいらだって)なんでこいつ……」

 

三日坊主が客室乗務員と連絡、酸素マスクが降りていることと、荷物の収納スペースが破損していることなどを聞きます。

三日坊主「エマージャンシーディセントやったほうがいいと思いますね」

mono「はい」

 

(酸素マスクが出ている状態なので、気圧をなんとかするため、飛行高度を下げないとなりません。

ハイドロ(油圧)が効かなくなった場合の飛行機の操縦法(と言えないレベルの、かろうじてのコントロール)は、左右のエンジンの出力を調整すること、ギア(車輪)を出して空気抵抗を使って降下すること、主翼のフラップを操作することです)

 

三日坊主「マスクわれわれもかけますか」

mono「はい」

アブラハム「かけたほうがいいです」

mono「……」

三日坊主「オキシジェンマスク、できたら吸った方がいいと思いますけど」

mono「はい」

 

(事故調査で問題になった部分。急減圧があった場合パイロットは酸素マスクをつけるよう訓練されているのに何故つけなかったのか、という疑問であり、これには明確な答えが出ていない。減圧に航空機関士はすぐに気がつく立場にあったが、機長と副操縦士はそれよりも機体の安定した飛行に必死で、この程度の減圧なら操縦操作を優先させた、もしくは操作に専念してマスクをつける余裕がなかったのか、あるいはすでに低酸素症によって判断能力が低下してしまっていた可能性が指摘されています)

 

(機体は、尾翼が無いので飛行も安定せず、ダッチロールします。

列に並んだキャスター付き椅子の表わす飛行機の座席が蛇行したり、オタコ姐さんが椅子を小刻みに左右に座りながら揺らして、機内の揺れを表わします。ターンライトの時は、列が半回転して右を向いたりします。

また、横一列に長い棒を渡して、それを手すりのように持って、機体の激しく揺れる衝撃で各シートの乗客が離れ離れになりそうになったり、手繰り寄せたりします)

 

mono「降りるぞ……そんなのどうでもいい、あーあああ、頭(機首)下げろ、あったま下げろ」(機首が持ちあがってしまっている状態)

アブラハム「はい」

mono「頭下げろよ」

アブラハム「はい」

mono「頭下げろ」

アブラハム「はい」

mono「両手でやれ、両手で」

アブラハム「はい」

三日坊主「ギヤダウン(車輪出し)したらどうですか?ギヤダウン」

mono「出せない。ギア降りない、頭下げろ」

(ハイドロ(油圧)やられているのでギアを降ろすのも反応しない)

三日坊主「オルタネート(油圧が効かない場合、車輪やフラップを電動で動かす代替手段)でゆっくりと出しましょうか?」「ギヤダウンしました」

アブラハム「はい」

 

(ギアの空気抵抗で高度は下がりますが、その空気抵抗を受けるせいでさらに機首が上を向くようになります=失速してしまう)

mono「頭下げろ」

アブラハム「はい」

mono「あったま下げろ。そんなのどうでもいい。ストール(失速)するぞ」

アブラハム「はい」

mono「パワー、重たい」

(機長も一緒に操縦桿握ってコントロールしようとしているが、操縦桿は当然効きません)

mono「ジャパン123、アンコントローラブル(操縦不能)」(管制官とのやりとり)

アブラハム「えー、相模湖まで来てます」

mono「はい……これはだめかもわからんね……ちょっと……(聴取不能)」

 

(この台詞ですが、CVRの会話内容は最初に文章で公になったようで、変に流行り言葉になってしまったのと、ここだけ文章で見ると、機長が弱音をはいているように取れますが、実際の意味は違うのかもしれません(詳しくは後述)。一生さんは、初日はわりと淡々と言ったように思いますが、途中から弱音ニュアンスの台詞の言い方にしていたように思います

 

mono「おい山だぞ」「ターンライト、山だ」「山にぶつかるぞ」

 

(ここから山間部での山との闘いの飛行になります。

一定の高度を保たないと山にぶつかるので「マックパワー(出力最大)」だったり「パワーあげろ、レフトターン、今度はパワー、ちょっと絞って」と必死の指示を出します。

 

コクピットと客席を表わす椅子の列はぐらんぐらん蛇行し、八百屋舞台の山をバックしたりして、衝撃ごとにアンサンブルが座っていた椅子を舞台から袖に放り出し、最後には、mono、アブラハム、三日坊主以外は椅子が無くなり前の乗客にしがみつき、最前列の乗客はmonoたちにしがみつく形になります。乗客ら全ての命を3人が背負っている象徴です)

 

mono「はい高度落ちた」

アブラハム「スピードが出てます、スピードが」

mono「どーんといこうや。がんばれ」

アブラハム「はい」

三日坊主「マック」

mono「頭下げろ」

アブラハム「はい」

mono「がんばれがんばれ」

アブラハム「いまコントロールいっぱいです」

三日坊主「マックパワー」

アブラハム「スピードが減ってます、スピードが」

mono「パワーでピッチはコントロールしないとだめ」

 

(どーんといこうやは、普通に「どんと構えて行こうや(動揺せずしっかり行動する)」という励ましの言葉ですね。何でこれを、切り取った部分だけ知ったにせよ、どーんと山にぶつけようと解釈するのか意味不明。がんばれがんばれは、副操縦士らに行った言葉かもしれませんが、飛行機さんにマックパワー(最大出力)でがんばれ!って言っているのかも)

 

mono「頭下げるな、下がってるぞ」

アブラハム「はい」

mono「あったま上げろ、上げろ」

アブラハム「フラップは?」

三日坊主「下げましょうか?」

mono「おりない」

三日坊主「いや、えー、あのオルタネートで」

mono「オルタネートかやはり」

 

(山に接触しないよう、今度は山に沿って機首を上に上げようとしているようです)

 

mono「(管制塔に)えーアンコントロール、ジャパンエア123、アンコントロール、リクエストポジション(現在地がわからなくなっている)」

三日坊主「熊谷から25マイルウエストだそうです」(この時、埼玉、長野、群馬の境界のあたりまで内陸に迷い込んでいる)

mono「フラップおりるね?」

アブラハム「はいフラップ10(10度。ややフラップを出した状態)」

mono「頭上げろ、頭上げろ、頭上げろ」

アブラハム「ずっと前から支えてます」

mono「フラップとめな。あーっ。パワー。フラップ、みんなでくっついちゃだめだ」

(これ、古い本には「フラップ、そんなに下げたらだめだ」になってるのですが、音声解明して変わったのでしょうか)

アブラハム「フラップアップ、フラップアップ、フラップアップ、フラップアップ」

mono「フラップアップ」

アブラハム「はい」

mono「パワーパワー、フラップ」

三日坊主「あげてます」

mono「頭上げろ……頭上げろ……パワー」

 

機内を表わす、monoたちとアンサンブル、この緊迫した場面にあわせて八百屋舞台をじりじりと山の上方に後退、そこから下に一気に駆け下りる感じで、コクピットシートに座っていたmonoはその勢いを使い、立ち上がり、舞台前方に駆け出します。他の乗客も客席に背中を向けて立ちます。そこへ舞台下手前方でずっと匣の声を聞いていた楽が匣をmonoに放り、monoはキャッチして、オープニングのシーンと同じように足を投げ出して座り、匣を抱えて顔を寄せながら

mono「火災警報の音。地上接近警報の音。シンクレイト(降下率注意)。ウーウー、プルアップ、ウーウー、プルアップ、ウーウー、プルアップ……聴取不能。ウーウー、プルアップ。衝撃音。ウーウー、プルアップ。衝撃音……録音終了……午後6時56分28秒、あなたの父は「声」になった。ハラハラと宙から舞い落ちる、目に見えない言の葉。「死」が人間が神様から盗んだコトバなら、「生」は神様が人間にくれた無限のコトバだ。…「頭を上げろ!」「頭を上げろ!」そして「パワー!」……そう言い終わると、あなたの父は、誰もいない森で永遠プラス36年前に目を瞑った」

と言って、monoは楽にまた匣を手渡します。右手で楽の頬を触ろうとしますが、触れることはできません。(この時点でもう死者の夢は覚めてしまい、親子はもう会えなくなったということか)

 

乗客やオタコ姐さん、アブラハム、三日坊主たち死者は、八百屋舞台を上にのぼって、山の向こうに消えていきます。

monoも楽に匣を渡したあと、やや泣きそうな顔で、(心が伝わったか)不安げに楽の様子を伺いながら、八百屋舞台を後ろ向きにゆっくりと上っていきます。

 

楽は客席に向かい(客席奥が父のいる天空のイメージ)こう言います。

楽「永遠プラス36年、その男は、死んでいく30分の間、ひたすら生きるための言葉を吐露した。その最後のひと葉が、この匣に入っていた。頭を上げろ!男は、息子のことを愛していた。この言葉の一群を声にしながら男の脳裏には、幾度も息子の顔がよぎっただろう。男は幾度も息子の名前を声に出して叫びたかっただろう。けれど、ただの一つの言の葉も、息子の為に残せなかった。頭を上げろ!524の魂と、地に落ちるぎりぎりまで、空の高みを目指したから。頭を上げろ。あの言の葉たちは、天高く舞う鳥の群れ、天空から聞こえてくる声の一群。息子よ、お前にはその声がどう響く?息子よ、心あらば返事せよ、そして息子よ、返事あらば言葉に書け……なんて書けばいい?パパ、この歳になって、こうかな……わかった、生きるよ」

 

後ろに下がりながらmonoは、泣きそうというか祈るように楽の方をみつめ、楽が何を言うか聞いていましたが、山の向こうに消える瞬間、「わかった、生きるよ」と楽が言ったのを聞き、ふわっと笑顔になって、山の向こうに消えます。(表情筋の魔術師高橋一生の真骨頂)←絶対見逃したらダメなやつ。

(東京では必死に楽の言うことを聞きながら、生きてくれと祈るように見つめていたmonoですが、大阪では会場サイズが違うせいなのか?、最初から楽が「生きる」と言ってくれるのを確信しているような清々しい感じからの笑顔だったとの声がありますので、大阪で確認してきます)

 

そこにブレヒト幕が走り、舞台上は楽とアタイになります。

 

楽「ありがとう、ブッチョウ」「父を呼んでくれて」

アタイ「でも昇格試験は、まただめだった」

楽「ごめんね」

アタイ「同級生だからね、楽……タノ死んで、タノ生きていこう」

楽「頭を上げろ」

アタイ「頭を上げろ」

楽「(空を見上げて)雲一つない蒼穹に、ひこうき雲が一筋……いい天気だ」

 

そこにアンサンブルの女性がやってきて、開始時とは逆の手順で、アタイと向かい合って両手をつなぎ、サポートの人がアタイのイタコスモッグをめくってその女性に移し、白石さんはイタコ服から開始時のショッキングピンクのワンピースに戻ります。

 

白石加代子白石加代子です。……本日はどうもありがとうございました」

 

<終了>

 

流れを分断したくなくてシーンを最後まで書きましたが、クライマックスのCVRについて。

野田さんが「リアルな言葉群だから創り変えない」ようなことを仰っていたの、まんまとだまされました。これ、しっかり、完璧に、演劇です。フィクション(一生さんいわくフェイク)です。個人の感想ですが)

私はこのCVRについて、恐らく何かのテレビ番組の再現VTRで見たとかそんな感じだと思うのですが、「頭下げろ!」などと機長が必死に指示を出していた記憶しか無く、実際のCVRは聞いていなかったし(ネット動画で検索しない限り、一般人では現物を聞いた人はいないかも)文章で全文を読んだこともありませんでした。

他の方の感想で、演者さんたちは何回もこの音声を聞いたんだろう、というのを目にしていたので、ここの部分はCVRの完コピなのかなと思っていたのですが、先日、意を決して、ネットにあったCVRの音声を聞きました。

 

【音声再編集】JAL123 日本航空123便墜落事故 RJTT- RJOO JA8119 【機内視点】 - YouTube

 

考えてみればこのシーンは、30分のCVRをたぶん10分くらいに凝縮しているので、管制塔とのやりとりはカット、さらに無言の部分を無くしているから、延々緊迫した声での芝居が続くわけですね。

それとちょこちょこと野田さん、言葉をトリミングしていると思います。

特にCVRには入っていた、墜落間際の叫びはカット。(これはCVRのやりとりを文字に起こしたものでもカットされているので、野田さんの意図ではないかもしれませんが。まあこの言葉が入っていたら全くストーリーの流れが変わってしまうし、観てる方も重すぎる・・・)

CVRの音声と聞き比べると、一生さんたちはむしろ台本だけを見て、その台本からイメージする言い方をしているような気もします(1,2回は参考で聞いたかもしれませんが、完コピするつもりは無い感じ)。monoと高浜機長は別人だなあと、私は思いました。(個人の感想)

 

そして、気になったのが「これはだめかもわからんね」の解釈。

台本を見てこの台詞を見たら、ここは機長が弱音を吐いた、命を諦めかけたと取れる部分かと思います。

匣をめぐる楽とのやりとりでも、monoは「亡霊だからといって、もう死ぬものだと決めていた。(略)だめだ、僕は生きる」と、いったん諦めた命を思い直していますが、それはこのCVRの発言と重ねているのかもしれません。

ただ、管制塔との交信と一緒にCVRの音声を聞くと、これは別の意味ではないかと感じました。

まず機長の言い方もそんなにシビアでは無いように聞こえます。

そして、ここ(18時46分30秒付近)の前に管制塔とやりとりをしていて(18時45分40秒付近)、管制塔から「(羽田に緊急着陸希望していたので)羽田にコンタクトしますか?」「このままでお願いします」という会話をしているので、この発言は「これ(羽田に緊急着陸するの)はダメかもわからんね」と他の二人に相談(というか報告)しているんじゃないかと。(むしろ「このままでお願いします」の言い方の方が切羽詰まっている)

1985年は戦後40年ですが、計算すると(49歳の)機長は戦中に生まれてさらに自衛隊上がりですから、この時代、部下の前で弱音は吐かない気がします。(逆に機長のお言葉が乱暴なのは、そんな昭和なので仕方ないのです・・・)

 

と、ここ、「リアルな言葉をそのままお届けしましたよ」風にみせかけて、しっかり「monoという人物が機長だった時に、なんとか墜落しないよう闘ったコトバ群」のお芝居になっていると私は思いました。

 

そして、このCVRの発言の公開や音声がどういうものだったかよくわからないのですが、ちゃんとCVRのフルの音声があり、それをもとに発言を書き起こしたものが後に発表され、やがて音声データの一部が一般公開された、ということでしょうか。

上記の動画に、音声が無いまま発言を補っている個所が多数あるので。

そして、先ほどの「これはダメかもわからんね」のように、文字データでは読み手の解釈によって機長らの意図が変わってしまうのだなあと思うと、フェイクスピアで「大切なものは目に見えない」「目に見えない言葉は声」というのはここからの連想かなあ、とか、まさに今、ご遺族の方がボイスレコーダーの音声生データの開示を求め、今年3月に訴訟をしているタイミングなので、そのことに対するバックアップの意味もあったのかなあと思いました。

 

そして、何故、今、日航機事故なのか。

 

初日にこのお芝居を観た時、観客も全て初見、演者さんも観客がどう反応するのか見当がつかないという緊張した空気の中、徐々に自分たちがどこに向かうのか(日航機墜落事故という結末に)観客が気付き始める空気感、その空気感を感じる劇場内というのが何と言っていいのか難しいのですが、すごかったです。

これは映像や円盤、もしくは生でも一人で貸切で観たとしたらわからない感覚で、客席半減でも厳しいかも、密に人が劇場に詰め込まれるほど生まれる「共感」で、「無観客配信は演劇の死である」と言っていた野田さんが、演劇は無観客配信でいいだろうと言った人を全力で殴りにいった作品だと思いました。(そして成功している。野田さんカッコイイ)

日航機墜落事故は見事に年齢案件なので、恐らく50代半ばから上の世代が一番強烈な記憶を持っているかと思います。

そして劇場に来る世代は恐らく20代からアラ環くらいなのかなあと思うと、あと10年もすると(いや、5年くらいかも)日航機墜落事故のことをリアルに知る年代が、劇場ではかなり少数派になってくるのではないでしょうか。

となると、その時に同じ劇を上演しても、この「共感」は生まれないかと思います。

観客の多くが、タイタニック日航機事故も同様の「過去にあった悲劇」と感じるだけなので。(もちろんそれでもあの圧巻のクライマックスには心打たれるとは思いますが、客席で徐々に結末がどこに行くのか気がつく人が出てくる、あの感覚は味わえない。「ローズが強く生き抜いて良かったねー」というのと同じ感想を「楽が生きる気になってよかったね、私も頭を上げる!」と抱くに過ぎなくなる。もちろんそれも野田さんの伝えたかったことではありますが。――このコロナ禍で生きるパワーを無くしている人々にエールを送るということで、ラストシーンのメッセージはすごくシンプルでストレートだったと思います)

 

なので、この題材はあと5年も待てない、そして今だからこそ劇場で演者と客席の不謹慎だという罪悪感を共有することがやりたかったんだと思います

(なので、それを考えると再演も無いかもしれないなあ、凱旋公演として来年やれるならギリギリかなあと思います。残念ですが)

 

そして今回考えさせられたのは、36年前の事故を取り上げるのはまだ早い、というけれど、戦争ドラマは不謹慎ではないのだろうか(これだって史実に残っている手紙だったりエピソードを使ったり、実在の人物のことを描いたりしているものもあるわけだし)、私たちは戦争ドラマを見て感情を動かされた気になるけれど、実際の戦争体験者の方と同じ感情を共有していたのだろうか、ということでした。

結局そうやって(たとえ傷つく人が出ても)ノンフィクションをフィクションに取り込んでいくのが小説や演劇の性なんでしょうね。

 

今回に関して「頭を上げろ」という生きるための悲痛な叫びを、息子を励ます「生きろ」という意味にしてしまうフィクション(フェイク)化は不謹慎なのかどうかですが、日航機墜落事故で遺書を残した男性たちはみんな、仕事については一言も無く、すべて家族に対しての言葉だったことを考えると、

「――頭を上げろ!男は、息子のことを愛していた。この言葉の一群を声にしながら男の脳裏には、幾度も息子の顔がよぎっただろう。男は幾度も息子の名前を声に出して叫びたかっただろう。けれど、ただの一つの言の葉も、息子の為に残せなかった」の部分は、それらから野田さんが機長らの気持ちを推測したのだろうと、不謹慎と糾弾する気にはならないかなあというのが私の感想です。

 

それでは、大阪の大千秋楽(と前楽)見届けてきます!

長々とお付き合い、ありがとうございました。