★お気楽日記★

アリとキリギリスでは断然キリギリスです。 うさぎとかめなら、確実にうさぎです。 でも跳ねる趣味はありません。

2020ニーゼロニーゼロ初日観劇してきました@PARCO劇場

高橋一生さんの一人芝居、パルコ・プロデュース2022「2020 ニーゼロニーゼロ」の

初日(2022/7/7)と7/10の公演を観劇してきました。

作 上田岳弘

構成・演出 白井晃

出演 高橋一生

   橋本ロマンス(ダンサー)

 

「2020」というタイトルが示す通り、件のアレが流行った2020年が分岐点となった、人類のお話です。

 

初日は物販の行列がすごくて、開場時刻に来た私と友人は(入場もちょっと行列で)そこからグッズ販売の列に並んだけれど、順番が来たのは開演5分前、しかもポスター(小)は売り切れでした。

(巻いたものが無くなったようで終演後に在庫復活)

2日目からはパンフレットのみの販売列を設けたりして、かなり混雑は緩和されたようです。

(品切れしやすい商品はゴリラ柄のハンカチ。チェック、ピンク、白の順に売り切れ)

 

お芝居は75分にカテコ5分計算?で80分休憩なし。

理解に頭を使うお話でしたので、ちょうど良い時間でした。

 

では、ここからネタバレありの感想を。(今回はざっくり書きます)

ネタバレ見たくない、また、他人の感想に左右されたくない方は(このお芝居、人それぞれで全く受け取り方が違うと思います)

ここから先はUターンして下さいませ。

(てか、感想までエッジが効いちゃいました)

 

写真の下から始まります

 

<舞台セット&衣装>

 

舞台セットは50センチ四方くらいのブロックがたくさん積まれていて、そのブロックに登ったり崩したりして色々なものを表現します。

(バラバラに崩せる=ブロックの山積みは固定されていないっぽいので、登るシーンはドキドキします)

舞台の背景はブロックで作られたように見えるスクリーンで、映像が映されたりします。(ボルダリングのように登れたりもします)

後半、上から小さなブロック(発泡スチロール。多分)やボールが降ってくるシーンがあって、一生さん痛くないのかなあというのと、その後散らかった舞台を歩き回るので、ねんざなどしませんようにと思いました。

 

衣装は白シャツに黒いズボン。そこから転生した各人生で、クロマニヨン人はチリチリロン毛かつらに毛皮(ショール)、大田正一(石原莞爾)は第二次大戦のころの飛行機帽、ドンゴ・ディオンムはアフリカンなシャツにサングラス額に乗っけていかがわしい感じ、田山ミシェルは金髪のかつらに白衣に首にショール。

 

<ストーリー>私の受け取った物語です。あくまで個人の感想です

 

観客(思考放棄して全員が統合してしまった、全体主義に陥った「ひとかたまりになった」民衆)である「肉の海」から切り離された孤高の天才(最後の人間)、Genius lul-lul(ジーニアスルル。以下GL 演・高橋一生)が観客席から登場し(肉の海からの切り離しを象徴)、「沈黙は金」という格言から始めて、2020年の710年後の人類の終焉に至る歴史を語ります。

2020年の疫病をきっかけに「正しさ」に口を塞がれて沈黙してしまったために人類は道を誤ってしまったこと、GLはクロマニヨン人時代から何度も転生を繰り返し、その最悪な結末に至らないよう、外すための予言の書を書いていたのです。

いくつかの前世と、全体主義の逆に個を尊重しすぎたifルートで「大錬金」(誤った民主主義による人類全体の自殺)を起こした田山ミシェルなどを通じて予言を語り、結局2730年、人類はAI最強人間に乗せられて肉の海となり、最後の人間になってしまったGLは絶望し、「遠くに行きたい」と人類が生み出した「ブロック」(欲望(希望)→絶望、情報(他者の経験)、テクノロジーなど様々なものを象徴?)を抱えて宇宙に飛び出します。

そして宇宙で死を迎え、新たなGLとして生まれ変わりパラシュートでまた肉の海の前に戻ってきます。

こうしたことで世界は少しでも変わったのだろうか、と、また冒頭の「沈黙は金」からやりなおしが始まります。

 

 

<感想>

初日はストーリーを追うのに意識がいってしまいましたが、2回目に観た時にはGLのつらさ、寂しさ、苦しさが胸に迫りました。

基本的にGLは斜に構えてシニカルに肉の海(観客)を見ているのですが(余談ですが、lulとはスラングで嘲笑を表わすとか。「w」「草」っていう感じです)、そりゃ最後の人間で孤独なわけで、自分の頭で考えなくなって統合しちゃったおバカな肉の海でも、そんな風になる前に思いとどまって欲しいよね。

(しかも他のみんなが肉の海になってからは毎回GLにしか転生できなくなった)

なんとなくカテコの一生さんもいつになく観客に愛情向けていた気がするし。

一生さんというか、GLなんだろうなあ、あれは。

 

私は2020年からずっとコロナの感染対策には疑問を呈してきた、というか憤っていたわけですが、その立場から見ると、いやあ、ずいぶん踏み込んだ内容だったねぇと思いました。というか、私のような心情の人間に、そう解釈させるような内容だったと。

暗喩が次々と出てきて、そりゃ「社会に何か言いたいことがある作品じゃないですよー、単なる娯楽ですよー」って言わざるを得ないでしょう、これ。

 

登場は「肉の海」の中からマスクをつけて登場、これはお上の決めた感染対策で客席降りのソーシャルディスタンスではマスク付けますっていうのと同時に、舞台に上がってGLになればマスクを外し「マスクをしたって(ウイルスを)防げない」と茶化す。(思えば観客みんなマスク付けて表情隠してるの、肉の海っぽいですね)

頭の中にあるものを伝えようとして言葉を使う、表情を使うこともある、それはきっと言葉で言い表せないことがあるからだ、と言語表現だけではなく身体表現の大切さを述べて(つまりマスクで表情が読み取れないことの弊害)、2020年1月1日の人口と2022年7月23日(東京オリンピック開幕のちょうど1年後)の人口を比べて、人口はむしろ増えていると言い、スペイン風邪では人口はずいぶん減ったと数字を出しながらそれが今はただのA型インフルエンザになっていることに言及、さらには歴史を遡って説明するのに「時の頃を表わすのは西暦でいいかな?だって西暦が大好きでしょう?」と、私たちが欧米偏重主義で、ファクターXを無視して欧米が大変だ、2週間後は日本もNYになると騒いだことを嘲笑(lul)してくるし。(西暦が好きでしょう?は最初と最後、2回言われます)

 

さらに、クロマニヨン人が狩るラガンバ。牛に似た一種の一角獣と説明されますが、これ、検索しても出てこないので多分上田さんの創作。

このラガンバ、お芝居の要所要所で音として登場するのですが、絶滅種で絶滅した理由が「僕にはわかる気がする。ラガンバの肉はなにせうますぎたんだ」とクロマニヨン人が語るので、初日はこの流れに騙されて、素直に「肉が美味しいから乱獲されて絶滅したんだ」と思ったのですが、よく考えるとその前に「彼らは群れの子供や弱った個体を守るために体を張る」という説明があって、これ、(子供はともかく)弱った個体を守るってそれ自体は正しく美しい行為だけれど、その正しさは限度を間違えると全体主義につながるのでは?その正しさによって滅んだのでは?と思いました。

ラガンバももしかしたら全体主義の象徴なのかなあと。

中盤、赤ちゃん工場のオーナーのドンゴ・ディオンムが交通事故死する時も、このラガンバの音が出てきて、ドンゴはラガンバを避けようとハンドルを切ったことで死亡します。正しくないことをしていたドンゴは表だってその不正を白人ジャーナリストに暴かれること無く、正しさの全体主義に殺されたのかなと思いました。

 

登場する動物は他にゴリラが出てきます。

実験で一頭のゴリラを閉じ込めて、そこには他に何も無いが食べ物は充分与える、するとどうなったか、そのゴリラは自ら命を断ったのだと。そしてこの実験の後日談として、その閉じ込められた空間にとても深い穴(飛びおり自殺できるほどの深さの)を用意すると、不思議なことにゴリラは正気を保つ(死なない)のだと。

これはロックダウン(自粛)の暗喩であり、そんなことをしたら人は(精神的に)死んでしまうということ、餌を充分に与えても「人はパンのみによって生くるにあらず」であり、他者とのコミュニケーションや、不要不急と切り捨てられたものも精神が生きるのに必要であることを意味しているのかと思います。(そして検索してもそんな実験ヒットしないので、やはりこれも作り話?)

解釈が難しいのが「穴」で、1つは死の恐怖の象徴とも思えて、死の恐怖が身近にあると、却って死のうとは思わない(生にしがみつく)、自粛も疫病を死の病と恐れている人は耐えやすいけど、コロナが怖くない人にとっては耐えがたいものであるという解釈もできるし、もしくは「穴」が何か興味深いもの、想像力をかきたてるもの、エンタメなどを表わしていて、不要不急と言われたこれらのものがあれば正気を保てるという解釈も出来るのかなあと思いました。

 

みんなが肉の海になってしまったことを後悔している、あの年、沈黙を選んだことへの後悔、僕は決して、見過ごすべきではなかったんだ、というGLの台詞から、「他人の許されざる行動を容認する」というテーマが与えられ、「濃厚接触者になったのにPCRを拒むことを許してくれるとか?あるいは濃厚接触者になったことを許す。濃厚接触者を生み出したことを許す。別に何でも許してかまわないですけどね、僕は」という台詞から特攻隊の話につながるのですが、これはうがった解釈かもしれないけれど、史上最大の薬害事件になりそうなワクチンを若者に「高齢者を守るために打て」と国が推奨しまくったのが、特攻隊を思わせるものがあるなあと私は思いました。(さすがにここまでは触れられないでしょうけど)

それと特攻の発案者のたどった道が、今回の専門家たちのたどる道かもしれません。

 

と、まあ例のアレに引きつけて解釈するのはこの辺りくらいで。

(あとダンスの振り付けが、体についたウイルスを払って、くしゃみして、マスク外して、ピストル自殺、という感じに見えました)

 

他にはAIの支配とか仮想世界とか人が不老不死になっていくことの思想が入っていたり、科学が進んで容姿も頭も簡単にお直しできるようになってしまうと、人は生きる意味を見失って「大錬金」=集団自殺に向かうことなど、色々考えると面白そうなテーマがたくさんあります。

 

そして頻繁に登場し、セットにも用いられているブロックが何を表わすのか。

「ブロック」はある時世界に現れ、クロマニヨン人の時代には100年に1個生まれるかどうかの貴重品だったが、産業革命から指数関数的に増加、人間はこれ(ブロック)でバベルの塔を作っている。このブロックは人間だけが作れる、人を人たらしめるもの。しかし人類を肉の海へと導いたもの。

私は多面体だけあって答えは一つじゃないのかあと思いました。

欲望や希望であり、情報(他者の経験)の共有化であり、テクノロジーであり、プラスでもありマイナスでもあるもの。(私はGLの立場に立ってしまうからわりとマイナスなイメージを持ってしまうけど)

 

それと遠方担当って何だろう。

ラスト、GLが遠方担当になって、レミングみたいに宇宙に飛び出して、死を迎え(?)、新たなGLに転生してパラシュートで落下、「僕が遠方担当になって何かかわった?」とまた初めから「沈黙は金」とやりだす流れが、今一つまだ理解できていません。

なんとか全体主義に向かわないように、予言が外れるように、と行動しているのだと思いますが。

 

以上、ざっくりした感想でした。

 

追伸

公演二日目の7/8に安倍元首相の暗殺事件が勃発。

はからずも外すための予言の書の「個を尊ぶあまりにばらばらであることを賞賛しすぎると、究極の間違い(通り魔的な)看過することになる」がこういうことでもあるんだなあと思いました。

(個人の権利やプライバシー尊重すると、思想も自由だし発言も自由、それに乗せられてしまう人も出る、そして不審者でもあまり誰何されず犯罪を行いやすい)