★お気楽日記★

アリとキリギリスでは断然キリギリスです。 うさぎとかめなら、確実にうさぎです。 でも跳ねる趣味はありません。

「絢爛豪華 祝祭音楽劇 天保十二年のシェイクスピア」の感想⑦(シーンごと)

その⑥からの続きです。

 

16.櫛

下手の端に立っていた三世次、下手にはけるとそのまま下手から出てくる幕兵衛の寝室のセットに乗って登場。

(浦井さんのラジオで、一生さんと浦井さん、裏ですれ違う時などに、常にハグやらおしくらまんじゅうして遊んでいて、一生さんは二幕ハードだから「体力持たないかも」と言うくらいじゃれてたらしいけど、まさか15場で死んだ王次ととても感情を込めた芝居をしてはけた三世次、この転換の隙に遊んでないですよね・・・?いや、ハグくらいしてそう・・・)

結核で寝込んでいる尾瀬の幕兵衛(尾瀬=オセロー)と、甲斐甲斐しく看病するお里、お里につき従うこざっぱりして仕事出来そうな感じの若者、幕兵衛の足元で団扇で幕兵衛をあおいでいる三世次。

隊長がその光景を見ながら、紋太一家がみな死んでしまったので花平一家の天下になったこと、さらに利根の河岸安(かしやす=キャシアス。「ジュリアスシーザー」でアントニーの悪口を言わない演説で落とし入れられる役。あと「オセロー」のキャシオーもか?)という優秀な子分が台頭してきたこと、お里がすっかり良い女房になったこと、ただしこれで花平一家の前途揚々とはいかないのが世の中ということが語られます。

賭場の刻限になり、お里と河岸安は賭場の切り盛りに向かい、病人の幕兵衛と三世次が残されます。

ここから高橋一生劇場、我が推しのお芝居すごいよねーというエンジンガンガンかかりまくりになります、三世次やる気出した。(滅びへの道を)

幕兵衛が三世次にお里は自分には過ぎた女房だと自慢すると、三世次はわざとらしいため息をつきます。そのため息が気になって、まんまと三世次の誘いの手に乗ってしまう幕兵衛。最初は三世次の恋煩いのため息かと面白がりながら話を聞いて、三世次の片思いの相手のお光は今は河岸安と出来ており、河岸安はお光に柘植の櫛を贈っていると聞き、恋する男はみな同じだなと幕兵衛は自分もお里に柘植の櫛を贈ったことを思い出して笑いますが、そこからまた三世次の口車で、お里が河岸安と出来ていること、河岸安がお光に贈った櫛は実はお里から河岸安に贈られたものであること(これら「オセロー」から、デズデモーナがオセローから贈られたハンカチを、イアーゴーが不正に入手して、彼女がキャシオーに渡したように思わせ、オセローにデズデモーナの不貞を疑わせるエピソードが元ネタ)、お里は薬と称して幕兵衛を毒殺しようとしていたと思わされてしまいます。

 ここの流れの一生さんの三世次のお芝居が巧みでした。三世次の傍白で「餌に食いついてきたぞ」とか「そりゃ図星」とかあるのですが、まずは団扇を使って内緒話のようなアクションで話すから、傍白と普通の台詞の区別がわかりやすい。そして幕兵衛が誘いに乗ってきた後の傍白で「やめられるものか、ここが山場だ!」とかの声色は今までの卑屈な三世次のしゃべり方じゃなくて迫力があるし、とにかくつりこまれてしまう場面。その中でもコメディな笑いの場面もあるし、猫に薬と称した毒薬を飲ませるところの猫を呼ぶ声が可愛いとか、とにかく三世次見どころたくさんでした。「姉さんがあへあへ喘いでる」とか、濡れ場を表わす体の動きをしたりとか、「どうして行李の中に櫛があるんだろう」と小首をかしげるポーズとか、お里が浮気している描写をして幕兵衛に「黙れ!」と言われて「へい、黙ります」「いや言ってくれ!」「どっちなんです?」というテンポとか(そう、とにかくテンポや間の取り方が好きでした)すごいなー、好きだなーと思って毎回見ていました。

幕兵衛はお光から櫛を見せてもらい、それが自分がお里に贈った櫛であると確かめ衝撃を受け、それを見て三世次「毒が回った!全身に毒が回った!」と傍白で言う場面の迫力も好きでした。

 三世次(と隊長も)を下がらせて、一人で考え込む幕兵衛。賭場から帰ってきたお里に「今夜の祈りはすませたか」「心の用意ができていないうちはお前を死なせたくはない」と言います。(「オセロー」でデズデモーナを殺す時の台詞)しかしお里は「死ぬ死ぬは久しぶりだねぇ」と性的な意味にとらえ、濡れ場のシーンとなります。(割と直接的表現での濡れ場でした)

幕兵衛「行くぞ(イクぞ)」お里「いいわ」幕兵衛「行く(イク)」お里「死ぬ」と言い交わし、幕兵衛がここでお里を小刀で突き殺し、お里は「あ、ほんとうに死ぬ」と言って目を見開いたまま絶命、幕兵衛も喉を突いてお里の上に倒れ、暗転。

ここがお里が目をずっと見開いたまま瞬きもせずに長い間いるのがすごいなーと思い、また音楽も二人の死を盛り上げていました。

(しかし、あんなに仲良さそうだったのに、お里とみよたん・・・みよたんにはお里の可愛がりは通じなかったのね)

 

17.墓は清滝信光寺

桶職人佐吉の場面。またセットの箱は桶職人の家となり、そこで佐吉が桶に仕上げのかんなをかけています。死人がたくさん出るので、紋太一家が無くなっておこまに飯炊きの職が無くても棺桶の売り上げで埋め合わせが出来ていること、おっかさんには楽隠居してもらいたい、浮舟が来たら家事も辞めればいいという会話をおこまと交わす佐吉。浮舟の名前が出るとおこまは呆れて、吉原の花魁がこんな田舎まで来るものかと言いますが、佐吉は、年季があけたからそろそろこちらに着くころだと言い張り、じゃあ器量が悪いのか、いや吉原いちの美人、年なのか、まだ25歳、じゃあ病気持ちなんだ、病気らしい病気はしたことがない、なんでそんな美人で歳もそうとっておらず丈夫な花魁が清滝なんかにくるんだ、おいらがいるからじゃないか、という惚気の会話を交わします。

そして佐吉は桶を2つ背負って「花平一家に届けてくる」と出かけます。これはきっと三世次の策略で心中した、幕兵衛とお里の棺桶でしょう。これを届けている隙に浮舟が到着してしまったことから悲劇が起こるので、三世次のやったことがこの悲劇の遠因とも言えるかもしれません。

留守番のおこまは掃除しながら、佐吉が夢見がちなのは父親ゆずり、佐吉の父親は博打に夢見て賭場のもつれで殺されてしまったから、佐吉はやくざ者にしたくなかった、おかげで堅気な職人になったから、きっと孝行してくれると言っていると、そこにかさかき乞食に扮した浮舟がやってきます。ところがおこまは本当に浮舟がかさかきで乞食だと思い込み、こんな女に佐吉はやれないと、佐吉は死んだ、お墓は信光寺にあると嘘をついてしまいます。(死んでいないものを死んだと嘘をつくのが「から騒ぎ」)

おこまの「死にましたっ」の言い方に笑いが起こっていましたが、これが悲劇の引き金でした。

シェイクスピア関連の本をいくつか読んだ中で印象に残った解説に、シェイクスピアの悲劇は想像力が無いことが原因で生まれるというのがあって、それがここで言うと、おこまがもし「美人の女が一人で旅をするなんて危険だから、浮舟はみすぼらしく変装してくるかも」と想像出来たら乞食が来ても中身は綺麗かもと気がつけたし、また浮舟が「江戸の花魁が清滝の職人の嫁になるなんて、姑からしたら息子は騙されてると思うかも、気に入られないかも」とおこまの気持ちを想像出来たら、姑となる人に挨拶する時には扮装を解いて綺麗にして会ったかもしれないので、本当に想像力大事。そしてこのお話で想像力(こうふるまえば相手はこう思って、こんな行動するかも、という)を持っていたのは、三世次とおさちと老婆だけだったのかも。

 

18.百姓の噂ばなし

隊長と百姓たちがまた墓穴を掘っています。掘りながら、関八州の親分たちが集まっていること、きっとこの清滝を河岸安と三世次のどちらに任せるかの談合が行われるのだろうと噂しています。三世次は気味が悪い、この勝負は河岸安のものだろうという百姓たちに、隊長は「おれは三世次に勝たせたい」と言います。なぜなら三世次が自分たちと同じ百姓の出だから出世してもらいたいからだと。

これはあれですか、中島みゆきの「世情」が流れるやつですか?「変わらないものを何かに例えてその度崩れちゃそいつのせいにする」という。隊長たちは三世次に勝手に夢を見て、裏切られたって思って反乱起こすのだなあ・・・・。

さて、ご飯にしようと隊長を除く百姓らが捌けたところに、おこまと浮舟がやってきます。おこまは適当な墓石を佐吉の墓だと言うと、気が咎めるから浮舟を残してとっとと立ち去ります。浮舟は墓石の前で扮装を解くと美しい姿に戻り、「佐吉さんのいんなさる未来とやらが楽しみでおざんす」と言って剃刀で自害します。そこへ慌てて飛んできた佐吉、死んでいる浮舟を見つけると「この墓石がおまえとおいらの初夜の夜具、そしてこの喉が、剃刀よ、お前の鞘なのだ」と言って(「ロミオとジュリエット」の台詞)浮舟の持っていた剃刀で喉を掻き切り果てます。(ここのお二人のお芝居、日を重ねるごとにどんどん迫力が出てきたと思いました)

 二人の亡き骸の周りに、女郎たちなどが悼むように現われ、暗転。

この女郎や百姓たちが集まる演出、暗転後に佐吉と浮舟の亡き骸を抱えて動かすのと、墓石や卒塔婆のセットをどかすのに人出がいるからというのもあると思うのですが、この物語でお冬の死とこの佐吉浮舟の死だけが、人々に悼まれるという演出なんだろうなと思います。他の登場人物は自業自得だったり、コメディタッチだったりしますが、この2つの死の場面は、一生懸命まっとうに生きていた民衆の悲しい死なのでしょう。

 

その⑧に続きます。