★お気楽日記★

アリとキリギリスでは断然キリギリスです。 うさぎとかめなら、確実にうさぎです。 でも跳ねる趣味はありません。

「絢爛豪華 祝祭音楽劇 天保十二年のシェイクスピア」の感想④(シーンごと)

すでに単なる防備録と化していますが、その③から続きます。

 

7.トカトントン

暗転して、セットの箱が今度は桶職人のつましい家になります。

桶職人の佐吉という若者(20代半ば?)が、朝の光のなか、桶(棺桶)を作りながら浮かれて、江戸での桶職人修行時代に出会った浮舟太夫という花魁との馴れ初めを、桶を作る木槌のリズムに合わせて一人語りする場面。

戯曲でも打楽器の譜面のように(見たこと無いけど打楽器の譜面)木槌の音を表わす●が、台詞のここで打つようにと表示されています。台詞をしゃべりながら、目は浮かれて上方を見つめて、手元の釘と木槌でトントンするので、今までの佐吉役の方もよく誤って手を木槌で打っちゃったり、打ちそこなってスカっとなっちゃうこともある場面。

私は戯曲を先に読んでいたので、この先の佐吉の悲しい運命を知っていましたが、未見の方は、清滝の勢力争いには全く無関係のこの若者が出てきた時、どう思われたのかな。

結局、三世次とも直接の関わりは無く(ただし三世次の行ったことが原因ではないけど影響はして、彼の不幸は起きたとも言える)全体のストーリーの中にぽこっと入れ込んだようなお話で、新感線版の天保では丸々カットされてしまった人物ですが、蜷川版では、他の登場人物の死は笑いが起きたり自業自得感がある中、佐吉と浮舟の場面は、伝聞のお冬の死を除けば、唯一の悲しい死の場面に描かれていました。無垢な庶民の、悼まれるべき不運な死、というスパイスになる場面。

今回は、なにしろ三世次の最期が自業自得感ではなく憐憫されるものになっていたので、スパイス的役割はちょっと薄まったかも。佐吉と浮舟。

と、ちょっと先走りました。ここでは佐吉はとにかく明るくまっすぐな青年として登場し、紋太のところで飯炊きの仕事をしている母親のおこまと仲良く会話して、最後に浮かれ過ぎて手元が狂い、桶のたがを切ってしまい(?)せっかく作った桶をバラバラにしてしまうという楽しいコメディな場面です。わかっていても毎回、桶がバラバラになるとドキっとした私。

(このリズムを刻みながら台詞を言うのが、シェイクスピアの何かの作品にあるらしく、それのパロディだとか?)

 

8.百姓の噂ばなし

暗転から舞台には卒塔婆などが立ち、墓地になります。

隊長と、百姓が3人ほど、墓を掘りながら人の命の儚さを歌う「墓掘りたち」の歌を歌います。

隊長は、死人が出ると百姓が小遣い稼ぎで墓穴を掘ること、今は紋太と花平の墓穴を掘っていて、お互い自分の親分を殺したのは相手方だと思い、殴りこみのために助っ人を集めているが雑魚ばかりで、皆さまに紹介すべき人物は、紋太とお文の間に生まれたきじるしの王次(気の触れた王子=ハムレット)という18歳の若者しかいないこと、王次は紋太一家の後ろ盾の飯岡の助五郎のところで渡世修行をしていたが、父の訃報を聞き飛んで帰ってきた、もちろん叔父と母が共謀して父を殺したとは知らず、父親の仇は花平一家と信じていると説明します。

(この辺りで、王次役の浦井さんが、下手通路の一番後ろの扉の辺りにスタンバイされます)

そこへ「遅れてすまねぇ」と一人の百姓が駆け込んできます。(紋太/九郎治役の阿部さんがこの百姓も演じます)

「来る途中、いやに話の面白い男に呼び止められちまって」と言って、「あんたはあっしを知らないが、あっしはあんたを知ってるよ♪ と、節つきなんだね」と言いながら、あのAGCの一生さんのなんだしのCMのダンスをするので、初日は一番笑いが起きたかもしれないです。(初日って観客も緊張しているからか、あまり笑いは起きずに息をつめて観ていたように思います)(これ、10年くらい経って映像を観たら、観客がなんで笑ってるのかわからないだろうな、と書いてから、無観客収録だったことを思い出しました・・・・うわーん)

そして、その男からお化けの扮装をする帆待稼ぎをしないかと持ちかけられた話をして、お化けなんて季節外れだとかの会話をしながら暗転、ここで王次の登場となります。

 

9.浮気もの、汝の名は女

スポットライトを浴びて、下手客席通路から浦井さん演じる王次が、キラキラとオーラを放ちながら小走りに登場します!(いい香りがします)

「紋太一家の跡取りがけえってきたんだ、きじるしの王次さまのお帰りよ!うし屋の女、みんな来い!」と言って、A列(4列目)センターブロックやや下手サイドに座っているお客さんに、初日は足をがっと乗せた感じでしたが、やがてお客さんに抱きつくようなスタイルになりました。私は初日Aのセンターだったので、あと下手側に3席位寄っていたらうし屋の女になれたはず・・・(笑)。

そしてステージに上がり、「浮気もの、汝の名は女」の歌を、女郎たちと歌い踊り、若い者たちに神輿に担がれたり、天井からはカラフルな提灯ぶら下がるお祭り騒ぎになります。

(これを言うとあれなんですけど、初日、三世次のブルースがなかなか難しい曲でハラハラしながら聴いてしまったので、浦井さんの王次の歌を聴いて、なんかすごく安心しました(笑)。ミュージカルスター来た!!!って。もう出てきた瞬間華やか、安定感のある歌とダンスでした)

三世次と対になる王次ですが、歌に関しても間逆で、三世次は独唱ですが、王次はこの「浮気もの~」の歌は皆で楽しく歌い踊り、次の「問題ソング」は王次が歌いだすと次第に周囲がつられて、みんなを巻き込んで歌い踊るものになっていて、上に立つ人間であり、仲間を大事にする愛されキャラの王次と、仲間のいない孤独な三世次の対比が際立ちます。

浮気ものの歌を歌い終わると、王次は女郎二人を相手に濡れ場を始めますが、なかなか際どい(女郎の一人が王次の脚をなめるとか)場面です。が、私の目は屋根の上のみよにゃんこに釘づけなので、円盤出たら王次の濡れ場はじっくり見ますです・・・。

屋根の上に、お化けに扮した百姓と三世次がいて、三世次は一生懸命百姓にお化けのやり方の説明をしていて(手はこうやって手のひらは内側だよ、とかの身ぶり手ぶり)とても可愛いです。

(亡き父王の亡霊が出て、息子に叔父に殺された死の真相を告げ復讐を迫るのは「ハムレット」)

そして灯りが消えて驚く王次と、「よし、行け!」って感じでお化けにキュー出して嬉しそうに横に離れる三世次。百姓は三世次に言われた通りに「わしは花平一家に殺されたことになっている。だがそれは嘘なのだ」と話しますが、その内容に驚いて三世次に「ほんとですかい?」と聞いてしまい、ニコニコして見守っていた三世次が慌てて「ほんとうだよ、ばか。聞き返すやつがあるか!」と言うと、百姓はそのまま「ほんとうだよ、ばか。聞き返すやつがあるか!」と言ってしまいます。ここは王次が自分に言われたと思って「ごめんよ」と謝りますが、また百姓が三世次に言われた通りに紋太の死の真相を語る中で、お文がそそのかしたことを知って「へぇ、そうだったんですか」と言ってしまい、王次は「俺の台詞まで取ることはねぇだろう」と言い、三世次は百姓に怒ってぺしっとひっぱたくという、コメディシーンがとても可愛い。一生さんのコメディってとても面白いといつも思っています。そして三世次が「姦夫姦婦に復讐しろ」とプロンプつけると、百姓は「かんぷかんぷって?」と聞き返してしまい、怒った三世次がとび蹴りを食らわせます(可愛い)。痛さのあまり百姓が「痛てっ」と足を持ち上げ、王次が「お化けにどうして足が?」と気がついてしまったので、三世次は「大事なところで足をだしやがった、コケコッコー」と一番鶏が鳴いているとごまかして、お化け役の百姓を引っ張って消える。とにかく企みが上手く行ったとニコニコしている三世次がとても可愛いです。子供がいたずらが上手く行ったと無邪気に喜んでいる感じ。

一方王次は、自分にはあんなに優しい母親、頼もしい叔父が悪党だったことにショックを受け、ものには二面、裏と表があるんだな、と嘆きます。

 

10.問題性の連続

紋太一家の座敷で、九郎治がお文と、若い者を集めてこれまでの経緯の話をします。屋根の上のみよにゃんこも最初、聞いています。(これ、阿部さんはお化け役の百姓から九郎治に早変わり、結構時間がタイトで大変だったと思います)

九郎治が、兄の持ちものを何一つ失わず守るために、義理の姉であるお文を女房にすることなどを語っているところに、上手から王次が登場、上手でごろっと横になります。そして九郎治が、花平一家はお里が性悪で、幕兵衛と浮気をして花平を殺させたのだろうと言うと、王次は涙を流し、その涙を拭くとぱっと表情が変わって気の触れたような顔になります。(私は下手側の席が多くて、なかなか王次の表情が見えなかったのですが、上手になった時に双眼鏡で見て、この表情の切り替わり、ドキっとしました)

そして王次に目を止めた九郎治が、「俺の甥っ子でもあり倅でもある王次よ」と声をかけると王次は「俺があんたの息子か、息子でないか、それが問題だ」といい、その後も呼びかけられた台詞に対し「後ろ盾か前だてか」「大か小か」「若親分か馬鹿親分か」とAかBをあげては「問題だ」と言い募り、九郎治が王次は親父が死んだことが堪えているというと「そう、死んだのか、殺されたのか、それも問題だ」と言って、「問題ソング」を歌います。王次が歌いだすと、だんだん周りの若い衆も巻き込まれて歌い、揃って踊りだします。(この世の関節が外れたのか(ハムレットの台詞)のところのダンスが可愛い)そしてはしゃぎながら退場、残されたお文、九郎治と、手下のぼろ安は王次が紋太の死の真相に気付いたのか不安になり、王次の許嫁でぼろ安の娘でもあるお冬を使って確かめようとします(お冬=オフィーリア、ぼろ安=ポローニアス)。その相談をしながら、王次の「AかBか問題だ」という癖がみんなにうつってそういう話し方をしてしまうコメディな場面にもなっています。

3人が退出し、王次と隊長(進行係として)の二人の場面。隊長は、王次が母親が神聖な女神ではなくただの女と知って衝撃を受け、to be, or not to be, that is the question!という心境だと説明します。(ここで観客の笑いが起きる)

ここから天保の王次の見せ場の、過去のその独白の翻訳を並べ立てる場面です。おしまいの日本で最も古い訳として「アリマス、アリマセン、アレハナンデスカ。モシ、モットダイジョウブ、アタマ、ナカ、イタイ、アリマス」を言うと笑いと拍手が起こります。(各翻訳の場面、観客は笑うけど、王次は真剣に悩む表情やポーズをして翻訳を言います)

この翻訳を言っているところに、こっそりぼろ安が入ってきて屏風の後ろに隠れ、そこにお冬が風呂敷包みを持って入ってきます。そのお冬に王次は「お前は身持ちが固いか、別嬪か」と問い掛け、お冬が縫った春の袷を王次に着せかけると、その袷をお冬に投げつけて「お冬、お前は頭がおかしいぜ!」といい、驚くお冬にたたみかけるように、「別嬪で身持ちが固い女などいるはずが無い、別嬪は虫がつくのを楽しみにしている、お前が身持ちが固いと言い張るなら尼寺へ行け、処女のままおいぼれてくたばればいい、自分を別嬪だと思っているなら女郎屋へ行け。お前は尼寺と女郎屋へは同時に行かれねぇ、だから頭がおかしいと言ったのさ。お冬、尼寺へ行け。でなきゃあ女郎屋へ行け。そうすれば裏切られる男がこの世から少なくともひとりは減る。もしも女郎屋へ行く気なら教えておくれ。俺も一度、お前の股の間に割りこませてもらうよ」と言い、お冬が泣き崩れる(?)と、見ていたぼろ安は思わず「可哀想なお冬。頭がおかしいのはどっちだ」と言ってしまい、それを聞きつけた王次に、刀で突かれて殺されてしまいます。(お冬の「助かるわね?」王次「助からねぇかな?」ぼろ安「それが問題だ」というコメディタッチで死にます)

 

ところで、藤田さんが王次を評して「誰よりもクレバーな男」と言っていたのですが、観たところ王次は三世次の思い通りに動かされてしまうし、お冬からあっさりお光に乗り換えるし、どちらかというと単純でおバカに感じます。でもこれは二面性の一方の部分。藤田さんが「クレバー」をどういう意味でおっしゃったかわかりませんが、一説にはcleverとは「賢い」「利口」とは言っても、「頭の回転が良い」「如才が無い」「ずるがしこい」「立ち回りが器用」という意味があるようです。

たしかに王次はAかBか問題だと悩んでいるようで、案外決断が早く、思い切りがいい、悪く言えば切り捨てが早い人物のように感じました。

実は王次は決断で迷っていることはないんじゃないだろうか。惚れたお光のところへ討ち入りに行かないといけない時も「お光を斬らなくちゃいけねぇのかよ。俺の恋はどれもこれもどうもうまくまとまらねぇな。(目を輝かせて)行くぜ!」とあっさり紋太一家の若親分である立場を優先できる。叔父を仇として狙うのも、ハムレットに倣うとすると、気が違ったふりをして仇を討つチャンスを狙ったが、九郎治と間違ってぼろ安を殺してしまったことでそのチャンスが失われたと判断して、いったん作戦は中止したのでしょうか?(実際あれ以上仇討ちに固執した場合、三世次の筋書き通り紋太一家は内部崩壊して花平にやられてしまうので、まずは花平との戦いに勝たないといけないという判断なのかも?)

・・・単にハムレットロミオとジュリエットを王次に追わせたが故の統一性の無さなだけかもしれませんが・・・。

この考察はこのあとの場面に続きます。