★お気楽日記★

アリとキリギリスでは断然キリギリスです。 うさぎとかめなら、確実にうさぎです。 でも跳ねる趣味はありません。

野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」シーンごと感想⑦

 野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」各場面の感想、続きです。

crearose.hatenablog.com

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(戯曲には完全な闇と書いてあるけど、ここ暗転はしなかった気がします。ブレヒト幕走って、開くと、台に横たわるmonoの後ろにアンサンブルさんたちが列に並んでいます。照明でその列が光の道で照らされています)

 

死者たちの声が「皆来」「皆来」とアタイを呼び、オタコ姐さんはアタイに死者の声だけを聞き分けるように言います。アタイは、イタコ昇格試験はまだ続いていたのかと驚きます。

列になったアンサンブルさんたちは、monoの匣に挿したイヤホーンでかわるがわる中の声を聞いて、下手に去っていきます。

(戯曲では上手と下手に去るものに分かれる、つまり死者と生者に分かれる、抱き合って別れて行く者も、というように書かれていますが、みんな死者として下手に消えました。お一人、台を撤収要員のアンサンブルさん以外は)

 

楽が「何が始まってるの?パパ」と聞くと「この闇の中で、死んでいく者と生きていく者の声に分かれていく」とmonoが答え、オタコ姐さんが「その声を聞き分けなくちゃならないんだよ、名代イタコになるからは」と言います。

 

そして列の順番がアブラハムたちの番になり、彼らもイヤホーンをつけると、三日坊主「オレの声だ」アブラハム「ああ、俺の声だ」「やっぱり俺たちはローゼンクランツとギルデンスターン」「届けた先で死者に還っていく運命だったのか」オタコ姐さん「あ、あたしの声も入っている」と言って死者の道に去っていきます。

 

フェイクスピアが「目に見えないマコトノ葉が、だんだん姿を見せて来た。聞こえてくるマコトノ葉は、フィクション!ではない。ノン、ノン、ノンフィクションのコトノハの一群」と言うと、楽が「お前、バカ息子じゃないな」と見抜きます。

 

monoは台から落ちるように下に降り、命が尽きそうな小動物がなんとか逃れようと苦闘するみたいに匣を抱えて、舞台奥に這うように向かいます。

 

シェイクスピアは「そうだ、このシェイクスピア元々息子なんていない。これが一番恐れた悲劇。呼んでいない悲劇。世界一の劇作家は、絶対にあの匣を開けさせない。フィクション!に生きて来た私が許さない。やがて飛ぶお前たちの飛行機の尾翼にしがみついてでも、その夜間飛行を阻止してやる」と言います。

 

(このシェイクスピアの台詞をどう解釈するか。シェイクスピアに元々息子がいない、呼んでいない悲劇」をメタファーと解釈すると、息子=フェイクスピア=フェイク、であって、フィクションを生み出す創造者は元々、言葉をフェイクにするつもりはなかった、呼んでいない=そんなこと意図していなかったのに、言葉が人間によって解釈がゆがめられ、フェイクにされてしまった悲劇とも取れます。

一方で史実から見ると、シェイクスピアにはハムネットという息子がいたのですが、11歳で病没し、シェイクスピアはその死に目に間に合いませんでした。元々いない、という台詞は史実とは異なるので、上記のメタファーの要素が強いのかとは思いますが、息子を死に目にも会えず亡くしてしまったシェイクスピアは、息子にマコトノ葉を遺せるmonoへの嫉妬から、絶対にあの匣を開けさせないと言っているとも取れます。

シェイクスピア作品の解説をHPにされている方のサイト。(ハムレットの解説)。ネットで拾いました。(天保の時に予習する時にもこのブログにお世話になりました)

ハムレット Hamlet 最後の方の段落参照)

 

アタイは「世界一の劇作家のプライドなんか、掃いて捨ててやるがいい。楽、これからアタイが一世一代の昇格試験、あなたの父さんにのりうつって見せる。だからまずは一生に一度の二回目のお願い、母さん出て来て、アタイの中に!トランジットしたいの」

と叫びます。

(アタイってぼーっとしてて可愛いかと思いきや、たまにこうカッコよくなりますね。ところでこれはきっと私の日本語が間違ってるんだろうけど、アタイがmonoにのりうつるというのに違和感を感じる。父さんをのりうつらせて、と受け身になる気がするけど、きっと私が間違ってるのよね。それともこれも何かの伏線??)

 

ブレヒト幕が走り、白石さんがアタイから伝説のイタコになっています。

そして「今度こそ、そのお前の同級生の父親に乗り移ればいいんだね、だったら同級生、あんたも、この妄想の飛行機にトランジットしな」と言います。

そしてブレヒト幕が走ると、伝説のイタコのいた場所に、白の半そでシャツに紺のネクタイのパイロット姿のmonoが匣を手にして立っています。

(下手前方袖席だった時、ブレヒト幕の目隠しが角度的に間に合わなくて、一生さんが茶色のジャケット脱がんとしているところが見えました。そりゃあのタイミングで脱ぎださないと間に合わないよね)

 

monoは舞台前方にしゃがんでいる楽のところにやってきて「楽。夜間飛行に飛び立つぞ」と笑って、楽の横にしゃがみます。

なにそれ?という楽に(ここの楽は3歳)monoは緑の紙のマコトノ葉を取り出して「星の王子さまは、お前が、……もう少し大きくなったら一緒に読もうと思っていた。キツネが言う、「いちばん大切なものは目に見えない」その目に見えないものって何だろう、あれからずっと考えていた。(匣にハッパを仕舞って)そこで、この匣をようやくお前に贈呈いたします」と言います。

 

(前田さんが星の王子様を演じたため、サン=テグジュペリの作品では「星の王子さま」引用の印象が強くなっていますが、ここで出てきた「夜間飛行」もかなりキーになる作品だと思います。「夜間飛行」は航空便の発展の為に、会社が夜間にフライトをする危険を冒していて、結果的に夜間飛行をしたパイロットは嵐により帰還出来なかった(消息不明)のですが、その悲劇を乗り越えて、夜間飛行を中止することなく果敢に今後も航空便を発展させようとする上司?ボス?のお話です。まさに、苦難を乗り越えて行け、「頭を上げろ」というパワー。一方「星の王子さま」も「大切なものは目に見えない」ばかりが強調されていますが、ラスト、王子さまは自分を待っている愛するもの(バラ)への責任を果たすため、死んで?故郷に戻る(いったん愛を与えてしまって自分を待っているもののためになんとしても帰る責任)ので、そのイメージも入っているような気がします)

 

ボイスレコーダーだよねと目を輝かせる楽にmonoは、「パパが最後に残した言の葉だよ。この言の葉も目に見えない。ここから流れ出した言の葉は、音になって消える。消えた言の葉には重力が無い。だから天に向かって舞い上がる。その言の葉は、目に見えないまま天空の高みに消えていく」と言い、楽は「やっと聞こえてきたのに、パパはどこかへ行ってしまうのか、コトバと一緒に」と嘆き、monoは「パパは飛行機に乗って、帰っていく」と、かろうじて微笑みながら言いますが、楽が「もう少し僕とここにいて、パパ」と甘えると、「……いられないんだ。パパは神様からの使いの「mono」だから」と声を震わせます。

 

(ここの一生さんのお芝居が6月半ばくらいからどんどんエモーショナルになって行きました。一生さん、泣かせどころだと思ったでしょ!!正解だよ!!! monoのエモーショナルな芝居を受け止めるには、楽の橋爪さんが本当に可愛い3歳児でなくてはならないんだけど、本当に可愛い3歳児なので、一生さんもそれに合わせてエモーショナルなパパになった気がします。行かないでじゃなくて、「もう少し」僕といて、という聞き分けの良い3歳が余計に憐みを誘う)

 

三日坊主とアブラハムが髪型はそのまま(笑)、monoと同じパイロットの服装で、オタコ姐さんもあの髪型で客室乗務員の服装に変わって舞台に登場します。

三日坊主とアブラハムが「神様からのシシャ、最初からそう言っているのに誰も信じない」というのに、オタコ姐さんは、あたしは信じていた、神様からの「死者」、死人だろと言います。そして三日坊主に、先に空港カウンターに荷物を預けておいたと言い、定年したら退職旅行に行くと決めていたという三日坊主に、「ひい、ふう、夫婦だったの?」と驚くアブラハム

 

今まで烏やイタコを演じていたアンサンブルの方々も、白シャツなどのシンプルでモノトーンな感じの服装に着替え、キャスター付き椅子を持って舞台にやってきます。(椅子を2つ持ってくる人もいる←monoの分)この椅子を3×6列くらいで観客に対面するように並べて、アンサンブルさんは乗客となって、椅子に座ります。最前列が機長や副操縦士航空機関士のシートです。オタコ姐さんはそのすぐ後ろ上手側に座ります。

また、白いパイプ棒を各横一列に渡して持ちます。(機体がダッチロールして揺れたり、緊急体勢を取るのにしがみついたりする表現に使います)

 

楽が「その飛行機で帰っていくの?」と聞くと、monoは「ああ。でも、パパが帰っても、パパの声は残るよ。この匣の蓋を開ければ、いつでも聞こえてくる」と言って、楽に匣を渡します。

楽が匣を開けると、空港ロビーの雑音と、JAL123便への搭乗アナウンスのSEが流れます。

(ああ、もう完璧にあの日航機事故をやるんだな、やはり123便なんだなとつき落とされるアナウンス。だいたい123便なんて覚えやすすぎるし、この後のCVRの再現でも「ジャパンエアワンツースリー」ってゴロが良すぎる!)

 

その搭乗アナウンスで、楽のそばを離れ、キャスター椅子で見立てたコクピットシートに座るmono。

ちなみに座席位置は、下手に航空機関士の三日坊主、真ん中に副操縦士アブラハム、上手に機長のmonoが座ります。それがこの後のCVR再現場面で機体がダッチロールする過程で、副操縦士と機長の座席位置が入れ替わります。これは本来機長は左で副操縦士は右なのに、monoが主役だから真ん中なのではなく(航空機関士の位置をずらせばなんにせよ真ん中に出来るけど)実際、JL123では副操縦士の機長への「昇格試験」が行われていて機長の席に副操縦士が座ったので、左がアブラハムで右がmonoの席になっています。(そしてこのことも事故後、非難の対象となりました)

 

舞台前方で「パパはその飛行機を操縦していたの?」と楽が聞くと、monoはシートでシートベルトをしたり機器を操作するパントマイムをしながら「うん、パパはサン=テグジュペリ星の王子さまと一緒に空を飛んでいたパイロットだ」と答え、楽は「夜間飛行が大好きで、夜空に行方不明になった星の王子さまのパパだね」と言うと、「どこかに不時着して、星の王子さまと会っているよ」と言います。

 

3歳の息子を置いてもう空に還っていかないといけない悲しさ、辛さは、シートに着く前までに表現して、ここでは息子向けパパのお仕事見学会みたいな感じで明るく会話します。かっこいいmonoパパ機長。

 

八百屋舞台の山の上に、下手に星の王子さま、上手にシェイクスピアが立ちます。二人の間にあの白い尾翼の骨組みが置かれます。

 

「ずっとずっと、お前に言いたかったことをやっと言えた。だからありがとうって言っておいて」とmonoが言うと「誰に?」と楽が尋ね、「僕を呼んでくれた、お前の同級生に」とmonoが答えます。

 

シートに座ってからは、monoは思い残す感じがないように明るいです。

星の王子さまは、お前が、もう少し大きくなったら一緒に読もうと思っていた」の部分から「……いられないんだ。パパは神様からの使いの「mono」だから」までが、息子を残していくmonoの悲しみを表現するシーン。

「ずっとずっと、お前に言いたかったことをやっと言えた」とmonoは言っていますが、「言える」ではなく、「言えた」と過去系なのは、CVRの言葉以外に何かあったのかしら?

星の王子さまは、お前が、もう少し大きくなったら一緒に読もうと思っていた。キツネが言う、「いちばん大切なものは目に見えない」その目に見えないものって何だろう、あれからずっと考えていた。(匣にハッパを仕舞って)そこで、この匣をようやくお前に贈呈いたします」の箇所なのかなあ。(なんとなく。ここ、一生さん台詞忘れた?とちょっとドキっとするくらい溜めがあったので)

楽が大きくなるのを楽しみにしていた、一緒にやりたいことがあった、一番大切なものは目に見えない、CVRを聞いて大切なものがそれとは言葉には表現されていないけど、心をちゃんと見抜いて欲しい(頭を上げろ=生きろ)ということでしょうか。

 

八百屋舞台てっぺんでは星の王子さまシェイクスピアが尾翼を両サイドから持ち、ガタガタと揺らしながら叫びます。

シェ「あいつこれからこの524の「生」と「死」を背負うことに、フィ、フィ、フィクション!」

星「フィクションという名の怨霊め、まだそんなところにくらいついていたのか」

シェ「シェイクの一念、おめおめ引き下がられおんりょう(おられよう)かあ~!」

星「だったら作ればいいさ、フィクションを、口から出まかせ」

シェ「それならおまかせ、憚りながら、生と死を背負ったハムレットさながら、”to be or not to be”と言いながら、to be ,T、O、B、E、飛べ、飛べとは、心ながらに覚え侍りし心のままにそう思われました、ということ?)

星「フェイクの中で生きる君たち、言の葉をもてあそび、人の命をもてあそぶ。けれども「生と死」のぎりぎりの水平線を見ている人の口からは、そんな言の葉は、微塵もでてこない。フェイクの中で生きる君たちと違って」

シェ「フェイクと呼ぶな、私はシェイク。シェイクスピアだ。休息万病(くそくまんびょう=くしゃみの語源とも言われる、くしゃみで悪霊がとりついて早死にしないよう唱える「くさめ」の語源)、フィクションという名の怨霊、あの世に置いてかれてなるものか」

星「置いてかれてなるものさ。置いて枯れたフィクションの森の最後のひと葉、それが僕。言葉が消える日、こころも消える」

ここで星の王子さま、アイドルのようにポーズを取って八百屋舞台から山の向こうに消える。爆発音。

シェ「うわ!この世とあの世をシェイクするのは私が創った言の葉。フィクションが揺るがす。だのに何故フィクションが揺れる揺らされる、何故にフィクションがシェイクされるんだ、私の言の葉はフェイクなんかじゃ……」

爆発音。シェイクスピアも退場。

 

ここ、私はだいたい3~5列目くらいで見ていたので、実は乗客役のアンサンブルさんに隠れてお二人の芝居がよく見えない&目の前の一生さんをどうしても見ちゃうので、大事であろう場面なのに印象が薄くなっております(笑)。

私の分類の印象では、ノンフィクション=リアルな言葉フィクション=事実ではない、実際に起きたことではないが、事の本質を書こうと作りだされた物語シェイクスピアらの作品、フェイク=フェイクニュースなどにあるように真実を伝えないもの、事実を誤解させるもの、と思っています。

シェイクスピアは自分の物語は人の本質を表わしたりするものだと自負はしているけど、ノンフィクションのリアルな言葉には敵わないのではないかと恐れている、でも王子さまにはフィクションだって口から出まかせのフェイクだと言われているということでしょうか。

一生さんもインタビューで自分のやっていること(芝居)はフェイクと言ったりしているので、それは自虐なのかしら?

私はフェイクとフィクションには違いがあると思いますが・・・。

 

お二人のこのやりとりの応酬の間、monoたちは無言(もしくは聞こえない程度の小声で)で順調な飛行機の操縦シーンを演じています。mono機長とアブラハム副操縦士がなごやかに談笑してたり。(大阪前楽では更に談笑シーンが楽しげに・・・めちゃ笑いあってた・・・)

前にも書きましたが、アタイと楽の同級生の会話で「分け目分け目」が「喚け喚け」だと気付いて笑ったり、シェイクスピアのものまねをしたり、アブラハムたちに「お得意の烏の真似」と言って手をパタパタさせたり、青年monoはお調子者の友達の横で一緒におちゃらけてるのが似合うような可愛い子で、それがパパになると、幸せそうで、パパになってしっかりしたね、変わったね、って言われる雰囲気なので、ここも、フライトは日常で、この時も「今日の夕飯なにかなー、楽はもう寝てるかなー」とかそんなこと考えながら飛んでいるんだろうなと思うと、この後突然、524人の命を背負わされたキャプテンになって、運命と戦わなくちゃいけなかった悲劇がつらいです。

そしてキャプテンmonoはとてもカッコイイです。monoたん第三形態。(第二形態はパパ)

 

そしてこの後、例のコトバの一群の引用が始まります。(圧巻)

 

続きます。

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