★お気楽日記★

アリとキリギリスでは断然キリギリスです。 うさぎとかめなら、確実にうさぎです。 でも跳ねる趣味はありません。

野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」シーンごと感想⑤

 野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」各場面の感想、続きです。

crearose.hatenablog.com

 サーニット粘土で作ったイセフキンちゃんとポスターの記念撮影。

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(ピンクのベロ付き)

 

(続き)

ト書きには「mono、大木の下で眠る」とあるのですが、眠るというより力尽きて気を失う感じでした。

そしてブレヒト幕が走ると、monoは布団で寝ていて、他にも布団で数名寝ています。(さっきの場面でイタコが寝ている時よりは少ない。楽とアブラハムと三日坊主だけだったかな?)

 

monoは飛び起きると、匣が消えたと騒ぎます。隣で寝ていた楽は起き上がり「なにが消えたの」と冷めた感じで尋ねます。

(橋爪さんは3歳の楽と69歳の楽と演じますが、反抗的な高校生ノリの楽もあるような・・・)

そして、「がんばれがんばれ」「気合を入れろ」なんて時代遅れの言葉で、死のうと思っている僕の気持ちを引き留められると本気で考えているのかと言うので、monoは「お前、反抗期か?」とムッとして、客席の笑いを誘います。

 

楽は、そんなことより何でパパが死んでしまったのか、それを知りたいと。

「生意気言うな、お前は父親の背中だけ見ていればいいんだ」と言って、monoがちらっと背中を楽に向けるのが(向かい合って話していたところからの瞬間回転しての背中見せ)可愛いったらない。

可愛いから見過ごされがちだけど、父親の死因を知りたいのが何故生意気になるのかしらと思いましたが、これはその前の時代遅れの言葉で引き留められないにかかるのかな?(そしてmono自身この時は自分の死因を覚えていなくて、生意気言うなとごまかそうとしているのでしょう)

 

言い争いながら「初めての親子喧嘩だ」と気付いてちょっと照れる楽。monoはややむっとしながら「パパは愚鈍な魂かもしれない。あの匣を探しに下山する。取り返して、それからお前に贈呈する。それだけだ」と言うと、下手袖に向けてズンズンと歩きだし、その背中に楽は「年寄り!リア王頑固一徹!」」と悪口を言います。

その瞬間、monoが「そうか」とくるっと踵を返して楽に向かってくるので、楽は慌てて「あ、ちょっとごめんなさい、言い過ぎた」と否定します。

 

しかし楽のそんな言葉にはかまわず「楽、僕は君の父の亡霊だったからといって、もう死ぬものだと決めていた。この盂蘭盆が終わったら盆から先には、消えていう魂だと諦めていた。だめだ。僕は生きる……何を勘違いしていた。あの匣は、ただ僕と君だけのものではない。はっきりとしてきた」とまくしたて、そばで布団をかぶって寝ていた三日坊主とアブラハムを起こします。

 

後になって、アブラハム副操縦士、三日坊主が航空機関士、オタコ姐さんが客室乗務員だったことがわかりますが、この時点でmonoはCVRが自分だけのものではなく、彼らのものでもあることを思い出します。

(2回目の森で神様が目を瞑る話の場面で一生さんが声色を色々使い分けていたの、神様がmonoで私が野田さんとか、主語が変わるのを表わしているのかなと思いましたが、CVRに収められている声がこの4人のものであるということを表わしていたのかもしれません)

 

 monoは二人に、僕たちは仲間で、あの匣を盗もうとしたのも自分のもののような気がしたからだろう、一緒に僕たちの匣を探しに行こうと誘います。

この会話で「人を喰ったような顔をして」と、monoはまた顔の話をされます。

きっと野田さんの中で「顔を見て、見た相手が心情などを推測する」というのが意味があることなんでしょうね。(「本当に大切なことは目に見えない」というフレーズに対抗するのか、それとも楽に贈呈するCVRも、直接メッセージを述べていないけど、それを聞いて心情を推測するという共通点?)

 

 monoはいいことを思いついた子供みたいにウキウキと「こちら(上手)の道を下りて行こう。何度も同じところへ戻ってきてしまうのは、あの道(下手)を下りているからだ。またあの死者の道を下りて行ったら同じ轍を踏む」と身振り手振りで言い、アブラハムと三日坊主に自分を「言葉ドロボー」と追いかけてくれるように頼みます。「お得意の烏の真似をして。オトリ逮捕だ」と嬉しそうに手をパタパタしてトリの真似をします(可愛い。monoって基本的に可愛い子。クラスでお調子者の男子のグループの3番目くらいにいる感じ。こんな子が幸せなパパになってパパらしくなったねーって感じだったのに、ある日突然524人の命を背負わされたキャプテンになって、運命と戦わなくちゃいけなかった悲劇)。

 

追われればあの匣の落ちた場所に自分は追い詰められるだろうというmonoに、逮捕されて裁かれると心配する使者二人。

「そうだ、捕まって神様の裁きに出ていく。神様と対峙してやるんだ、闘ってやるんだ。楽、パパは目の前の「死」から逃げない。生きてみせる。だって楽、パパは生きていた方がいいだろう」とハイになっているmonoに、楽は「うん…でも今パパが下山したら、僕の同級生はどうなる?」とアタイの心配をします。

ここの温度差、リアルだなあと思いました(笑)。息子の方はまだパパがいなくなってしまう現実感が無くて、同級生の方が気掛かりだという。(クライマックス前に3歳に戻った時はちゃんとパパにいてほしがるんだけど)

 

 今日行われるアタイの昇格試験の心配をする楽に、ちょっと困って、試験の時間までには戻ってくるというmono。上手袖に向かって駆けだすmonoに楽は「駅前の焼鳥屋に行くのとは違うぞ」と叫びますが、monoは行ってしまいます。

そのmonoの後を「どうする?」「焼鳥屋に行くか」「ドロボー」と追いかけて上手にはける、三日坊主とアブラハム。(自分の寝ていた布団を抱えて)

 

その上手から入れ違いに、目隠しをした3人の男性(昇格試験の試験官)が自分らが座る椅子を持ってやってきます。

そして今横を通ったのはどっちから上って来たのかと楽に尋ね、上って来た方から下りて行かないと死んでしまうと言います。

試験がもう始まりそうなので、楽は慌ててmonoを呼びに行こうと上手の道を行こうとしますが、そこに目隠しして準備万端のアタイがやってきてしまい、試験が始まってしまいます。

 

そのとたん、舞台は真っ暗になり何も見えません。

アタイとイタコたちは、真っ暗と思うのは楽だけで、目の見えないイタコにはこの「闇」はいつもと変わらない、ただこれから聞こえる「声」の中に「死んだ者の声」が混じってくると言います。

暗闇の中、御簾が運ばれてきます。御簾の中にあの伝説のイタコがいて、そこに光源があるので(前田さんが何か光るものを持っている?)ぼんやりその姿が客席から見えます。

 

「その死者の「声」を聞き分けることができた時、無事、死者を口寄せできたと、イタコ合格の太鼓判が押されるのです」と伝説のイタコが御簾の中から言うのに「今の声!」とはっとして「どなたですか?」と聞くアタイ。

オタコ姐さんの声で「本日の試験官を務めてくださるイタコ様、もちろん匿名希望」と答えがあり、伝説のイタコの本日のご説法として、一番大切なものは目に見えないなんて言うが、目の見えない人間にとっては、大切なものどころか全て目に見えない、見えている人間の勝手な思い込みから出たコトバで失礼な話だ、と語られます。

「その攻撃的な口調、お母さんだ!」と御簾に駆け寄るアタイ。

試験官をお母さんだなんてと非難するイタコたち。

「でもあの試験官のイタコの正体、オタコ姐さんならわかるよね」とアタイはオタコ姐さんに同意を求めますが、オタコ姐さんの声で「誰?オタコ姐さんて」と返ってきます。アタイは「何言ってんの姐さん」と驚きますが、オタコ姐さんの声で「そんな人いないよ」と言われ、アタイは「でもずっとアタイの傍に」と驚きますが「でも聞こえていたのは声だけでしょう?」というオタコ姐さんの声に「あたしはマチニイタコだ」「あたしはイツモイタコだよ」と他のイタコたちの声が混じりだし、オタコ姐さんの声に「ほら、死者の声が混じり始めた。その声をよく聞き分けなくては、太鼓判は押されないよ」と言われます。

 

 でもオタコ姐さんと、あの伝説のイタコは私の母さんだって話したじゃないかというアタイに、面白いやつだね、じゃあまずお前の口寄せを聞いてあげるという伝説のイタコ(の声)。

 

アタイと楽は、父の霊を降ろそうとします。

お父さまはご病気か何かで亡くなったのかと尋ねるアタイ。

暗闇の中、御簾がやや白く光り、あとはよく見えないのですが、目を凝らすと、このタイミングで、下手からパイロット姿(半そで白シャツに紺ネクタイ)のmonoが出てきて、まさに亡霊のように(顔は見えないのですが)うつろな感じで歩き、御簾の前に立ち止まると、伝説のイタコのいる御簾の中を、客席に背を向けてしばらく見つめます。

 

三歳の時に亡くなった父親がどうやって亡くなったのか、母親ははっきりと話してくれないが、と楽が暗闇で語るのを、monoは今度は楽の背後に移動して、楽の後ろにしばらく佇み見守ります。

子供のころに父を人殺しと呼ぶ人が家に押しかけてきたことがある、なんでも父が「どーんと行こうや」と行ったからだそうです、と語る楽。

お父様はかつての国王よね?と尋ねるアタイに「いえ、パイロットでした」という楽。

楽の背後に佇んでいたmono、またふらふらと移動し、下手に消えます。

ハムレットってそんな話だっけ?と驚くアタイに、子供のころ、空に憧れたけど母から執拗に止められ、地下鉄職員になったという楽。

 

ここで伝説のイタコに、なかなか父親が現れないことを指摘され、楽は焦りながら「そろそろ出てきていいよ、パパ、戻ってきている?」と呼びかけますが、monoはもう存在せず、「もはやこの恐山の山頂にはいないんだね、あなたのお父さんの霊」とアタイが呟き、舞台が明るくなります。(暗闇が長かったので、観ているこちらも眩しくてしかめっ面になるくらい)

 

明るくなった舞台ではオタコ姐さんもいなくなっていて、御簾は形を失って中に誰かを(役者さんは前田さんで伝説のイタコです)網のようになって閉じ込めたまま、アタイは3人の男性試験官に51回目のイタコ不合格の烙印が押されたことを宣言されます。

もうしばらくのご猶予をと陳情するアタイを見て、楽は父親の霊が自分に下りたように偽装しますが、「嘘はついてないよね」と試験官に問いただされ、3回目に問いただされた時に観念して「嘘つきました、すいません」と謝ります。

この3回目に問いただすタイミングで、試験管やイタコたちは、黒い目隠しを外しています。

「バレバレなんだよ」「みえみえなんだよ」とイタコ達に言われ、驚く楽。アタイに、昇格試験の日は伝統でイタコは早朝から目の見えない振りをするだけで、本当は見えていることを教えられ、楽は、そりゃそうだ、同級生の時、ブッチョウ(アタイの渾名)は目が見えていたと元気なく笑います。

そして「悲しいなあ、私には本当に父が見えていたのに、父が消えた」と言って、monoを探しに下山しようとします。

 

そこへ御簾の向こうから「お前が死者を追いたいのなら、この恐山で上って来た道の反対に下りていくしかない。”死”を賭けていくことになるよ」と声がし、アタイは「まだ、母さん、そこにいるのね!」と喜びます。

御簾の向こうから「下手!糞!ダブルだ。下手糞。お前は本当にダメなイタコだ」と言われ、アタイは「出来の悪い娘でごめんなさい。アタイ一人じゃ何もできない」と嘆きます。

「でもね、私はね、お前がダメでダメでどうしようもないバカだけど、かわいいんだよ」と御簾の向こうから慰められ、抱きあおうとしますが、抱きしめようと伸ばした腕は宙を泳いで「ああダメだ。母さんの身体がない」と嘆くと、御簾から「何が望みなんだい?」と尋ねられ、アタイは「アタイは母さんと会えなくてもいいから、あの同級生の為に、アタイに出てきて」と懇願します。

 

そして、ブレヒト幕が走り、御簾の中に居た前田さん(伝説のイタコ)が消え、代わりに白石さん(アタイ)が御簾の中に入っています。

 

この昇格試験のシーン、とても解釈が難しいなと悩んでいます。

(昇格試験というモチーフに関しては、事故機のJAL123便の副操縦士機長への昇格試験の為に、当日機長の席に座っていた(このことがさらにクルーへのバッシングにつながった)ことから来ているのかもと思います)

 

なぜ、あんなに饒舌だったmonoがこの場面では一言も話さなかったのか。

また、ここに来て服装がパイロット姿になっていたのは何故か。

monoは何故、御簾の中の伝説のイタコをみつめていたのか。

伝説のイタコとは、オタコ姐さんは何者か。

初登場のシーンでは「この子の母親」と自分から言っていた伝説のイタコが、何故試験中はアタイに「お母さんだ」と言われても答えなかったのか、何故オタコ姐さんは「そんな人いないよ」と存在を消したのか。

 

monoがここにきてパイロット姿になったのは、自分の死因を思い出したのか、それとも死んだ直後のちゃんとした亡霊の(?)monoが、時間軸をねじまげて呼び出されたのでしょうか。遺した家族の元に人殺しと非難する人々が押し寄せても、見守るしかできなかった亡霊。

(7/26追記:SNSで見て、なるほどと思った解釈。匣を奪われたmonoは声が無くなっているので、死者の夢では話せても亡霊のmonoは声が無い。声が無いとイタコには死者は見えない)

 

そしてそのmonoが見つめていた伝説のイタコは何者なのか。

戯曲の表記で不思議なのが、私もその通り「御簾の向こう」と書きましたが、演じているのは前田さんで伝説のイタコの格好をしているのですが、台詞の話者名が「御簾の向こうからの声」という表記になっているのです。(試験中は「伝説のイタコ」表記だったり、「伝説のイタコの声」表記になったりしています)

同様にオタコ姐さんもここでは「オタコ姐さんの声」という表記になっていて、さらに途中で「誰?オタコ姐さんって」「そんな人いないよ」「でも聞こえていたのは声だけでしょう」と自分で自分の存在を否定し、明転した時には舞台上から消えています。

そして、オタコ姐さんが楽とmonoに昇格試験に協力してくれるよう頼んだ時に発した「あたしはね、この子がダメでダメでどうしようもないバカだけど、かわいいんだよ」というのと同じ台詞が、この場面で御簾の向こうの伝説のイタコから語られます。

 

シンプルに、亡くなったアタイのお母さんが、出来の悪いアタイを見守っているうちに自分が優れたイタコになってしまった(前田さん)、アタイは出来が悪くても可愛らしいので、伝説のイタコも姉弟子(?)のオタコ姐さんも放っておけなくて、同じ心境で「ダメでバカだけど可愛い」と同じ台詞を呟いた、とも考えられます。

 

しかし、深読みすると、クライマックスでオタコ姐さんもJAL123便の客室乗務員だったことが判明します。(=アタイも3歳の時の事故)

オタコ姐さんがアタイの母であり、ある一面は伝説のイタコに、ある一面はオタコ姐さんになっていた、とも考えられます。

伝説のイタコは前田さんの姿で表わされますが、この舞台で前田さんが演じている他の役は「星の王子様」=こころのメタファー、「白い烏」=JAL123便のメタファーです。

伝説のイタコもアタイを見守る母(オタコ姐さん)のメタファーなのかもしれません。

「御簾の向こうからの声」も前田さんが演じていますが、中身はオタコ姐さんなのかもしれません。

試験中にmonoが伝説のイタコをずっと見つめていたのは、同じ仲間(事故機の乗務員であり、3歳の子を残して亡くなった親である)ということだったのか?

そして3歳の娘を遺して死ななければならなかったことを思い出した母親は、その負い目で(?)アタイに母親だと言えなかったのかも?

 

 2回目に伝説のイタコがアタイに乗り移った時、その場にオタコ姐さんもいて、だからこそオタコ姐さんが「あの伝説のイタコはあんたのお母さんだ」説を持ちだしたのですが、これはアブラハムや三日坊主同様、恐山では死者は自分の正体をなかなか思い出せないということと、これ、ちょっとスピ系の話になりますが、魂って分裂することもあって、前世がマリ―アントワネットだという人が何人も出てもそれは間違いじゃなくて、グループソウルは混ざりあってそこから分裂したりするらしいので、マリ―アントワネットも同時に何人かに生まれ変わったりするらしいです。(これ豆知識(笑))

だからアタイの母親も、オタコ姐さんと伝説のイタコに分裂したのかもしれないですね。

 

それと、戯曲を落ちついて読むと、前田さんの姿の伝説のイタコと星の王子様が見えているのは観客だけで、monoや楽にはあれ、みんなアタイの姿で見えているんですよね・・・。(シェイクスピアもですが)

アタイが口寄せで、伝説のイタコになったり、星の王子様になったり、シェイクスピアになったりしている。

(でもそう考えると、途中の笑う場面で、白石さんが「若いよ若いよ」って言うのをmonoがドン引きして、この前の伝説のイタコさん(前田さん)と雰囲気が違う、あの時の感じの人と会いたい、という流れがおかしくなっちゃうんですけどね・・・。観客は素直に、若くて可愛い前田さんと白石さんとで比較して、monoが若くて可愛い方を選んだと思って笑うけど、monoには両方とも白石さんで見えていたはず)

 

と、わからないことだらけの場面でした。

 

続きます。

 

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野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」シーンごと感想④

  野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」各場面の感想、続きです。

 

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 monoが目を覚ますと枕元にあの匣があり、この匣があるということは自分は夢を見ていたんだろう、「”山だ”、”降りるぞ”(またCVRからの台詞)下山しよう、僕が亡霊になる前に、この匣を息子に届けるんだ」とmonoは布団から飛び起きますが、「目覚める度にまたはっきりしてきた。息子はここにいるんだ、隣で眠っていたんだ」と気付いて隣の布団を覗きこみます。「パパ」と抱きついてくる楽(3歳)。

 

――と、二人、我に返って(それまでパパと3歳児だったのが)、これは恐山が見せる気の迷いで、昨日リア王コーデリアになったのと同じでばかばかしいと思おうとしますが、何故かそのように笑い飛ばせません。

 でも僕たちが父と息子だなんて、ないないない、と言いあっていると、上手からアタイとオタコ姐さんがやってくるのに気付き、二人はまた布団をかぶって寝たふりをします。

(ここで一生さんは膝を立てたまま布団に潜るのですが、なんでだろうなと思っています。ずっと布団をかぶっていると暑いから換気を良くしたいのでしょうか?←起き上がった時にすごい汗なので。他のアンサンブルの方は普通に足を伸ばして寝ています。一生さんは膝を立てるから、たまに足先まで布団が覆え無くて、足が丸見えの時もあります)

 

アタイとオタコ姐さんは、アタイが伝説のイタコの娘だという話をしながら歩いてきます。「ないないない」とアタイは否定しますが(先ほどのmonoと楽と同じ台詞)、オタコ姐さんは伝説のイタコがアタイの母だと言ったのを見たと主張します。

しかし、アタイは自分の母親は三歳の時に亡くなっていると反論します。

(これ、亡くなっているからこそアタイにとりつけると思うのですが・・・何でこういう台詞になったのだろう。「アタイのお母さんはイタコじゃ無かったです」とかではなく。まあ、話の都合上、ここで3歳で亡くなったという情報を出さないといけないからというのが大きいと思いますが。ただ、この後の会話で自分の母親がイタコだったかどうか知らないと出てくるので「お母さんはアタイが3歳の時に亡くなったので、イタコだったのかどうか知りません」的な台詞で良いんじゃないかと思うけど、どうなんだろう)

 

アタイがイタコ修行に来たのは死んだお母さんに会いたかったからであり、死んだお母さんはアタイがあまりにも出来が悪いからハラハラして見守っているうちに、自分が誰にでも乗り移れる有能なイタコになってしまったのではないかと推理するオタコ姐さん。

(この会話の最中に、布団で寝ていたイタコたちは朝を迎えてパラパラと目を覚まし、布団を畳みだす)

 

でもアタイに母が憑りついている時、アタイはどこに行ってるんだろうと疑問を持つアタイに、「あんたは消えるのよ、ばか」とオタコ姐さんが答えると、寝たふりをしていた楽が起き上がり「だったら、折角出て来たお母さんは誰に会えばいいんだ?」と言います。

そこなのよ、イタコだけが感動の再会が出来ないんだと嘆くアタイに、そんなにもお母さんに会いたかったんだなあ、という楽。楽も同じ境遇で三歳でお父さんを亡くしたから、一緒だ、って部室で盛り上がったじゃない、というアタイ。

それを聞いて「ああ……忘れてた…一緒だあ!…そういうことか……父を。ありがとう」と感慨深げに言う楽。オタコ姐さんが「でも何で今更呼び出したくなったの?」と尋ねると「たぶんあれだな、自殺する前くらい」とぽろっと言う楽。アタイとオタコ姐さんが驚いて言葉がないのを見て、「あれ?俺、なんていった?」と聞きます。

 

(死者であるmonoが記憶を無くしていて、何かの拍子に思い出すのはわかりますが、楽まで大事なことを恐山では忘れてしまっているのが気になります

自分の父親が三歳の時に亡くなったことや、自分が自殺しようとしていたこと、死ぬ前に父親に会ってみようと恐山に来たことなど、全部忘れていて。

自殺しようとしていた楽は、半分死者の世界に来ていたのか(だから死者の夢の中で記憶を無くし、目覚める度に少しずつ思い出す)、その楽の気配を感じて、永遠に目を瞑ったはずのmonoは目覚めて、二人でそれぞれの方向から恐山にたどり着いたのか

 

楽は、自殺しようとしていたのは妻(デズデモーナ)ではなく自分であり、そもそも自分は天涯孤独で妻も娘(コーデリア)もいない地下鉄職員だったことを思い出します。

退職してからもパンを片手に地下鉄のベンチに座って線路を見つめながら、飛び込むべきか飛びこまざるべきかと反問していたと。(オタコ姐さんが「地下鉄のハムレットね」と言い、やや笑いが起こる場面。ここ、楽の自殺願望の動機が書かれず希死念慮のような感じで処理されているので、人の死というヘビーな問題でありながら、大半の人には真実味が無くて笑いやすいのかも)

そして結局先にベンチの隣に座っていた男に飛びこまれてしまい、「人身事故でご迷惑をおかけしています」とアナウンスされ(その男の死は「ご迷惑」であると)、人々が舌打ちをするのを見て、誰ひとりその男の「死」を思わないんだと、なおさら死にたくなったと言います。

(この「死」を思うということ、のちにmono=プロメテウスの従兄が「死」を神から盗んで人間にもたらしたという部分に関係してくるのかも。「死」という概念を与えられて人間は初めて「死」に抗って生きようとするメメント森(違)(by怪奇大家族))

  

 

「その時、ふと背中を押された気がした」「え?飛び込んじゃったの?」「いや、ここに来るように、誰かが背中を押した。命を断つ前に、父と会っておけと」という会話をし、アタイは黒い目隠しをオタコ姐さんから受けとりながら、今日の昇格試験で楽のお父さんにのりうつるから、あなたはお父さんに会えるから、飛び込むなんてやめておけ、そう言われるよ、と請け負って、オタコ姐さんともども目隠しをしてうろうろと歩き去ります。

 

 そこでmonoは布団から起き上がり(ずっと布団をかぶっていたので汗が光ります❤)「もしも息子がいて、目の前で自殺をするなんて聞いたら、どんな気持ちがすると思う?」と言い、自分のここら(心)あたり(胸)をぎゅっと握って辛い顔をして「こんな気持ちだ。だからわかる。僕は君の父です」と言います。

楽と「パパ」「タノ」と呼びあい、「生まれてきた君の名前をはじめて呼んだ日のことを思い出した」と懐かしみます(monoの幸せそうな笑顔)。一方で楽は、パパと呼んだ日のことを覚えていないと寂しそうに。

 

「そしてこんな幸せな僕の記憶からいきなり悲しいお知らせです、楽」(この言い回し好き)「パパは亡霊だ。恐山の死者だ」「でなければ、この若さで君のパパのわけがない」というmono。

(ところでmonoの楽を呼ぶ「君」と「お前」の使い分けはなんだろう。最初は他人行儀に「君」だけど、子供の楽の記憶が思い出されてくると「お前」になるのかしら)

 

楽は自分の目にはmonoがはっきり見えているから生きていると反論しますが、monoは、見えるのは楽だけでイタコさんたちには見えていないと言います。アタイもイタコたちも黒い目隠しをしてうろうろ歩いていて、目が見えないことを表わしています。

それ(イタコは目が見えないこと)に気付いた楽が、何で自分が楽だってわかったかとアタイに尋ねると、声でわかったと。声が聞こえれば、そこに人が突然現れる。聞こえなければいなくなる。それがアタイたちの世界。生きていようが死んでいようが関係ない、声さえ出してくれれば、声がするからあっちが現れる、と。そう言ってイタコ達は去っていきます。

 

僕のことが見えているのはお前だけというmonoに、これは僕の夢?と聞く三歳児の楽。でなければ死者の夢だとmonoが答えると、そんな夢ないよという楽。

そこにシェイクスピアが現れて「死ぬ。眠る。眠る。おそらくは夢を見る。そこだつまずくのは。永の眠りにつき、そこでどんな夢を見る」と、「ハムレット」の一節(to be or not to beから続く一節)を唱えながら歩き、モスグリーンの防水コートをかぶった男たちが、探知機で地面から何かを探してうろつく。(日航機から落ちたCVRを探索する人々のイメージ)

 

「死者の夢は、醒める度にはっきりとして来る。そして本当に醒めきった時、僕は死者に還っていく。だから醒めきる前に、お前にこれを贈呈いたします」と言ってmonoは匣を楽に差し出します。

何が入っているのか聞く楽(3歳)に、「ホントのコトノハ、マコトノ葉。空からはらはらと落ちて来た言の葉、これを聞いて思い直しておくれ、今更自ら死ぬなんて」と言い、楽がワクワクしながら聞いてみてもいい?と匣を開けようとすると(愛おしげに見守るmonoパパ)、寝ていた三日坊主が素早くやってきてその匣を奪います。

 

唖然とするmonoに、下手からオタコ姐さんが走ってきて、泥棒~、そいつを捕まえて!と三日坊主を追い、monoは「そうか、僕は泥棒という言葉から逃げていたのじゃない。追いかけていたんだ。お前にあげるマコトノ葉を」と追いかけて八百屋舞台を越えて消えます。

舞台に、三日坊主とオタコ姐さんが走り込んで来て、舞台上をクロスするようにジグザグと、逃げる&追いかけて、「なんてね」「なんてな」と顔を見合わせてほくそ笑みます。三日坊主とオタコ姐さんはグルになった神様の死者で夫婦だったのです。

 

神様のコトノハを聞いてみようとするオタコ姐さんと、神様に返さないとダメ、これ、すごい手柄だからという三日坊主。

八百屋舞台の立っている板の影に、寝ているアブラハムがいて、烏たちと舞台奥に登場、三日坊主とオタコ姐さんが「(神様に匣を返しに行く時に)アブラハムは置いていこう(お手柄立てての退職金は夫婦水入らずの旅行代金にしよう)」と言っていると、慌てて飛び起きます。(オタコ姐さんは烏たちと、すっと山を越えて舞台上から消える)

 

飛び起きて「ひい、ふう、夫婦だったの」と呂律が回らない感じで言い、三日坊主に涎をふけと言われます。

俺が置いてかれる夢を見た、危なかった、でどこまでがホント?と聞いてくるアブラハムに、匣を手に入れたからさっさと下山しようという三日坊主。

どっちに下山するか、神様はどちらにいるかと二人が話しあっていると、ラッパーのバカ息子っぽいフェイクスピアが上手に現れ、「あ、じゃ、それ僕に届けて」とステップを踏みながら軽薄に言います。「それ、ほぼほぼ、僕のだから」と。

フェイクスピアが言うには、自分のパパが(コトバの)神様のシェイクスピアなので、この匣は相続権上、コトバの神様の息子の所有物。だから自分にはその中のコトバを聞く権利があると。

神様のところに持っていかないといけないから開けたらダメだと言うアブラハムたちを、この匣の声が「この匣を届けた二人は不届きものだから首を刎ねろ」というものだったらどうするんだと脅すフェイクスピア。

そんな意外な展開があるのかと驚く二人に、パパの知人でローゼンクランツとギルデンスターン(ハムレットの登場人物)という二人の使いの者は、お届け先で…(首をちょん切られた身振り)と言うフェイクスピア。(上手の端にアブラハムを追いつめながら)

そして「ローゼンクランツとギルデンスターン、アーブラハムとみっかぼーず」と無理やり同じイントネーションで名前を呼び、それを聞いて、同じ響きだと恐れるアブラハム。(あまりに無理やりなので客席から笑い)

フェ「でもそれが君たちの使命だったのかもしれない。時間泥棒の」ア「え~、俺たち、時間泥棒だったの?」三「嘘だよ、何、詐欺師が騙されてるんだ」ア「どこまでがホントなの~!もうやめて~!」という会話があり、フェイクスピアが「残念だけれど、今じゃそれがこの世の言の葉さ」と言います。

(時間泥棒と言えば、ミヒャエル・エンデの「モモ」ですが、主人公のモモがどこからかやってきて円形「劇場」に住みついた、記憶喪失っぽい?少女で、大切な時間を灰色の男たちに奪われて、人が時間に追われて人間らしい生活が出来なくなっていく(価値を失っていく)のを、主人公が取り戻す、みたいなストーリーだった気がするので、そこからの軽い連想で出してきた言葉でしょうか)

 

フェイクスピアは「言ったが勝ち。書き込んだが勝ち。それが今のコトバの価値」とラップで歌います。

(これは直球の、フェイクが横行しているSNS批判

そんな人間にホントのコトバ、マコトノ葉なんて必要ないと言いながら、下手で、フェイクスピアは三日坊主が持つ匣を手にしたい(聞きたい)と手を伸ばしますが、背の高い三日坊主は匣を高く掲げて触らせません。(ぴょんぴょん跳ねる野田さんに、客席笑う)

だから神様がこのマコトノ葉をこの世界から没収、と言いながらフェイクスピアが匣を奪いたいと三日坊主に足を引っ掛けて、OPのアンサンブルが倒れて木々(大木)が倒れたのを表わしたのと同様に(?)、三人はぱたーんと倒れて(三日坊主は腕を伸ばして、匣をフェイクスピアから遠ざけたまま)フェイクスピアは「誰も耳を貸さないこのマコトノ葉なんて、誰もいない森で倒れる大木の音のようなもの……な、その音を、聞いてみようよ」と二人をそそのかし、三人は舞台中央の前方で匣を囲んで蓋を開けます。

 すると匣から「がんばれ、がんばれ」という(monoの)声が漏れ、慌てて蓋を閉めます。なに、今の?と恐る恐るもう一度開けると「どーんといこうや」と。

え?今のが?もっと感動的なコトバだと思ってた、これをマコトノ葉だと信じて、君に相続させようと思っているコトバの神様?お前のパパ?ってボケてんじゃない?と言うアブラハムと三日坊主。客席からは笑いが起きます。

 

この辺りから、気付く人は気付いてきたかと思います。これらの台詞が日航機事故のCVRの言葉で、結末は日航機事故の話につながるだろうということに。特に「どーんといこうや」は当時そこだけ切り取られて独り歩きし、物議を醸した有名な台詞だったようで(後に劇中でも「どーんといこうやと言ったから人殺しと言われた」と出てきます)それに気付いてしまった人は、この辺りから笑えなくなっていると思います。逆にそこまで詳しくなかったり、日航機事故のことを知らなければ、このシーンは3人のコミカルな動きで笑える場面です。

 

「その通り!シェイクスピアの言の葉が、誰もいない森に置いてかれた。置いて、おいて、老いて……枯れてしまった。その言葉の森の腐った土から、代わりに生まれ育ったのが、新たなコトバの神様、ディスイズ、フェイクスピア」とフェイクスピアは言い、ラップに合わせて「言ったが勝ち、書き込んだが勝ち、高得点が勝ち、それがコトバの価値。フェイクの価値」と歌います。三日坊主やアブラハム、烏たちもラップで囃します。

 

ラップが終わり、フェイクスピアが「この匣の中にあった、神様のマコトノ葉は……誰もいない森に……置いてかれてる。マコトノ葉は、置いて……おいて……老いて……枯れてる」と暗く呟くところにmonoが走りこんできて、匣を返せ!とフェイクスピアと匣を取りあいます。

第一、この中から聞こえてくる声は自分の声だというmonoに、「がんばれがんばれ」なんてだっせぇとバカにするフェイクスピア、何でそれが神様のマコトノ葉なんて呼ばれてるんだ?とアブラハム、こっちが聞きたいと言うmono、お前が神様から盗んだからだと言う三日坊主、盗まれたのは僕、君こそ目の前で盗んだだろうと抗議するmono、それは神様のコトノハを取り返すように烏に言われたからだと三日坊主。言いながら匣をめまぐるしく奪いあいます。

 

そしてフェイクスピアが、monoを神様の裁判所に言葉ドロボーの罪で訴えると言います。monoは、その匣に入っているのは空で発した自分の言の葉で、それを白い烏が神様のところに持ち去ったのが始まりだと抗議すると、そこに白い烏がやってきて、匣を奪い、八百屋舞台の上に走り、また両手で匣を持って左右に揺さぶって飛ぶ仕草をします。今度はトランクが八百屋舞台の上から下に転がされます。

椅子やトランクが落ちるのは日航機事故の暗喩でしょう)

monoが「持っていくな、白いカラス、それは江の島海岸の弁当箱じゃないぞ」と叫びます。

(この台詞、最初はmonoは客席に背を向けて白い烏に対して言っていたのですが、千秋楽間際には、客席に向けて言うようになりました。背中を向けてばかりいるのはもったいないから、観客に顔を見せようという変更かもしれません)

白い烏は神様の裁きがまもなく開かれるが、自分はmonoの弁護人に雇われているバイトの烏だから安心しろと言い、また匣を放り投げます。

 

「どこに落ちた?」「また死者の夢の中か?」と烏たちが言い、そこにヘリコプターのSEと共に、またモスグリーンの防水コートをかぶった男たちが探知機で地面から何かを探してうろつき、「いや、山の中だ!」と言います。

「山だあ!山の中だあ!」「この辺りなのは間違いないぞ」「くまなく探せ、枯れ葉の下も」と探し、そこをmonoが八百屋舞台の頂上に駆け上がって舞台から捌け、烏たちはmonoを追い、またmonoが舞台に走り込んで来て「また同じところにやって来た。僕はこの死者の夢から出ていけないのか」と言い、苦しげに膝をついて頭も落として額ずくような格好で、気を失いそうになりながら「この膨大なフェイクの枯れ葉の中から、あのたった一枚のマコトノ葉を探すことができるだろうか……できる!あの子に遺すんだ。あのハッパを、言の葉を。の最後のひと葉を。そう、あれはの遺言、がんばれ、がんばれ……気合を入れろ……頭を上げろ」と苦しげに自分を鼓舞します。

 (一人称が「私」と「僕」が入り混じっているのは、「私」は冒頭の神様monoの「私」、「僕」はmonoパパの「僕」なのでしょうか。一生さんが2番目の神様の場面(息子の形見かもしれない匣を開ける場面)で声色を入れ替えていたけど、それは神様monoの視点とmonoパパの視点の変化なのか。それとも、CVRがmono一人のものではない、アブラハムや三日坊主やオタコ姐さんら死者のものでもあるので、主語が複数あるという意味もあるのかな)

 

初日に自分がどの辺りで結末が日航機事故の話だと気が付いたのだっけと考えると、たぶんここの場面だった気がします。

頭を下げろ、頭を上げろくらいしかCVRの言葉の記憶は無かったのですが(有名な「どーんといこうや」は知らなかった)山の中の探知機と、ヘリコプターのSEで結びついたような気がします。

それにしても我ながらずいぶん勘が良いなあと思ったのですが、ちょっと変なことを言うと、これってテレパシーとか百匹目の猿現象的なものがあったのかもしれない

日航機事故の記憶が鮮明な方は、「がんばれがんばれ」「どーんといこうや」で気付いていただろうし、フルハウスの劇場という空間での共同体験で、空気感で伝わったものがあったんだろうな。(これ、収容人数50%だったらここまでの感覚は無かったかも)

今回「フェイクスピア」は野田さんにしては結末がわかりやすい、「頭を上げろ」というエールが直接的と言う声もありましたが(否定的な意味じゃなくてね)、もしかして野田さんのやりたかったことは、「演劇は無観客でやればいい」と言った人たちに向けて「バカなこと言うな」と、劇場で密で芝居を観ることでの空気感、観客を第三者ではなく当事者として舞台に参加させることだったんじゃないかなあ(そのためにラストは「頭を上げろ=生きろ」というシンプルなメッセージにして。まあ「生きろ」も言いたかったことではあると思うけれど)と思いました。

 

続きます。

 

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野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」シーンごと感想③

 野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」各場面の感想、続きです。

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monoがその陰に隠れようとしていた烏をひっぺがし、「いた!お前だ!」とシェイクスピアはmonoを発見します。

「いえ僕はあなたを呼んでません」「そのヨンデマセンは、私をか、それとも私の作品を読んでませんか、どっちだ」「両方です」「ありえな~い」

この場面の野田さんのはじけぶりがすごいです。

そして、monoの顔を見て、「顔に、”お前(=シェイクスピア)何しにきた”と書いてあるが、お前たち(monoと楽)こそ、この恐山に何をしに来た、お前たちは同じ悲劇を背負って山を登ってきた(何かを背負っているアクション)」と言います。

monoは「悲劇を背負ってなんて勝手に僕の運命を決めないでください」と抗議しますが、「この恐山は、背負った悲劇を、背中から降ろすために登ってくる山だ(背負ったものを降ろす身振りのオーバーアクションしながら)。そしてお前たちは、身のほど知らずにも、シェイクスピアの四大悲劇を(指で4を示す)背負ってきた。四大悲劇を呼んだんだ。呼んだ(4の形にしていた指を招き猫のように「呼ぶ」動作をする)悲劇だ」と言います。

その四大悲劇は「リア王」「オセロー」「マクベス」そして「はみゅほにゃらら・・・(ハムレットと言うのをまだ登場していないためか、言葉を濁す)」で全てタイトルロールは男性の名前であり、悲劇は男にしか起こらないということだと。(ここの部分、なんでジェンダーの話が出たのかよくわからず・・・)

「男どもが呼んだ四大悲劇は、四つのタイプに分かれます、今日のあなたはどのタイプ?」、mono「血液型の話ですか?」で客席の笑いを取りながら、さらに「リア王」は老いという年齢の悲劇でAGEのA型、「オセロー」は妄想OBSESSIONのO型、「マクベス」は野心のAMBITIONのAB型の悲劇だと説明します。そしてmonoと楽が呼んだ悲劇はB型、BORTHER、苦悩の「ハムレット」であると言います。生きるべきか、死ぬべきか、To be or not to be,とぉーべー、おあ、のっととぉーべぇー(台詞の呂律がかなり怪しい感じで言うのでみんな笑う)と。

(この時はまだみんな笑っていますが、ここにもTo be=飛べ、と飛行機を連想させる言葉が入っています)

 

開幕1週間めくらい?から、この個所で一生さんが野田さんがあまりにおかしくて笑いをこらえきれず、素で笑っていたと言われるようになりましたが、一生さんは舞台上でこらえきれず素で笑うということは無い人だと思うので(しかもその後毎日きちんとここで「素になって笑う」、これは素になって笑う芝居をしている、もしくはこの部分では素に戻れという指示が演出家から出ている(もしくはそう話しあった)と思います。素になって笑っているのをあわてて隠すテイで、ハイカラーのブルゾンの首の部分で口元を隠す芝居も入れてくるようになりました)

恐らくこれは、観客を巻き込む、調子に乗せるために舞台上の役者が率先して笑っているんだろうなと。(ラスト20分のクライマックスに向けて、観客も不謹慎の共犯者にするためか)

(あと、後半はどうしてもリピーター率が増えるので、CVRの台詞をネタにした部分での笑いが減る分、こういう安定して笑えるシーンの笑いを増やしたいというのもあるんだろうなあ)

 

ブレヒト幕が走ると、シェイクスピアはアタイに入れ替わっています。

 

monoはアタイに、彼女が伝説のイタコになったあとシェイクスピアが乗り移っていたと告げると、彼女は「アタイ」ではなく「伝説のイタコ(乗り移り中)」だというので「失礼しました。伝説のイタコさんがいらっしゃるなと思ったら、今度はシェイクスピアにのりうつりました。飛行機をトランジットするように」と言い替えます。

「飛行機」「トランジット」とやや強引に飛行機関連のワードを出しています

 

 「そしてしまいには――“お前たちの悲劇はハムレットなのだ、To be or not to be,とぉーべー、おあ、のっととぉーべぇー”(大げさな身振りも交えて野田さんの真似。モノマネ得意な一生さんなので上手い(コロッケさん風誇張?)。観客笑う)」

(ここ、千秋楽に近づくにつれてどんどん激しくなり、白石さんが笑いすぎて台詞がで無くなることも)

 

monoが、アタイ(伝説のイタコ)に、シェイクスピアにmonoと楽の悲劇はハムレットであると言われた話をすると、気を失って上手柱に持たれて座りこんでいた楽が起き上がり、「亡霊め!」「どこに連れて行こうというのだ?もう先へは行かないぞ」と急にハムレットの台詞を言いだします。

亡霊め、の台詞を聞いたmonoは、すばやく舞台前方から八百屋舞台の奥の高いところに移動し、客席に背中を向けます。

そして「心して聞け、ハムレット・・・ハムレット・・ハムレット・・・」と、父王の亡霊になります。「時間はわずかしかない・・しかない・・しかない」「まもなく煉獄の炎に再び我が身を苛まれねばならぬ・・・ならぬ・・・ならぬ」と語ります。

客席に背中を向けているので最初は気付きづらいですが、やがてハムレット(客席)の方に向き直ると、この台詞の亡霊っぽいエコーは、一生さんがセルフエコーで語尾を繰り返していることがわかり、客席爆笑。

今まで一生さんには女性の霊が降りていたので、今回もオフィーリアになるのかと期待していたのですが(尼寺へ行け!も観たかったなあ)父王の霊でした。(ちゃんと考えればmonoと楽の背負った悲劇なのだから、片方が女性になる訳ないですね。(これが先ほどの「悲劇は男にしか起こらない」につながるのかしら?)

 

monoが「わしはそなたの父の霊だ」というと、楽は「パパ・・・そうか、僕はパパと会いたいんだ」と気が付きます。お前たち親子なのかい?と驚くアタイ(伝説のイタコ)。

 

ブレヒト幕が走ると、アタイは羽ばたく仕草をし続けて立っており、楽とmonoは舞台手前にしゃがみ、会話します。

monoが「あの伝説のイタコ、また空飛ぶ何かに乗りうつった」と言いながら、夜の怪物がやってくることに怯える楽(3歳児設定?)に「パパは強い」と言って安心させます。ここが橋爪さんの3歳児の芝居もナチュラルだし、今までむしろ不安定な青年だったmonoが素敵なパパに見える場面です。

(ここで出てくる「トネリコの木」は北欧神話世界樹からの連想?)

「この恐山のワルプルギスの夜から、お前もパパも、二人して息をして出ていかないと、シェイクスピアの物語にからめとられる。パパは亡霊じゃない。恐山の死者じゃない。来るなら来い、夜の怪物たち。だって、楽、パパが生きている方がいいだろう」と言って楽に微笑みかけるmonoパパ。

 

(7/18追記:「息をして出ていかないとシェイクスピアの物語にからめとられる」というのは、この後の星の王子様は作中人物だから息をしていないにつながるだけかなあと思っていましたが、これ、後の部分(ブログ④)で、楽も自殺願望や、自分の家族の事や父親が亡くなったことなどを不自然に忘れている=自殺を考えるようになり半分死者の世界に入っているからではないか、と書いたのですが、可能性として楽は電車に飛び込むのは断念したとしてもなんらかの手段で自殺を図って(睡眠薬とか死にづらい手段で)、今病院で、命を取り留めるかどうかの瀬戸際にいる可能性もあるな、とふと思いました。息をして出ていく=息を吹き返す(意識を取り戻す)。で、ラストで意識を取り戻してmonoパパ安堵。個人の感想です)

 

再びブレヒト幕で、アタイが星の王子様に代わっています。

白い粗い骨組の尾翼(背丈サイズ)を引き摺って持ち、星の王子様は「出てこーい!シェイクスピア!くそ」と言いながらやってきます(あっちゃんが可愛い)。シェイクスピアがのりうつった飛行機の尾翼に引っかかって不時着したのだと。

星の王子様は作中人物だから呼吸をしていないというので、楽は星の王子様に顔を接近させてしばしの間、息をしていないことを確かめます。(笑いが起きる場面)

楽が確かめている間、自分も何となくそーっと二人に近づくmonoが可愛い。(初日からはやっていなかった動作かも)(千秋楽に近づくにつれ、ここの顔を近づけている時間が長くなり、monoが途中で「そろそろ・・・」という感じの身振りで止めるようになりました)

 

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(舞台写真は篠山紀信さん撮影の宣材写真転載させていただきました)

 

照明でお星様の形が舞台の床にたくさん映し出されて幻想的です。

 

星の王子様が、空気で息をしない代わりに、世界と呼吸するメタファーになれると言うので、メタファーとは何かとmonoパパに聞く3歳児の楽。

monoは王子様の王に点がついて「星の玉子様」になったら作中人物の運命が変わると説明し、星の王子様が差し出した手紙(玉子にひび割れがあったというクレームの手紙)を楽が読み、読めない漢字はmonoが教えてあげるという微笑ましい親子の場面。(ここの「星の玉子様は遠回しの苦情と言うメタファーという流れが今一つわかりませんでした)

楽は星の王子様に「星の王子様は何のメタファーなの?」と尋ね、王子様は「こころさ」と答えます。

 

この台詞で、今まで温かく楽を見守っていたmonoがパパの顔からまた不安げな記憶喪失の青年のように、二人から離れてふらふらと尾翼の後ろに回り込んで思案顔になります。

尾翼の横では楽と王子様が胸の辺りを撫でて「心ってどこにあるって聞かれて、ここらあたりに心当たりがあるだろう。だから、ここらをこころというんだ」という会話がなされ、王子様は「こころはね、コトバという葉っぱの上に置かれた水滴。言の葉が消えれば、こころも消える」と言います。

恐らくこの王子様の台詞が、monoに何かを思い出させるものだったのでしょう。

自分の伝えたかった言葉が伝えられずに消えてしまったら、自分の心も消えてしまうという不安?=OPの「何のために誰もいない森で私は言葉を紡いでいるのか」)

 

その不安を消すように(?)「こころってキザだな」とシニカルに言うmono。

王子様はmonoの顔に「何しに来た、キザなこころ」という遠回しの苦情が書いてあると言い、自分はmonoの裁判で弁護人になるために来たのだと言います。

(劇中、monoは「なんだその顔」と言われて顔にこう書いてある、とシェイクスピアと星の王子様に言われますが、これは「声(目に見えないもの)」との対比か何かでしょうか(見た目で推測される)。それともCVRの「声」も伝えたいことは直接言っていない(息子の名前も呼べず言葉も残せなかった)が、そこから聞き手が推測して意味を取るということかしら?)

 

裁判?と驚くmonoに「君は言葉ドロボーなんだろう?君が盗んだのは目に見えるコトバ、それとも目に見えないコトバ?」という王子様。「目に見えないコトバって?」と聞くmonoに「声さ」と。

どっちだろうと考えこむmonoに、先ほどの手紙を読んでいた楽が「でもほらパパ、ここ、”一番大切なものは目に見えない”って目に見える言葉で書かれているよ」と言うと「そうか、思い出した!この匣の中にあるコトバをお前にあげるんだ!そう思って、パパは盗んだんだ。あの途方に暮れた自転車泥棒のように、これを」とmonoは匣を楽に手渡そうとします。

 (この「途方に暮れた自転車泥棒」というのは1948年のイタリア映画の「自転車泥棒から来た台詞だと思いますが、私は未見の映画で、wikiであらすじを見てもよくわからず。父親と息子が大切なもの(食べて行くための仕事に必要な自転車)を盗まれて途方に暮れて、追いつめられた父親が他人の自転車を盗んでしまうことからの連想?)

 

そこに烏の一群がやってきて、横から匣を奪おうとします。

「危ない!」と星の王子様が匣を取り戻し、「これは江の島海岸の弁当箱(ここで鳥に弁当取られる観光客続出する)とはわけが違うぞ!」と言って(客席笑う)、monoに投げ返します。

「ありがとう!」と礼を言ってmonoは「パパはこっち(下手=死者の道)から、楽はあっち(上手=生者の道)から。この夢から覚めたら会うよ。ダブルブッキングした日のように」と、二人は別々に烏から逃げます。

 

楽は上手の道に逃げ、照明が変わりクラブのような照明に、星の王子様が持ってきた尾翼の骨組みはバーカウンターに見立てられて烏の一人がバーテンになりシェイカーを振り、烏たちはクラブで踊る客に、そこにアブラハムと三日坊主も加わります。音楽はカルメンのアリア(ハバネラ)がクラブミュージックになってかかります。

 

下手にいったん逃げたmonoですが、踊る烏の集団にそっと紛れ込むと、そこへアブラハムと三日坊主がやってきます。両サイドを二人に挟まれ逃げられないmono。

三日坊主がタバコを差し出すのに「いや、僕は吸わないんで」と断りますが、「持ってるだろ?ハッパだよ。神様からのハッパ、言の葉」と怪しい薬の売人であるかのように二人に話しかけられ、僕らは君を捕まえようとしている烏とは違う、泥棒仲間(盗んだ大根ゼリーを見せ)、仲間の詐欺師だと言って探知機を見せて会話されたりするうちに、気を許して、探知機が反応するのは自分ではなくこれかも、と、匣を見せようとします。しかし、やはり止めようと逡巡していると、オトリ捜査だ!と一斉に烏たちに押さえこまれ、布団をかぶせられます。(かなり前方席だと聞こえる、ここの一生さんの抵抗する声がエロいと興奮するイセクラ続出・・・・ダメですよ・・・・)

 

「所持していたぞ、ハッパはこの匣の中に入っている!」「午前3時33分、恐山山頂、山小屋クラブで犯人の身柄を確保しました」とアブラハムたちが匣を神様のもとに持っていこうとすると、そこに白い烏(星の王子様が白いレインコートを羽織った感じ)が現れ、匣を奪います。

白い烏は八百屋舞台の上へと走り、匣を両手で持ちながら左右に手を振って飛行しているように見せます。

「なんて飛び方してる」「山だ、山にぶつかるぞ」と驚くアブラハムと三日坊主。

八百屋舞台の上から、2,3脚のキャスター付き椅子が坂を転がして落とされます。

 

これは白い烏=日航を表わしていると思います。飛行機は白いですし、烏ではなく鳥と考えれば白い鳥=鶴=JALのマークです。烏という文字が鳥に1本足りないというのも、尾翼が欠けた飛行機の象徴?

何度か匣を落とす場面(からの捜索)が繰り返されるのは、事故機から落下したCVRを捜索するメタファーでしょう。そしてこの場面では椅子が落とされ、次に白い烏が飛ぶ場面ではトランクが転がして落とされましたが、これも事故機のメタファーかと。

さらに「なんて飛び方してる」「山だ、山にぶつかるぞ」という台詞も、JAL123便がダッチロールしているのを目撃した人の発言だったような気がします。

 

 烏たちに「アホーアホー」と煽られて、白い烏は「僕はアホーじゃなーい!」と叫び、その拍子に持っていた匣を落としてしまいます。(実際には両手で持って左右に振っていた匣を、後方に放り投げます。そのタイミングでテグスに吊った匣が舞台前方に降ろされます。落とした匣がそこに落ちた、というのと、次の場面でそこに匣が必要なので(笑))

 

「あいつ、口を開けたから、咥えていた匣を落っことした」「やっぱりアホだ、アホーアホー」と言われ、白い烏は「大切なものは目に見えないって僕をバイトで雇っている人が言ってたから、多分その匣、目に見えているからそんなに大切なものじゃないと思うんだけどぉ~」とうそぶき、三日坊主が「匣を落としてあのアホー、責任転嫁か!」と言うのに「三日坊主の怒りに火を付けた」「責任点火だ!」という言葉遊びが入り、「あの匣、どこに落っこちた」「山の中?」「いや、ここは恐山」「死者の夢の中だ」と言って(この間に舞台前方に布団蒸しにされていたmonoはさりげなくちょっと奥に移動して)、ブレヒト幕が走ると、幕の向こうは大勢の人が布団かぶって雑魚寝している場面になり(ここの早変わりすごい・・・)舞台前列中央部分で寝ていたmonoが「うわぁっ!」と悪夢?から跳ね起きます。(その上手側隣には楽が寝ています)

 

この場面、ブレヒト幕が走る間にこんなにたくさんの人が布団かぶって寝ている早変わりするなんてすごいなーと呑気に感心していたのですが、そこまで頑張ってみんなが寝ている場面を演出しなくても良いような気もうっすらしていて、そうしたらSNSでの感想で「日航機事故のご遺体の暗喩ではないか」とおっしゃっている方がいてちょっとぞっとしました・・・・。

 

続きます。

 

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