★お気楽日記★

アリとキリギリスでは断然キリギリスです。 うさぎとかめなら、確実にうさぎです。 でも跳ねる趣味はありません。

野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」シーンごと感想①

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「フェイクスピア」ストーリー展開や感想はだいたい書いたのですが、前回「天保十二年のシェイクスピア」各場面についてダラダラ書いたものが、備忘録的に自分に役立ったので、今回もだらだらと記録を書き付けます。(私のポンコツ記憶と知識と感想ですが)

【完全にネタバレしますので、観劇予定のある方は観劇後に・・・】

 

(昨年書いた「天保」感想)

crearose.hatenablog.com

 

ちなみに「フェイクスピア」の感想など。(初期の感想なので、色々間違いとか浅い解釈がありそうですが)

crearose.hatenablog.com

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NODA・MAP第24回公演「フェイクスピア」

作・演出 野田秀樹

東京公演 2021年5月24日(月)~7月11日(日) 東京芸術劇場プレイハウス

大阪公演 2021年7月15日(木)~7月25日(日) 新歌舞伎座

 

 

<キャスト>

mono・・・・・・・・・・・・・・・・高橋一生 
アブラハム・・・・・・・・・・・・・・川平慈英 
三日坊主・・・・・・・・・・・・・・・伊原剛志 
星の王子様/伝説のイタコ/白い烏・・・前田敦子 
オタコ姐さん/烏女王・・・・・・・・・村岡希美 
皆来アタイ・・・・・・・・・・・・・・白石加代子 
シェイクスピア/フェイクスピア・・・・野田秀樹
楽・・・・・・・・・・・・・・・・・・橋爪功 

 

<舞台セット>

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このセットは夢幻能(ワキに乞われてシテが身の上を語り、成仏する)の形式のセットだとおっしゃっている方がいらっしゃいました。

舞台奥に向かって傾斜がついていて、恐山を表わしているようです。

(このセット写真より奥は高さがあると思います)

山のところどころに跳ね板みたいなのがあって、その影から登場人物が出てきたりできます。

 

 

<設定>

【時】2051年8月12日

【場所】青森県恐山

但し、これはよくある近未来の話ではない。

恐山は30年たっても今と何も変わらない。

だから、2021年のつもりで演じて構わない。

(新潮2021年7月号戯曲より)

 

戯曲では「永遠プラス66年間」となっていますが、舞台では「永遠プラス36年間」になっていました。

これについては前回のブログで考察しましたが、2051年であれば、高校卒業後イタコ見習いを50年やっていたアタイと楽の同級生コンビは、1985年(に3歳)+66年の69歳となりますが、これを2021年にすると、楽は1985年に3歳だから2021年は39歳で、アタイの年齢とつじつまが合わなくなります。

 

戯曲では楽は69歳くらいで高齢での自殺志願者。ただしコロナ禍の今、若者や現役世代へ「頭を上げろ(生きろ)」というエールを送るため、楽は39歳とも取れるようにし、2051年の生者(アタイと楽)の世界と、2021年の死者(mono、アブラハム、三日坊主、オタコ姐さん)の世界をつなげて、楽の年齢設定がどちらにもなるようにしている、と私は解釈しました。

(恐山という時空で、生者の2051年と死者の2021年が繋がっている)

なんとなく、楽の希死念慮と立ち直り方が、高齢者の自殺願望というより、若者の希死念慮のような気がするんですよね。

 

 

 

<客入れ音楽>

相互さんが作成してくださったリスト。https://twitter.com/mikan__129/status/1405517572921909248?s=20ttps://twitter.com/mikan__129/status/1405517572921909248?s=20

 

・My Melancholy Baby
https://youtu.be/_pgZFXUnQZQ

・虹の彼方に
https://youtu.be/Oksq0fUosm8
・Kaimono Boogie
https://youtu.be/yOGEsWPqRno
Tutti Frutti
https://youtu.be/C_C9q4tuwXI
・Fingerprints
https://youtu.be/twdaMiOUxzg
・Piece of My Heart
https://youtu.be/SCngPse1iiI
・Dumb
https://youtu.be/peclQi67KS8
・What's Going On
https://youtu.be/H-kA3UtBj4M
・あふれる愛を
https://youtu.be/hgzCrjkcm0Y
・Respect
https://youtu.be/6FOUqQt3Kg0
・I Can See Clearly Now
https://youtu.be/NkwJ-g0iJ6w
・Walk On the Wild Side
https://youtu.be/oG6fayQBm9w
・Can I Kick It?
https://youtu.be/7D_JwgIM-y4
・Trav'lin' All Alone
https://youtu.be/Jw-oF2AXlxs
・Owari No Kisetsu
https://youtu.be/xWXAOuHjI68
夢で逢えたら
https://youtu.be/6hkOna_dDXc
・The Way You Look Tonight
https://youtu.be/h9ZGKALMMuc
・Sing Sing Sing(M0)
https://youtu.be/TOPSETBUgvQ

 
私は洋楽は詳しくないので、印象に残ったのが「夢で逢えたら」と「Sing Sing Sing」です。
夢で逢えたら」大瀧栄一さん版は1985年の曲であり(その後何度かカバーされている)お話の内容にもリンクするので(夢で逢いたい、今だから言える)わかるのですが、大事な開演直前の曲が「Sing Sing Sing」なのはどうしてだろうと思っていました。

良い曲でノリノリにはなるのですが、そこから始まる場面が喜怒哀楽でいうなら「」なので、ずいぶん落差があるなあと。

 

そこでまた相互さん知恵袋。

 

 

「Sing Sing Sing」に代表されるスウィングジャズは、1930年代から1940年代初めにかけてダンスミュージックとして大流行しましたが、それは1929年から始まった世界大恐慌の苦しみを少しでも癒したいという人々の願いの表れだったそう。

今のコロナ禍とリンクさせているということかもしれませんね。

 

 

 

<ストーリー>(舞台写真は篠山紀信さん撮影の宣材写真転載させていただきました)

 

「Sing Sing Sing」で盛り上がりが最高潮になり、客電落ちてステージ上明転。

(舞台上に緞帳はありません)

高橋一生さんが舞台上にオルゴールくらいのサイズの剥げた白い匣を抱えて目を瞑って座り、バックにアンサンブルの方々が14人くらい?固まって立ちます。

(一生さん達が出てくる気配無いかなあと、3列目で目を凝らし耳をすましても全然出てくる気配がわからない・・・)←上手から瞬時に出てこられるらしいという情報あり

一生さんはふわふわゆるパーマセンターパーツの髪型で、茶色のハイカラ―のブルゾンに太めのパンツ(ダークブラウン~黒)、ブルゾンはちょっと不思議な袖で、ひじの裂け目から腕が出る感じでその先の布をひじの部分でとめる?しばる?ことで半そでに見えます。

一生さんが目を開け、匣の蓋をこじ開けると中から光が漏れ、ゴーッ、ザザザッというSE音がします。

「ずしーんとばかり、とてつもなく大きな音を立てて大木が倒れてゆく。けれども誰もいない森ではその音を聞く者がいない。誰にも聞こえない音、それは音だろうか」

という、不思議な詩のような台詞を一生さんが匣に話しかけます。

木々が倒れるさまを描写して、バックのアンサンブルの方がバタバタっと倒れるのがとても綺麗です。

(別場面の写真ですが、アンサンブルさんの倒れ方こんな感じです)

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「誰にも聞こえない音は音なのだろうか」「誰にも聞こえない言葉は言葉なのだろうか」「何のために誰もいない森で私は言葉を紡いでいるのか(ここでいっそう一生さんの瞳が潤む)」といった問いかけをしたあと「――そう言い終わると神様は、誰もいない森で、永遠に目を瞑った」と一生さんは語り終わると、アンサンブルの方々が一生さんの持つ匣から何か(言の葉?)を取り出す仕草をし、その仕草にあわせて「そう言い終わると神様は・・・」「そう言い終わると神様は・・・」という一生さんの声がSEで流れます。

 

この場面の私的解釈。(長文注意)

 

初日はこの先のストーリーがわからなかったので、何だろう?(一生さんは誰なんだろう?)一生さんの瞳が潤んでいるから、哀しい場面なのかな、と思いました。

照明も幻想的な暗さで。

そして全て観終わった時に、これが36年前に起きた日航機墜落事故(1985年8月12日、御巣鷹山に墜落したJAL123便。羽田から伊丹に向かう最も混み合う夕刻の便で524名を乗せていた=初日の5/24も意味のある日付か)を表わす場面だと気がつきました。

夜7時前の御巣鷹山に木々をなぎ倒して墜落したJAL123便。

話が進むと徐々にわかっていくのですが、一生さん演じるmonoはその123便の機長だったのです。

そして彼は、神様から言葉を盗んだプロメテウスのいとこでもあり、ギリシア神話オデュッセウスでもあり、夜間飛行(これもテグジュペリの小説)が大好きなサン=テグジュペリ(遭難死した)にも例えられます。

 

となると、ここで言われている「神様」は誰なのか

 

monoが言葉を盗んだ神様、monoが必死に抗い戦った大きな運命(死)をもたらす神様、劇中で「言葉の神様」として登場するシェイクスピアなどありますが、誰もいない森の中(御巣鷹山)で永遠に目を瞑ったのは、123便の機長なので、ここで一生さんは自分(mono=機長)のことを第三者のように語った可能性があると思います。

永遠に目を瞑った神様=mono(機長)。

 

しかしmonoは神様なのか?

一生さんがフェイクスピアの雑誌のインタビューで、「死者の書」を読んで参考にしていると仰っていたのですが、「死者の書」はおそらく折口信夫の書いたものでしょう。(よもや古代エジプトの「死者の書」ではないと・・・)

なので「死者の書」をぱらぱらと読んでみたのですが、なかなか難しい(笑)

斜め読みと解説書の斜め読みから考えたことなのですが、死者の書」は冒頭に死者である滋賀津彦(大津皇子の仮名)が目覚めるのですが、そこの描写がなんとなくこのフェイクスピアのオープニングを思わせました。個人的感想ですが。

フェイクスピアでは逆に神様が眠りにつきますが(死にますが)、「死者の書」は死んで真っ暗な眠りについていた死者がゆっくりと目を覚まします。

また、この大津皇子は実在の人物で、天皇(神)に逆らった(謀反)罪で処刑され、二上山という山に埋葬され(遺された姉が、二上山をこれからは大津皇子と思おうという歌を詠み、山と同一視されている)、祟りをなす神として祀られている(つまりは無実なのにこじつけで死罪にした後ろめたさから)ので、大津皇子の霊が目を覚ましたのも山中の岩窟で、彼は自分が一本の木であることに気がつきます。

倒れた大木というイメージ、また一生さんの衣装がブラウン系で大木にも見えるという声もありましたが、もしかしたら「死者の書」とリンクしているのかもしれません。

(役作りの話の中で野田さんから「死者の書」の話が出たのかも?)

 

(7/15追記:衣装のひびのこづえさんのブログで、一生さんの衣装が一生さんの提案で大きな変更が出たというエピソードが。

たしかにパンフ掲載の衣装デザインでは、グレーのチェックのロングコートにグレーのチェックのパンツ、コートの下にパイロットの(とまではわからないだろうけど)シャツとネクタイをしているのも見えるものだったので、全然違うデザイン画だけどなんで変わったんだろう?と思っていました。

「モノ」トーンからくるデザイン画だったのかもしれませんが、それがブラウン系のジャンパーになり、下のシャツとネクタイも隠すことで「大木」のイメージのお衣装になったと思います。実のところ、一生さんがどのように考えて衣装変更したのかはわかりませんが・・・)

 

さらにこの小説が発表された当時(昭和14年)は天皇=神なので、慮って犯罪者の「大津皇子」とは明言せずに「滋賀津彦」と仮名にされているのも、一時期、飛行機を墜落させて519名を死に至らしめたと非難された機長の名前がmonoになっているイメージにちょっと重なる・・・と思うのは、うがちすぎかもしれませんが。

さらに「死者の書」の世界観では大津皇子の処刑された686年と、ヒロインである藤原南家の郎女の時代(760年くらい?)に70年くらい隔たりがあるので、時間のジャンプの幅もフェイクスピアの戯曲に近いなあとか、大津皇子の霊は同時に大友皇子だったり隼別皇子だったり天若日子の霊だったりするらしいので(皆、天皇に逆らって殺された)、monoが機長であるのと同時に、プロメテウスのいとこでもあり、オデュッセウスでもあり、サン=テグジュペリでもある感じも「死者の書」っぽいなあと思いました。(あと「死者の書」にもイタコ的な老婆が出てきます。イタコというか昔語りして死者の代弁する感じかな)

 

ちょっと話が脱線しました。

日本では無念のうちに亡くなった人は「神」に祀られます。(特に無実なのに犯罪人として処刑された人など)

なので、この冒頭の「神様」はmonoであるという解釈も出来なくはないのかなと思います。

(ただし別の場面でまたmonoがこの場面を語る時は、神様が森をさまよっている時に大木が倒れてきているので、この神様は人間に言葉を与えた神様なのかも?そしてmonoは自分で言っていたように「神様からの使いのmono(者)」に過ぎないのか(しかし「mono」とは英語での「1つの音」という意味の他にも、日本語では「モノ(物)」は超自然的なもの、災いや祟りを引き起こす悪神という意味を持つのですよね)。この辺りの主格の曖昧さが、憑依とか「死者の書」的世界なのか)

冒頭の神様が人間に言葉を与えた神様なら、この神様はmonoに同情的(死を悼んでいる)ではあると思います。(一生さんの瞳が潤んでいたことから)

 

(6/27追記:一生さんの瞳がいっそう潤むのが「何のために誰もいない森で私は言葉を紡いでいるのか」の台詞のタイミングだったので、やはり私=monoのような気がします。楽のラストの長台詞の「けれど、ただの一つの言の葉も、息子の為に残せなかった」に対応する父親の心情として)

 

そして戯曲のト書きには無かったので振り付けでの意味付けなのかもしれませんが、アンサンブルの方々が一生さんの持つ匣から何か(言の葉)を取り出している感じが、事故後CVR(コックピットボイスレコーダー)の機長の言葉の「ドーンと行こうや」が切り取られて独り歩きし、非難の対象になったこと(リアルな言葉のフェイク化)を想起させます。(そしてこれはラストシーン、野田さんによって「頭を上げろ」という言葉を切り取って別の意味にしたプラスのフィクション化と対になる気はします。このリアルな言葉に違う意味を付加するフィクション化を、プラスとするか「不謹慎」とするかは意見の分かれるところと思いますが

 

オープニングシーン解釈終わり・・・・長かった・・・・。

 

 

 

そんな幻想的な場面から一転、舞台上明るくなり、一生さんたちが袖にはけるのと入れ替わりに白石さんがマイクを持って登場します。(マイクは普通のカラオケのマイクみたいなものではなくて、大きな収録用マイクみたいな感じ)

鮮やかなピンクのお洋服で般若面などの模様のお衣装。

白石加代子です」とまんま名乗り、女優になる前は恐山でイタコ見習いをしていたが、とうとうイタコにはなれずに単に恐山に「居た子」になりました、などという嘘の自己紹介をし、物語が始まります。(白石さんに言われると本当のような気がして観劇後wiki検索する人続出。もちろんフェイクです)

アンサンブルの女性が一人、イタコの衣装の白いスモッグを裏返しに着て白石さんと両手をつなぎ、もう一人がそれを裾からひっくり返して白石さんにかぶせると(口移しならぬ両手移し・・・伝わるかしら?)白石さんがイタコの衣装(白地に人の顔・・・フェイクスピアのキャスト写真のピンクの何かを出している顔)を身に付けてイタコ(見習い)に早変わり。

 

ここの場面。オープニングは幻想的に始まったのにまるでショーの司会者登場!のように舞台の空気を一転させますが、これはクライマックスにまるまるリアルの言葉(CVRの言葉をそのまま)を使い、ノンフィクションの強い言葉をフィクションに取り込むことで、観客を第三者ではなく芝居を成立させる当事者にしようとしている=演劇の力)、そのために、舞台上方に「FAKESPEARE」の文字でプロセニアムアーチを作り、白石加代子さんが「白石加代子です」と役名ではなく司会者のように自分の名前を名乗ってからイタコの服を着たり脱いだりして、厳重にこの先は演劇空間ですよと規定していたのだと思います。(ノンフィクションの言葉をフィクションの世界に絡め取るために)

 

そしてここから物語が始まります。

 

恐山でイタコ見習いを50年もしている皆来(みならい)アタイの元に、6時56分28秒なんていう細かい時間にお客さんのアポが入りました。

(この時間が実は、CVRが切れた=墜落した、時間です)

そしてやってきたのは下手から箱を抱えた若い男(一生さん)と上手から年配の男(橋爪さん)。ダブルブッキングしてしまったのかと焦るアタイ。

(死者たちは常に下手から登場、生者は上手から登場していたような気がします。うろ覚えですが

若い男は「頭下げろ!」といきなり怒鳴り、アタイはダブルブッキング位でそんなに怒らなくてもいいじゃないかとしぶしぶ謝って「でどなたを呼べばいいの?」と聞くのですが、若い男は何故自分がここに来たのかもぼんやりしてよくわかっていない様子。一生さんの役は記憶喪失なのかな?と思いました。

(一生さんがやや素っ頓狂に「頭下げろ!」というので、初日はここで観客に笑いが起きていたのですが、後になってこの「頭を下げろ」「両手でやれ、両手で」「頭上げろ」はCVRの言葉だったことがわかります。6月中旬に観劇した時にはここで笑いが起きなかったのですが、徐々にリピーターが増えて、この言葉の本当の意味がわかってしまっているせい?もしくは一生さんの言い方があまりに激しかったせいか)

 

アタイは、らちが明かないともう一方の年配の男に用向きを聞くと「娘をお願いします」「娘は首を絞められて殺されたのです」と。

ヘビーな内容におじけづきながらアタイが取りかかろうとすると、何故か客の二人に霊が降り、橋爪さんはリア王に、一生さんはコーデリアになり、リア王が領土を娘たちに与えようとする場面の一節を演じます。リア王に勘当され、死んだように倒れるコーデリア一生さん。

(一生さんの女役が素敵。イセ子やビアトリス思い出す)

 

そこに伝説のイタコ(前田さん)の霊が手下を従えて登場。

飛行機で上空をエンジン音消してホバリングしていたから状況はよく聞こえたと言い、「下手!」「糞!」とアタイを罵倒しつつも、「イタコ名代昇格試験に何回落ちてるんだ、昇格試験は明日で、年に一度きりだぞ」「心に包丁を持て!お客に先に憑りつかれてどうする」と叱咤激励します。

(ここの「心に包丁を持て」は唐突な台詞に感じたのですが、思い当たる仕掛けが、チェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」が1984年にヒットしたことくらいしかありません(発売は1983年)。「ナイフみたいに尖って」の拡大解釈ですが。(最近「うっせぇわ」との対比でちょっと注目されたし、「うっせぇ」という台詞も後半出てきてるので、もしかしたら関係あるかも?というレベルですが))

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この場面、手下の烏たちにリフトされたり組み体操ぽかったり、アクロバティックで前田さんすごいなーと思いました。

 

次に伝説のイタコは、霊が憑りついて気を失っている二人を松明で叩いて正気に戻し、自分はアタイの母で若くしてこの子を産んだから若いんだと主張し、今度この子より先に憑りつくなんて舐めた真似をしたら、恐山の暁烏たちがお前たちを骨にすると脅します。

そこに携帯電話の音が鳴り(初日、誰かがやらかしたのかとびくぅってなりました・笑)ショルダー型の携帯電話を烏から渡された伝説のイタコは「今そっちに行くよ、どいつもこいつも私がいないと」と文句を言いながら飛行機に乗って帰っていきます。

(その携帯電話を見て、オッケーバブリーって思っていたのですが、このショルダー型の携帯電話が出来たのが1985年だったそうです。ショルダーフォン101型。野田さん細かく1985年のヒントを出してきます)

 

キャスター付き椅子にまたがって、アンサンブルの方々にリフトされて飛行機を表現して去っていくのとか、おお!って感じのすごい迫力でした。本当にETの音楽に乗ってふわっと浮かんで。

伝説のイタコの前田さんはかなり声を張るお芝居で、喉傷めないか心配。

 

舞台に緞帳は無いのですが、ブレヒト幕というのかな、舞台をカーテンのように左右に布を引いてその陰で人物などが入れ替わるのが印象的で、幕が走ると伝説のイタコがしたポーズをアタイが取っていて、のりうつっていたことを表現します。

このブレヒト幕の使い方が面白く、場面展開にも使われるので(幕の移動の間にみんなが布団敷いて寝ていたり)、幕の後ろで早変わりたいへんだろうなと思いました。

 

 ブレヒト幕が横切り、伝説のイタコがアタイに入れ替わると、匣を抱えた若い男はアタイに「今あなたに誰かがのりうつっていた、若い若い、自分は若いんだと執拗に若さを強調していた」(観客、笑う)と伝えます。するとアタイは「50年かけてついにのりうつりが出来た、あなたたちのおかげだ」と喜びます。

 そして会話をするうちに、年配の男はアタイの高校時代の演劇部の同級生「楽(たの)」だったことが判明し、アタイと楽は思い出話に花が咲きます。(演劇部の部長でも無いのに仏頂面だからブッチョウというあだ名だったアタイと、「楽しんでいこう=タノ、死んでいこう」とからかわれていた楽)

二人が思い出話を和気あいあいと話しているのを、上手の柱のあたりでニコニコ見つめる若い男に気付いてアタイは「ごめんね、アタイ達だけで盛り上がっちゃって」と謝ります。

(初日はこのシーンの中心であるアタイと楽に目が行って気がつかなかったのですが、一生さんはここで二人を見てニコニコしてたんですね。アタイが「ごめんね」と声をかけた時はやや真顔だったので、話に入れずつまらなそうに見ていたという印象を初日は抱いたのですが、アタイが「喚け喚け」の台詞を「分け目分け目」と言っている辺りとか特にニコニコしてる。ちょっと次回どの時点で真顔に戻るのか注意してみたいと思います。というのも、このシーンの前までは一生さんは記憶喪失の青年っぽい不安定さが感じられるんだけど(上手く言えないけど、ぼんやりしていてあまり笑うイメージが無い感じ)、ここはちょっと普通の青年っぽい。あとで一生さんが楽の父親だと判明するのですが、息子が同級生とはしゃいでいるのを微笑ましく見つめる→「タノ、死んで」の台詞で真顔に戻ってたりするのかな、と(仮説)。席位置によっては一生さんの表情が見えづらいんですよね・・・・)

 

(6/27追記:えっと、考えすぎで(笑)、この場面、一生さん普通に分け目分け目とかに笑っていて、「タノ、死んで」は特に意識していないように見えました。アタイがこの若い男を放置していたのに気付く場面のちょっと前から、所在無げに匣をいじるお芝居になります

 

(7/10追記:おおぅ・・・本日前楽ソワレ、私の仮説通り、「分け目分け目」で「ああ、喚けと分け目?」みたいにわかってニコニコ笑いながら二人を見つめる、からの「タノ、死んで」で、ふっと真顔に戻りましたです・・・・monoパパ)

 

 そしてアタイは、初めてのりうつりが成功したことに気を良くして、楽の娘の霊を呼ぶ続きを行おうとします。

しかし楽は「自分に娘はいない。呼んでほしいのは妻」「自分が首を絞めて殺してしまった、歳の離れた若い妻をおろしてほしい」と言い出し、アタイは「同級生は塀の中の懲りない人(=犯罪者)なの?」(「塀の中の懲りない面々」は1986年の小説で流行語大賞になった)と驚きます。

そしてそこからオセローの、浮気を疑ってハンカチを出させようとする場面に。(オセローが橋爪さん、デズデモーナが一生さん)

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(デズデモーナ!と嘆き悲しむ、楽)
(初日は女らしさを表わすためか、憑依のところで袖を解いて上記の写真のようにしていたのですが、すぐにこの場面も袖はそのまま半そでで行くようになっちゃいました。なんでだろう)

 

「(デズデモーナって)楽の奥さんは外人さん?」とアタイに驚かれて、「違うな、私は人殺しじゃない」と正気に戻る楽。

アタイは若い男を起こすと「あなたも誰か呼んでほしくて来たのよね、誰を呼ぶ?」と尋ねます。聞かれて彼は自分の背後に立つ楽を振り返り「・・・息子かな?そんな気がする」と。

ここ、初日はうっかり見逃した(というか、楽が息子だという設定を知らなければ見逃してしまう)のですが、「息子」と答える時に一生さんはわざわざ振り返って楽の顔を見ながら答えるんですよね・・・・。

 

 

そんな若い男に、息子を失って悲しくないのか疑問に思う楽と、いやいや悲しすぎて現実味がないのでしょうと同情するアタイ。

そして、その大事そうに抱えている匣も息子さんの形見かも、そうしたものを持ってくる人も多いのよ、開けてみたら?と提案し、そうなのかもしれないと思った(匣に対する記憶が無い)若い男が匣を開けると、アンサンブルの人たちが舞台に現れ、黒い紙(偽の言の葉?)を撒き散らします。

それを背景に一生さんが、昔々この世から樹木が枯れて葉っぱが無くなってしまったという物語を語りだします。

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葉っぱを探して森に迷い込み、疲れて目を瞑ると大木が倒れて(オープニングシーンに続く?)その後を追うように最後のひと葉が降ってきた(山中に落ちてきたCVRのイメージか?)(天井から緑の紙が1枚、一生さんの手元に落ちてきます。実際は一生さんがテグスで上手く手元にコントロールします)神様は永遠に目を瞑る前にその大切な葉っぱを人間だけにあげることにした、その葉っぱがやがて「言の葉=言葉」と呼ばれるようになった、と。

(この場面だと神様は人間に言葉を授けた神様で、機長ではないんですよね・・・)

 

(6/27追記:22日あたりから、この個所の一生さんのお芝居が変わったとの情報が入り、チェックしました。今まではOPシーンと同様、monoの声で語っていたのですが、27日はこのシーンの台詞を男性で読んだり女性が憑依したように読んだりと変化させていました。人間(私たち観客)に(リアルな)言葉を授けた神様はmonoなのかもしれません。「昔々、この世から樹木が枯れた、葉っぱが無くなった」=フェイクが横行する現代、「(私が見つけた)空から降ってきた1枚の葉っぱ」=私(=野田さん)が見つけたリアルなCVRの言葉、「神様はその大切な葉っぱを人間だけにあげることにした」=神様(=mono)は人間(=観客)にCVRを聞かせる、というように)

 

 

そこに「泥棒!!!」という叫び声。

その声にはじかれたように下手(しもて)に逃げ去る若い男と、つられて楽も上手に逃げます。(のちに山を降りるには生者の道と死者の道があり、同じ側を使わないといけないという話が語られる。下手は死者の道っぽい)

アンサンブルの方たちも素早く、撒き散らした黒い紙を回収して撤収します(笑)。

 

 

すでに1万字超えているので、続きます。

(このペースと密度で最後まで書けるのかな、これ・・・) 

 

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