★お気楽日記★

アリとキリギリスでは断然キリギリスです。 うさぎとかめなら、確実にうさぎです。 でも跳ねる趣味はありません。

野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」シーンごと感想②

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野田地図(NODA・MAP)フェイクスピア。

 

前回のブログの続きです。

 

crearose.hatenablog.com

 

泥棒という声に逃げてしまった二人に「見料払っていって!」と慌てるアタイですが、二人はそれぞれ反対方向に逃げてしまっています。

 

そこにお坊さんの格好をした男(伊原さん)が下手袖から舞台上に逃げてくるのですが、追いかけてきたアタイの姉弟子?のオタコ姐さんとイタコたちに捕まります。

土産物屋から大根ゼリーを盗み食いしたお坊さんは、何故か「おまわりさんを呼んでくれ」と言いだし、「呼ぶのはこっちだろ」とオタコ姐さんに言われるも、「三日間だけ泊めてほしい」と。

オタコ姐さんは「なんでおまわりに頼むんだ」と怒るところにアタイが「そうよ、直接頼めばここに泊めてあげるよ」と横から口を出し、「泊めないよ、バカ!」と怒られます。アタイの抜けてるけど人の良さと、しっかりもののオタコ姐さん(でもアタイを可愛がってるんだな)という雰囲気が見られます。

 

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(舞台写真は篠山紀信さん撮影の宣材写真転載させていただきました)

 

伊原さん(三日坊主)「私、旅先を三日だけ行脚しては幸せを振りまく三日坊主と申します」

オタコ姐さん「だったらなんで幸せを振りまく前にドロボーしてんだよ!」

アタイ「でもアタイちょっと今、幸せなことが。50年ぶりに同級生と会えた上に、見料踏み倒されたんです」(嬉しそうに)

オタコ姐さん「それ、不幸せだろ、バカ」

という客席から笑いが起きるやりとりをしていると下手から、うさんくさいヒッピーっぽい髪型で黄色の派手な衣装の男(川平さん)が登場、アブラハムと名乗ります。

アブラハムという名前に何かあるかなあと考えたのですが、ユダヤ教キリスト教イスラム教ではノーマルな名前だから、それっぽい名前ということで名付けただけかも。もしくはヘブライ語での「多くの国民の父」で、この舞台のテーマの「父と子」のイメージ?)

「先週電話くれたテレビ局の?」「どうせ織田信長を呼んでほしいとかいうやつだろう?」「その織田信長をお笑い芸人が笑わせることができるかという企画なのよね?」とアタイとオタコ姐さんが言うと「すいません違います。神様からの使いの者です」と答えるアブラハム。(毎回、キラーン♪って効果音なりそうなキメキメな感じで。この後のセールスの場面でも、台詞を決めると、じゃーんって(ジャーンじゃなかったか)効果音が鳴る)

「はぁ!?」とうさんくさげなオタコ姐さんにすかさず「聞き流してください。これが投資対象として弊社が取り扱っている、水道水で走る車です」と怪しげなセールスを始めるアブラハム

この台詞の間に、下手袖からキャスター付きの椅子と小さなテーブルがスローインされて(この公演、キャスター付きの椅子大活躍)アブラハムとオタコ姐さんがそれぞれ座って商談ブースっぽい感じに。アブラハムiPad的なものを操作して画面をオタコ姐さんに見せます。

「他にも弊社はノルウェー産の関サバ(笑)も取り扱っています」などと怪しいことを言うので、三日坊主が横から「誰が聞いても詐欺だよ」と突っ込みを入れると、「そう!その通り!こんな嘘っぱちに騙されるな!そこでこの最新型「ウソ発見器」です!」と言ってアブラハムは手のひらサイズ(やや大)の小型の機械を取り出します。

それを見て驚く三日坊主(後に彼も同じタイプの機械を持っている仲間と判明)、三日坊主の驚く声に「そんなに驚くところ?」と驚くオタコ姐さん。

イタコの言葉が本当なのかどうかが今後のイタコ業界の生死を分けるというアブラハムに、オタコ姐さんは、ウソ発見器で嘘だなんて言われちゃ商売あがったりだと文句を言います。

だからこそ、このウソ発見器です、と言ってアブラハムは三日坊主に「私は正直者です」と嘘を言わせ、(――間を取るが機械は反応しない)「何を言ってもうんともすんとも言わないウソ発見器なんです!」とセールスします。(楽天カード売りつけそうな勢いで)

「恐山にはもってこいだ、私なら買う!私なら投資する」と調子良く合いの手を入れる三日坊主に「盗人が投資するとか言うな」とオタコ姐さんが一喝、「ヌスハラだ」と抗議する三日坊主ですが、オタコ姐さんやイタコたちに「出て行け」と言われてしまいます。

会話の中に「三日坊主」と出てきたことに気がついたアブラハムは「今夜は盂蘭盆の前夜、8月12日。三日坊主が姿を見せる日だ」と言って、三日坊主の説明を始めます。

(ここの流れはこの日が8月12日だというキーワードを出すためだったのでしょうね)

 昔、旅人に化けてやってきた三日坊主が畑の大根を盗んだ時、心優しい女は手厚くもてなしたので、その後プラダに囲まれて幸せに暮らしたが、隣に住む女はたかが大根をワーワー言ったのでその後ファッションセンターしまむらの生涯を送ったと。

プラダに囲まれるに「きゃ~♪」と喜んだり、しまむらで「ぎゃああ」と悲鳴をあげたりするイタコたち。アタイも「じゃあ、この人こそ三日坊主?」と言ってオタコ姐さんに「イタコが騙されてるんじゃないよ」と言われます。そんなオタコ姐さんも、三日坊主の足跡を消すために真夏に雪を降らせるという話をされて、アタイが「雪が降ってる」と言いだすと、「とりあえず泊めておくか。三日の間に幸せをもたらしてくれるんだろうね」と考えを変えます。

(真夏に雪を降らせるって聖書か何かにあるのかなあと雑に検索してみましたが、雑な検索では見つかりませんでした)

(6/29追記:日航機事故現場に断熱材がふわふわ舞っていたそうなので、それを指すのではと言うお話聞かせていただきました。

・・・・・重い・・・・。下記リンク2枚目の写真右の記述)

日航機墜落現場を写した私の忘れられない記憶 | 災害・事件・裁判 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

袖にはけながらのアタイとオタコ姐さんの会話で、アタイはもう幸せがあったと言い、50年ぶりの同級生が見料踏み倒してくれたんだもんねと嫌味を言われるけど嬉しそうに「はい」というから、「バカ、見料取返しに行くよ」とつっこまれます。(そしてやはり雪は降っておらず、アタイは今日は変な日だなあと首をかしげます)

 

 イタコたちがいなくなった舞台に烏が乱入、舞台下手で商談ブースを作っていた椅子とテーブルを、椅子は撤収し、テーブルは舞台中央に移動してその上にアブラハムの商談カバンを置いて去っていきます。

そこにアブラハムと三日坊主が戻ってきて「だよね?」「でしょ?」「やっぱ、あれ?・・・使いの?」「それ、使いのもの!」「誰の?」「せえの・・・(二人で声を合わせて)神様からの使いのもの!」と、二人が神様からの使いのもの、使者仲間であることをたしかめ抱き合います。

(使いのものの「もの」はmono同様、霊的なモノでもあり、使者=死者でもある言葉遊びが最終的にわかりますが、ここでは長い歴史の中、神に仕えていた同志のように観客には見えます)

 そして三日坊主も神様からウソ発見器のようなものをもらっていたことを見せ、これって何かの探知機だったけど、永遠プラス36年間まったく反応しない、探知機なのにインチキだよね、とウソ発見器を乗せたテーブルを前に考えこみます。

そこにセットの跳ね板の影から一生さんが匣を抱えてさりげなく登場し、二人の間に入りテーブルを囲みます。

三日坊主は「永遠プラス36年間のお勤めを終えてあと3日で定年だから、無事、地上では探知機鳴りませんでしたと神様に報告するまでさ」と言っていると、一生さんが「でも、この探知機は鳴らない方がいいのかい?」と会話に入ってきます。「もしも、何か大切なものを探すための探知機だったら、鳴った方がいいんじゃないの?」

なるほど、と3人で探知機を見つめますが、やはり鳴らない探知機。

「これが、天井についているガスの探知機のあの沈黙であれば、その沈黙はいいことだ。けれども、これが民衆の沈黙だとすれば、黙り続けるのは悪いことだ」と、賢そうなことを言う若い男。(記憶喪失状態のmonoは、東京独身男子の太郎ちゃんとか僕キセの一輝みたいな感じかなあ。ちょっと違うか)

その言葉に感心して、ふと、人が一人増えていることに気がつくアブラハムと三日坊主。

誰だと聞かれて元気よく「僕はmono」と答えるmono。記憶喪失の人が無意識に答えが出た感じで、ちょっと大げさに頭かなにか痛そうに、瞬間顔をゆがめます。

曲者のモノ?と聞かれて「一つの音ってことだよ、mono」と反射的に答えては、またちょっと顔をゆがめる。

その「モノ」という言葉に、アブラハムと三日坊主はmonoも同じく神様からの使いの者だと思い、二人でせえので言いあったように「神様からの使いの者」と声を合わせて、左右からmonoに抱きつきますが、monoだけは「神様からの使いの者」と言えなかったことに気がついて、二人はmonoを怪しみます。

そのタイミングで、何にも反応しなかった探知機が「ジジジ・・・」と反応しだします。何に反応したのかうろうろ探しまわるアブラハムと三日坊主。探知機を客席に向けて、最後にはアブラハムが客席に最大限手を伸ばして探知機を向けて、アブラハムが客席に落ちないように三日坊主が支えて、客席の笑いを取ります。

結局、探知機が反応しているのはmonoであることがわかり、「君はガス漏れ?それとも、もっといいもの?」「僕たちは、神様の使いとして、君をガス漏れ的な悪者として捕まえるべきなの?それとも、いいモノとして扱うべきお方なの?」と戸惑うアブラハムと三日坊主。

 

そこに「泥棒~」の声が聞こえ、またmonoはその声に反応して八百屋舞台の山を越えて逃げ出します。

あいつ、泥棒なの?と驚く二人。

そこに烏女王と烏たち(途中でカラスじゃないよ、コロス(魂の合唱団)だよ、と言って笑いを取る)がやってきて、monoのことを(人間の為に神様から火を盗んだ)プロメテウスの従兄で神様からコトバを盗んだと言います。

ギリシア神話のプロメテウスの名前を出すことで、あの匣がパンドラの箱のイメージを持ちます。火を盗まれた報復にゼウスから送られた、開けてはいけない災いの詰まった箱。箱の中には最後に希望だけが残った)

だから自分たちは神様のコトノ葉を取り返すために、あいつを永遠プラス36年追いかけている、その気の遠くなる時間に、神様からの使いだった者はほぼほぼ諦めて烏になってしまったが、アブラハムと三日坊主だけはずっと人間に化けて頑張り続けているのだと。

その説明をしている間、舞台手前にアブラハムと三日坊主、八百屋舞台の上方に烏女王と烏たち(烏たちは「ばっかカァ~」と威嚇して自分のお尻を叩いている)、monoは八百屋舞台のさらに奥に登る黒い階段があり、そこを匣を抱えてスローモーションでその場足踏みで走って逃げています。階段が見えないので、天空を走って逃げているように見えます。

こう見えて俺たち偉いんだ!と浮かれるアブラハムと三日坊主。彼らと烏はmonoを追うようにして舞台から消え、monoは逆に上方から一気に舞台手前下手に駆け下りて、疲れ果てたように倒れ込みます。

 

そこに楽が上手からやってきて「いたいた、君、さっきはどうしたの?ドロボーっていう声に逃げ出したりして」と話しかけると、monoはやや芝居がかったように聞こえる声で「眠りの船底に沈んでいました。長い終わりのない鉛の夢を見ながら」(シェイクスピアっぽい修辞的な言い回し)と答え、すかさず「あ、ごめんね、そんなこと聞いてない」と楽にばっさり切られて客席に笑いが。(不満げなmono)

「君、泥棒なんかじゃないよね」と聞く楽に今度はmonoがすかさず「期待に応えられずすいません、泥棒です」「monoという名前の泥棒です。たった今わかりました」と答えます。目覚めるたびにはっきりしてくる、自分は神様から神様のコトノ葉を盗んだ、というmonoに「何語をしゃべるんだ?神様って。それがわかったら信じてあげるよ、その他愛もない夢」ととりあわない楽。

 

 そこに「見料返せ」とアタイとオタコ姐さんとイタコ達が現れます。やばいと焦る楽とmono。オタコ姐さんに、なんで逃げたと問い詰められて、monoが逃げたからと言い逃れようとする楽。

すると一緒に焦っていたmonoがいきなり「頭下げろ」と怒鳴ります。楽が「その強気はどうだろう、この状況下で」と止めようとしますが、さらに大きな声で「頭下げろ!」というmono。

楽が必死に、見料踏み倒す気は無かったにしても成り行きで逃げちゃったから謝ろうととりなし、monoも正気に返って、二人で謝ろうとすると、先にアタイが頭を下げます。びっくりする二人。

アタイは、二人のおかげで伝説のイタコが憑りついたから、もう一度あのトランス状態を得るためにこちらが見料を払っても良いから協力してほしいというのです。

しかしmonoは「そんなのどうでもいい。山だ。下山させてください、おりるぞ!」と強く拒否します。

(この時も「頭下げろ」の時と同様、CVRの台詞の「そんなのどうでもいい」「山だ」「降りるぞ」を使っています。CVRの言葉を話す時にmonoは乱暴なおかしな人になる感じです)

そこにオタコ姐さんが「待ちな!お若いの」と芝居がかって間に入り、これが昭和の任侠っぽい?ということでか烏たちが「何か知ってる~、この香り~」「昭和の~シクラメンの香り~かな」「いやいや昭和は昭和でも~」「小料理屋の暖簾くぐって入ってくる~」「小股の切れあがった流しの姐さんの~」「香水のせいだよ(ここはあの「香水」のメロディで)」と三味線で唄います。

 オタコ姐さんが「実は明日はこの子にとって大事な日」と言うのにmonoが「誰にとっても明日は大切な日です」と返すの、一輝(僕キセ)みあるなあ(思いついたことを相手のことを考えずに言っちゃう感じ)と思ったのですが、後になって思えば死者のmonoにはもう明日は無いのだなあと。

しかしオタコ姐さんもめげずに、明日がアタイの50回目(半世紀)のイタコ名代昇格試験の日であること、半世紀といったらオリンピックを12,3回やるくらいの年月であること、見料も大目に見る、継続支援ナントカをちょろちょろっとして何とかするから(客席笑う)昇格試験の相手役をやってあげてくれと頭を下げ、イタコたちもお願いするので、monoと楽は折れて相手をすることにします。

 

オタコ姐さんは模擬試験ということで自分の前でまたトランス状態になってみてと言い、monoはこんな真夜中の恐山でと嫌がりますが、オタコ姐さんは、イタコはこんなワルプルギスの夜に修行してきたんだと譲りません。

ワルプルギスの夜: ノース人の風習では、ヴァルプルギスの夜は『死者を囲い込むもの』とされていた。北欧神話の主神オーディンルーン文字の知識を得るために死んだことを記念するもので、その夜は死者と生者との境が弱くなる時間だといわれる。かがり火は、生者の間を歩き回るといわれる死者と無秩序な魂を追い払うためにたかれ、光と太陽が戻るメーデー(5月1日)を祝うことにつながる(wikiより)・・・日本のお盆みたいな感じ?またここでも、文字の知識を得るためとか言葉に関連する?死者と生者の境が弱くなる感じは戯曲後半に出てきます)

そしてアタイは先ほどの続きで、楽の妻をおろそうとします。「確か首を絞められたのよね」と聞くと楽は「よく考えたら私がやった気がしない。あれは妻が自分で自分の首を絞めたのも同じ」と言いだして、「マクベス」の眠りを殺したの場面が始まります。「リア王」「オセロー」とたおやかな女性になっていた一生さんが、ここでは夫に国王を殺せという気の強いマクベス夫人に。他人事のように楽の話を聞いていた一生さんが、ある瞬間にマクベス夫人が乗り移って目の色が変わるのがすごいです。(オールメールの舞台で一生さんのマクベス夫人が観たくなります)

「まだここにしみが!ああ、この手は二度と綺麗にならないのかしら」と言ってひきつけたように気を失うmono。

するとアタイにまた伝説のイタコが乗り移り、先に客に憑りつかれてどうする、下手!糞!と叱り、イタコたちにもマクベスの魔女の霊が入ったのか、三味線の音で人形浄瑠璃を行いながら、魔女の言葉の「豚を殺していた」とか「風を送ってあげる」の台詞をしゃべります。伝説のイタコが入ったアタイは、気を失っているmonoと楽を松明で叩き、二人は「あつっ!」と意識を取り戻します。

アタイはmonoを上手舞台端の低い柱のところに追い詰めると、「何をじろじろ見ているんだよ」と問い詰め、monoはびびりながら「いや、この前の伝説のイタコさんと雰囲気が違うなと」と答え、アタイ「どっちが好きなんだよ」mono「あの時の感じの人とも会いたいかなあ・・・って」と必死にごまかします。笑える場面。

伝説のイタコが入ったアタイは、「あの時、この子より先に憑りつくなんて真似をしたら暁烏が骨にすると警告したよな」と脅します。

舞台前方で観客席の方を見つめながら、楽とmonoは暁烏の大群が何かを運んでこちらに飛んでくるのを発見します。

「高校演劇部出身の俺にはわかる。シェイクスピアだ!暁烏と一緒に飛来するぞ」「でも何でそんなやつが」「ロイヤリティーだ、無断借用したからだ!」

 

スウィングの音楽が流れ、八百屋舞台の上方から野田さん扮するシェイクスピアがアンサンブル引き連れて登場、「シェイク、シェイク、シェイクスピア♪」の歌が流れ、みんなで手をつないでダンスします。アブラハムと三日坊主と手をつないで踊るシェイクスピア

歌が終わるとシェイクスピア以外は舞台からはけます。何かを探すシェイクスピア

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 パニックになってmonoは舞台を走りまわって逃げ、最後に下手の端ではけようとしていた烏の一人を羽交い締めにしてその影に隠れようとします。「じっとしてて」「柱になって!」とか、そんなことを言って必死に烏を羽交い締めにして、シェイクスピアから隠れるmono。(ここ、どんどんギャグシーンとして変化、こらえきれずに笑う烏の白倉さんに「何笑ってるの?」と言ったり、胸を揉んでみたり、一生さんのやりたい放題に)

しかし最終的にシェイクスピアに見つかり、烏は剥がされmono一人になります。(楽は上手の柱の影で気を失っている)

 

7200字超えましたので、続きます・・・・。

 

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野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」シーンごと感想①

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「フェイクスピア」ストーリー展開や感想はだいたい書いたのですが、前回「天保十二年のシェイクスピア」各場面についてダラダラ書いたものが、備忘録的に自分に役立ったので、今回もだらだらと記録を書き付けます。(私のポンコツ記憶と知識と感想ですが)

【完全にネタバレしますので、観劇予定のある方は観劇後に・・・】

 

(昨年書いた「天保」感想)

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ちなみに「フェイクスピア」の感想など。(初期の感想なので、色々間違いとか浅い解釈がありそうですが)

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NODA・MAP第24回公演「フェイクスピア」

作・演出 野田秀樹

東京公演 2021年5月24日(月)~7月11日(日) 東京芸術劇場プレイハウス

大阪公演 2021年7月15日(木)~7月25日(日) 新歌舞伎座

 

 

<キャスト>

mono・・・・・・・・・・・・・・・・高橋一生 
アブラハム・・・・・・・・・・・・・・川平慈英 
三日坊主・・・・・・・・・・・・・・・伊原剛志 
星の王子様/伝説のイタコ/白い烏・・・前田敦子 
オタコ姐さん/烏女王・・・・・・・・・村岡希美 
皆来アタイ・・・・・・・・・・・・・・白石加代子 
シェイクスピア/フェイクスピア・・・・野田秀樹
楽・・・・・・・・・・・・・・・・・・橋爪功 

 

<舞台セット>

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このセットは夢幻能(ワキに乞われてシテが身の上を語り、成仏する)の形式のセットだとおっしゃっている方がいらっしゃいました。

舞台奥に向かって傾斜がついていて、恐山を表わしているようです。

(このセット写真より奥は高さがあると思います)

山のところどころに跳ね板みたいなのがあって、その影から登場人物が出てきたりできます。

 

 

<設定>

【時】2051年8月12日

【場所】青森県恐山

但し、これはよくある近未来の話ではない。

恐山は30年たっても今と何も変わらない。

だから、2021年のつもりで演じて構わない。

(新潮2021年7月号戯曲より)

 

戯曲では「永遠プラス66年間」となっていますが、舞台では「永遠プラス36年間」になっていました。

これについては前回のブログで考察しましたが、2051年であれば、高校卒業後イタコ見習いを50年やっていたアタイと楽の同級生コンビは、1985年(に3歳)+66年の69歳となりますが、これを2021年にすると、楽は1985年に3歳だから2021年は39歳で、アタイの年齢とつじつまが合わなくなります。

 

戯曲では楽は69歳くらいで高齢での自殺志願者。ただしコロナ禍の今、若者や現役世代へ「頭を上げろ(生きろ)」というエールを送るため、楽は39歳とも取れるようにし、2051年の生者(アタイと楽)の世界と、2021年の死者(mono、アブラハム、三日坊主、オタコ姐さん)の世界をつなげて、楽の年齢設定がどちらにもなるようにしている、と私は解釈しました。

(恐山という時空で、生者の2051年と死者の2021年が繋がっている)

なんとなく、楽の希死念慮と立ち直り方が、高齢者の自殺願望というより、若者の希死念慮のような気がするんですよね。

 

 

 

<客入れ音楽>

相互さんが作成してくださったリスト。https://twitter.com/mikan__129/status/1405517572921909248?s=20ttps://twitter.com/mikan__129/status/1405517572921909248?s=20

 

・My Melancholy Baby
https://youtu.be/_pgZFXUnQZQ

・虹の彼方に
https://youtu.be/Oksq0fUosm8
・Kaimono Boogie
https://youtu.be/yOGEsWPqRno
Tutti Frutti
https://youtu.be/C_C9q4tuwXI
・Fingerprints
https://youtu.be/twdaMiOUxzg
・Piece of My Heart
https://youtu.be/SCngPse1iiI
・Dumb
https://youtu.be/peclQi67KS8
・What's Going On
https://youtu.be/H-kA3UtBj4M
・あふれる愛を
https://youtu.be/hgzCrjkcm0Y
・Respect
https://youtu.be/6FOUqQt3Kg0
・I Can See Clearly Now
https://youtu.be/NkwJ-g0iJ6w
・Walk On the Wild Side
https://youtu.be/oG6fayQBm9w
・Can I Kick It?
https://youtu.be/7D_JwgIM-y4
・Trav'lin' All Alone
https://youtu.be/Jw-oF2AXlxs
・Owari No Kisetsu
https://youtu.be/xWXAOuHjI68
夢で逢えたら
https://youtu.be/6hkOna_dDXc
・The Way You Look Tonight
https://youtu.be/h9ZGKALMMuc
・Sing Sing Sing(M0)
https://youtu.be/TOPSETBUgvQ

 
私は洋楽は詳しくないので、印象に残ったのが「夢で逢えたら」と「Sing Sing Sing」です。
夢で逢えたら」大瀧栄一さん版は1985年の曲であり(その後何度かカバーされている)お話の内容にもリンクするので(夢で逢いたい、今だから言える)わかるのですが、大事な開演直前の曲が「Sing Sing Sing」なのはどうしてだろうと思っていました。

良い曲でノリノリにはなるのですが、そこから始まる場面が喜怒哀楽でいうなら「」なので、ずいぶん落差があるなあと。

 

そこでまた相互さん知恵袋。

 

 

「Sing Sing Sing」に代表されるスウィングジャズは、1930年代から1940年代初めにかけてダンスミュージックとして大流行しましたが、それは1929年から始まった世界大恐慌の苦しみを少しでも癒したいという人々の願いの表れだったそう。

今のコロナ禍とリンクさせているということかもしれませんね。

 

 

 

<ストーリー>(舞台写真は篠山紀信さん撮影の宣材写真転載させていただきました)

 

「Sing Sing Sing」で盛り上がりが最高潮になり、客電落ちてステージ上明転。

(舞台上に緞帳はありません)

高橋一生さんが舞台上にオルゴールくらいのサイズの剥げた白い匣を抱えて目を瞑って座り、バックにアンサンブルの方々が14人くらい?固まって立ちます。

(一生さん達が出てくる気配無いかなあと、3列目で目を凝らし耳をすましても全然出てくる気配がわからない・・・)←上手から瞬時に出てこられるらしいという情報あり

一生さんはふわふわゆるパーマセンターパーツの髪型で、茶色のハイカラ―のブルゾンに太めのパンツ(ダークブラウン~黒)、ブルゾンはちょっと不思議な袖で、ひじの裂け目から腕が出る感じでその先の布をひじの部分でとめる?しばる?ことで半そでに見えます。

一生さんが目を開け、匣の蓋をこじ開けると中から光が漏れ、ゴーッ、ザザザッというSE音がします。

「ずしーんとばかり、とてつもなく大きな音を立てて大木が倒れてゆく。けれども誰もいない森ではその音を聞く者がいない。誰にも聞こえない音、それは音だろうか」

という、不思議な詩のような台詞を一生さんが匣に話しかけます。

木々が倒れるさまを描写して、バックのアンサンブルの方がバタバタっと倒れるのがとても綺麗です。

(別場面の写真ですが、アンサンブルさんの倒れ方こんな感じです)

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「誰にも聞こえない音は音なのだろうか」「誰にも聞こえない言葉は言葉なのだろうか」「何のために誰もいない森で私は言葉を紡いでいるのか(ここでいっそう一生さんの瞳が潤む)」といった問いかけをしたあと「――そう言い終わると神様は、誰もいない森で、永遠に目を瞑った」と一生さんは語り終わると、アンサンブルの方々が一生さんの持つ匣から何か(言の葉?)を取り出す仕草をし、その仕草にあわせて「そう言い終わると神様は・・・」「そう言い終わると神様は・・・」という一生さんの声がSEで流れます。

 

この場面の私的解釈。(長文注意)

 

初日はこの先のストーリーがわからなかったので、何だろう?(一生さんは誰なんだろう?)一生さんの瞳が潤んでいるから、哀しい場面なのかな、と思いました。

照明も幻想的な暗さで。

そして全て観終わった時に、これが36年前に起きた日航機墜落事故(1985年8月12日、御巣鷹山に墜落したJAL123便。羽田から伊丹に向かう最も混み合う夕刻の便で524名を乗せていた=初日の5/24も意味のある日付か)を表わす場面だと気がつきました。

夜7時前の御巣鷹山に木々をなぎ倒して墜落したJAL123便。

話が進むと徐々にわかっていくのですが、一生さん演じるmonoはその123便の機長だったのです。

そして彼は、神様から言葉を盗んだプロメテウスのいとこでもあり、ギリシア神話オデュッセウスでもあり、夜間飛行(これもテグジュペリの小説)が大好きなサン=テグジュペリ(遭難死した)にも例えられます。

 

となると、ここで言われている「神様」は誰なのか

 

monoが言葉を盗んだ神様、monoが必死に抗い戦った大きな運命(死)をもたらす神様、劇中で「言葉の神様」として登場するシェイクスピアなどありますが、誰もいない森の中(御巣鷹山)で永遠に目を瞑ったのは、123便の機長なので、ここで一生さんは自分(mono=機長)のことを第三者のように語った可能性があると思います。

永遠に目を瞑った神様=mono(機長)。

 

しかしmonoは神様なのか?

一生さんがフェイクスピアの雑誌のインタビューで、「死者の書」を読んで参考にしていると仰っていたのですが、「死者の書」はおそらく折口信夫の書いたものでしょう。(よもや古代エジプトの「死者の書」ではないと・・・)

なので「死者の書」をぱらぱらと読んでみたのですが、なかなか難しい(笑)

斜め読みと解説書の斜め読みから考えたことなのですが、死者の書」は冒頭に死者である滋賀津彦(大津皇子の仮名)が目覚めるのですが、そこの描写がなんとなくこのフェイクスピアのオープニングを思わせました。個人的感想ですが。

フェイクスピアでは逆に神様が眠りにつきますが(死にますが)、「死者の書」は死んで真っ暗な眠りについていた死者がゆっくりと目を覚まします。

また、この大津皇子は実在の人物で、天皇(神)に逆らった(謀反)罪で処刑され、二上山という山に埋葬され(遺された姉が、二上山をこれからは大津皇子と思おうという歌を詠み、山と同一視されている)、祟りをなす神として祀られている(つまりは無実なのにこじつけで死罪にした後ろめたさから)ので、大津皇子の霊が目を覚ましたのも山中の岩窟で、彼は自分が一本の木であることに気がつきます。

倒れた大木というイメージ、また一生さんの衣装がブラウン系で大木にも見えるという声もありましたが、もしかしたら「死者の書」とリンクしているのかもしれません。

(役作りの話の中で野田さんから「死者の書」の話が出たのかも?)

 

(7/15追記:衣装のひびのこづえさんのブログで、一生さんの衣装が一生さんの提案で大きな変更が出たというエピソードが。

たしかにパンフ掲載の衣装デザインでは、グレーのチェックのロングコートにグレーのチェックのパンツ、コートの下にパイロットの(とまではわからないだろうけど)シャツとネクタイをしているのも見えるものだったので、全然違うデザイン画だけどなんで変わったんだろう?と思っていました。

「モノ」トーンからくるデザイン画だったのかもしれませんが、それがブラウン系のジャンパーになり、下のシャツとネクタイも隠すことで「大木」のイメージのお衣装になったと思います。実のところ、一生さんがどのように考えて衣装変更したのかはわかりませんが・・・)

 

さらにこの小説が発表された当時(昭和14年)は天皇=神なので、慮って犯罪者の「大津皇子」とは明言せずに「滋賀津彦」と仮名にされているのも、一時期、飛行機を墜落させて519名を死に至らしめたと非難された機長の名前がmonoになっているイメージにちょっと重なる・・・と思うのは、うがちすぎかもしれませんが。

さらに「死者の書」の世界観では大津皇子の処刑された686年と、ヒロインである藤原南家の郎女の時代(760年くらい?)に70年くらい隔たりがあるので、時間のジャンプの幅もフェイクスピアの戯曲に近いなあとか、大津皇子の霊は同時に大友皇子だったり隼別皇子だったり天若日子の霊だったりするらしいので(皆、天皇に逆らって殺された)、monoが機長であるのと同時に、プロメテウスのいとこでもあり、オデュッセウスでもあり、サン=テグジュペリでもある感じも「死者の書」っぽいなあと思いました。(あと「死者の書」にもイタコ的な老婆が出てきます。イタコというか昔語りして死者の代弁する感じかな)

 

ちょっと話が脱線しました。

日本では無念のうちに亡くなった人は「神」に祀られます。(特に無実なのに犯罪人として処刑された人など)

なので、この冒頭の「神様」はmonoであるという解釈も出来なくはないのかなと思います。

(ただし別の場面でまたmonoがこの場面を語る時は、神様が森をさまよっている時に大木が倒れてきているので、この神様は人間に言葉を与えた神様なのかも?そしてmonoは自分で言っていたように「神様からの使いのmono(者)」に過ぎないのか(しかし「mono」とは英語での「1つの音」という意味の他にも、日本語では「モノ(物)」は超自然的なもの、災いや祟りを引き起こす悪神という意味を持つのですよね)。この辺りの主格の曖昧さが、憑依とか「死者の書」的世界なのか)

冒頭の神様が人間に言葉を与えた神様なら、この神様はmonoに同情的(死を悼んでいる)ではあると思います。(一生さんの瞳が潤んでいたことから)

 

(6/27追記:一生さんの瞳がいっそう潤むのが「何のために誰もいない森で私は言葉を紡いでいるのか」の台詞のタイミングだったので、やはり私=monoのような気がします。楽のラストの長台詞の「けれど、ただの一つの言の葉も、息子の為に残せなかった」に対応する父親の心情として)

 

そして戯曲のト書きには無かったので振り付けでの意味付けなのかもしれませんが、アンサンブルの方々が一生さんの持つ匣から何か(言の葉)を取り出している感じが、事故後CVR(コックピットボイスレコーダー)の機長の言葉の「ドーンと行こうや」が切り取られて独り歩きし、非難の対象になったこと(リアルな言葉のフェイク化)を想起させます。(そしてこれはラストシーン、野田さんによって「頭を上げろ」という言葉を切り取って別の意味にしたプラスのフィクション化と対になる気はします。このリアルな言葉に違う意味を付加するフィクション化を、プラスとするか「不謹慎」とするかは意見の分かれるところと思いますが

 

オープニングシーン解釈終わり・・・・長かった・・・・。

 

 

 

そんな幻想的な場面から一転、舞台上明るくなり、一生さんたちが袖にはけるのと入れ替わりに白石さんがマイクを持って登場します。(マイクは普通のカラオケのマイクみたいなものではなくて、大きな収録用マイクみたいな感じ)

鮮やかなピンクのお洋服で般若面などの模様のお衣装。

白石加代子です」とまんま名乗り、女優になる前は恐山でイタコ見習いをしていたが、とうとうイタコにはなれずに単に恐山に「居た子」になりました、などという嘘の自己紹介をし、物語が始まります。(白石さんに言われると本当のような気がして観劇後wiki検索する人続出。もちろんフェイクです)

アンサンブルの女性が一人、イタコの衣装の白いスモッグを裏返しに着て白石さんと両手をつなぎ、もう一人がそれを裾からひっくり返して白石さんにかぶせると(口移しならぬ両手移し・・・伝わるかしら?)白石さんがイタコの衣装(白地に人の顔・・・フェイクスピアのキャスト写真のピンクの何かを出している顔)を身に付けてイタコ(見習い)に早変わり。

 

ここの場面。オープニングは幻想的に始まったのにまるでショーの司会者登場!のように舞台の空気を一転させますが、これはクライマックスにまるまるリアルの言葉(CVRの言葉をそのまま)を使い、ノンフィクションの強い言葉をフィクションに取り込むことで、観客を第三者ではなく芝居を成立させる当事者にしようとしている=演劇の力)、そのために、舞台上方に「FAKESPEARE」の文字でプロセニアムアーチを作り、白石加代子さんが「白石加代子です」と役名ではなく司会者のように自分の名前を名乗ってからイタコの服を着たり脱いだりして、厳重にこの先は演劇空間ですよと規定していたのだと思います。(ノンフィクションの言葉をフィクションの世界に絡め取るために)

 

そしてここから物語が始まります。

 

恐山でイタコ見習いを50年もしている皆来(みならい)アタイの元に、6時56分28秒なんていう細かい時間にお客さんのアポが入りました。

(この時間が実は、CVRが切れた=墜落した、時間です)

そしてやってきたのは下手から箱を抱えた若い男(一生さん)と上手から年配の男(橋爪さん)。ダブルブッキングしてしまったのかと焦るアタイ。

(死者たちは常に下手から登場、生者は上手から登場していたような気がします。うろ覚えですが

若い男は「頭下げろ!」といきなり怒鳴り、アタイはダブルブッキング位でそんなに怒らなくてもいいじゃないかとしぶしぶ謝って「でどなたを呼べばいいの?」と聞くのですが、若い男は何故自分がここに来たのかもぼんやりしてよくわかっていない様子。一生さんの役は記憶喪失なのかな?と思いました。

(一生さんがやや素っ頓狂に「頭下げろ!」というので、初日はここで観客に笑いが起きていたのですが、後になってこの「頭を下げろ」「両手でやれ、両手で」「頭上げろ」はCVRの言葉だったことがわかります。6月中旬に観劇した時にはここで笑いが起きなかったのですが、徐々にリピーターが増えて、この言葉の本当の意味がわかってしまっているせい?もしくは一生さんの言い方があまりに激しかったせいか)

 

アタイは、らちが明かないともう一方の年配の男に用向きを聞くと「娘をお願いします」「娘は首を絞められて殺されたのです」と。

ヘビーな内容におじけづきながらアタイが取りかかろうとすると、何故か客の二人に霊が降り、橋爪さんはリア王に、一生さんはコーデリアになり、リア王が領土を娘たちに与えようとする場面の一節を演じます。リア王に勘当され、死んだように倒れるコーデリア一生さん。

(一生さんの女役が素敵。イセ子やビアトリス思い出す)

 

そこに伝説のイタコ(前田さん)の霊が手下を従えて登場。

飛行機で上空をエンジン音消してホバリングしていたから状況はよく聞こえたと言い、「下手!」「糞!」とアタイを罵倒しつつも、「イタコ名代昇格試験に何回落ちてるんだ、昇格試験は明日で、年に一度きりだぞ」「心に包丁を持て!お客に先に憑りつかれてどうする」と叱咤激励します。

(ここの「心に包丁を持て」は唐突な台詞に感じたのですが、思い当たる仕掛けが、チェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」が1984年にヒットしたことくらいしかありません(発売は1983年)。「ナイフみたいに尖って」の拡大解釈ですが。(最近「うっせぇわ」との対比でちょっと注目されたし、「うっせぇ」という台詞も後半出てきてるので、もしかしたら関係あるかも?というレベルですが))

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この場面、手下の烏たちにリフトされたり組み体操ぽかったり、アクロバティックで前田さんすごいなーと思いました。

 

次に伝説のイタコは、霊が憑りついて気を失っている二人を松明で叩いて正気に戻し、自分はアタイの母で若くしてこの子を産んだから若いんだと主張し、今度この子より先に憑りつくなんて舐めた真似をしたら、恐山の暁烏たちがお前たちを骨にすると脅します。

そこに携帯電話の音が鳴り(初日、誰かがやらかしたのかとびくぅってなりました・笑)ショルダー型の携帯電話を烏から渡された伝説のイタコは「今そっちに行くよ、どいつもこいつも私がいないと」と文句を言いながら飛行機に乗って帰っていきます。

(その携帯電話を見て、オッケーバブリーって思っていたのですが、このショルダー型の携帯電話が出来たのが1985年だったそうです。ショルダーフォン101型。野田さん細かく1985年のヒントを出してきます)

 

キャスター付き椅子にまたがって、アンサンブルの方々にリフトされて飛行機を表現して去っていくのとか、おお!って感じのすごい迫力でした。本当にETの音楽に乗ってふわっと浮かんで。

伝説のイタコの前田さんはかなり声を張るお芝居で、喉傷めないか心配。

 

舞台に緞帳は無いのですが、ブレヒト幕というのかな、舞台をカーテンのように左右に布を引いてその陰で人物などが入れ替わるのが印象的で、幕が走ると伝説のイタコがしたポーズをアタイが取っていて、のりうつっていたことを表現します。

このブレヒト幕の使い方が面白く、場面展開にも使われるので(幕の移動の間にみんなが布団敷いて寝ていたり)、幕の後ろで早変わりたいへんだろうなと思いました。

 

 ブレヒト幕が横切り、伝説のイタコがアタイに入れ替わると、匣を抱えた若い男はアタイに「今あなたに誰かがのりうつっていた、若い若い、自分は若いんだと執拗に若さを強調していた」(観客、笑う)と伝えます。するとアタイは「50年かけてついにのりうつりが出来た、あなたたちのおかげだ」と喜びます。

 そして会話をするうちに、年配の男はアタイの高校時代の演劇部の同級生「楽(たの)」だったことが判明し、アタイと楽は思い出話に花が咲きます。(演劇部の部長でも無いのに仏頂面だからブッチョウというあだ名だったアタイと、「楽しんでいこう=タノ、死んでいこう」とからかわれていた楽)

二人が思い出話を和気あいあいと話しているのを、上手の柱のあたりでニコニコ見つめる若い男に気付いてアタイは「ごめんね、アタイ達だけで盛り上がっちゃって」と謝ります。

(初日はこのシーンの中心であるアタイと楽に目が行って気がつかなかったのですが、一生さんはここで二人を見てニコニコしてたんですね。アタイが「ごめんね」と声をかけた時はやや真顔だったので、話に入れずつまらなそうに見ていたという印象を初日は抱いたのですが、アタイが「喚け喚け」の台詞を「分け目分け目」と言っている辺りとか特にニコニコしてる。ちょっと次回どの時点で真顔に戻るのか注意してみたいと思います。というのも、このシーンの前までは一生さんは記憶喪失の青年っぽい不安定さが感じられるんだけど(上手く言えないけど、ぼんやりしていてあまり笑うイメージが無い感じ)、ここはちょっと普通の青年っぽい。あとで一生さんが楽の父親だと判明するのですが、息子が同級生とはしゃいでいるのを微笑ましく見つめる→「タノ、死んで」の台詞で真顔に戻ってたりするのかな、と(仮説)。席位置によっては一生さんの表情が見えづらいんですよね・・・・)

 

(6/27追記:えっと、考えすぎで(笑)、この場面、一生さん普通に分け目分け目とかに笑っていて、「タノ、死んで」は特に意識していないように見えました。アタイがこの若い男を放置していたのに気付く場面のちょっと前から、所在無げに匣をいじるお芝居になります

 

(7/10追記:おおぅ・・・本日前楽ソワレ、私の仮説通り、「分け目分け目」で「ああ、喚けと分け目?」みたいにわかってニコニコ笑いながら二人を見つめる、からの「タノ、死んで」で、ふっと真顔に戻りましたです・・・・monoパパ)

 

 そしてアタイは、初めてのりうつりが成功したことに気を良くして、楽の娘の霊を呼ぶ続きを行おうとします。

しかし楽は「自分に娘はいない。呼んでほしいのは妻」「自分が首を絞めて殺してしまった、歳の離れた若い妻をおろしてほしい」と言い出し、アタイは「同級生は塀の中の懲りない人(=犯罪者)なの?」(「塀の中の懲りない面々」は1986年の小説で流行語大賞になった)と驚きます。

そしてそこからオセローの、浮気を疑ってハンカチを出させようとする場面に。(オセローが橋爪さん、デズデモーナが一生さん)

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(デズデモーナ!と嘆き悲しむ、楽)
(初日は女らしさを表わすためか、憑依のところで袖を解いて上記の写真のようにしていたのですが、すぐにこの場面も袖はそのまま半そでで行くようになっちゃいました。なんでだろう)

 

「(デズデモーナって)楽の奥さんは外人さん?」とアタイに驚かれて、「違うな、私は人殺しじゃない」と正気に戻る楽。

アタイは若い男を起こすと「あなたも誰か呼んでほしくて来たのよね、誰を呼ぶ?」と尋ねます。聞かれて彼は自分の背後に立つ楽を振り返り「・・・息子かな?そんな気がする」と。

ここ、初日はうっかり見逃した(というか、楽が息子だという設定を知らなければ見逃してしまう)のですが、「息子」と答える時に一生さんはわざわざ振り返って楽の顔を見ながら答えるんですよね・・・・。

 

 

そんな若い男に、息子を失って悲しくないのか疑問に思う楽と、いやいや悲しすぎて現実味がないのでしょうと同情するアタイ。

そして、その大事そうに抱えている匣も息子さんの形見かも、そうしたものを持ってくる人も多いのよ、開けてみたら?と提案し、そうなのかもしれないと思った(匣に対する記憶が無い)若い男が匣を開けると、アンサンブルの人たちが舞台に現れ、黒い紙(偽の言の葉?)を撒き散らします。

それを背景に一生さんが、昔々この世から樹木が枯れて葉っぱが無くなってしまったという物語を語りだします。

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葉っぱを探して森に迷い込み、疲れて目を瞑ると大木が倒れて(オープニングシーンに続く?)その後を追うように最後のひと葉が降ってきた(山中に落ちてきたCVRのイメージか?)(天井から緑の紙が1枚、一生さんの手元に落ちてきます。実際は一生さんがテグスで上手く手元にコントロールします)神様は永遠に目を瞑る前にその大切な葉っぱを人間だけにあげることにした、その葉っぱがやがて「言の葉=言葉」と呼ばれるようになった、と。

(この場面だと神様は人間に言葉を授けた神様で、機長ではないんですよね・・・)

 

(6/27追記:22日あたりから、この個所の一生さんのお芝居が変わったとの情報が入り、チェックしました。今まではOPシーンと同様、monoの声で語っていたのですが、27日はこのシーンの台詞を男性で読んだり女性が憑依したように読んだりと変化させていました。人間(私たち観客)に(リアルな)言葉を授けた神様はmonoなのかもしれません。「昔々、この世から樹木が枯れた、葉っぱが無くなった」=フェイクが横行する現代、「(私が見つけた)空から降ってきた1枚の葉っぱ」=私(=野田さん)が見つけたリアルなCVRの言葉、「神様はその大切な葉っぱを人間だけにあげることにした」=神様(=mono)は人間(=観客)にCVRを聞かせる、というように)

 

 

そこに「泥棒!!!」という叫び声。

その声にはじかれたように下手(しもて)に逃げ去る若い男と、つられて楽も上手に逃げます。(のちに山を降りるには生者の道と死者の道があり、同じ側を使わないといけないという話が語られる。下手は死者の道っぽい)

アンサンブルの方たちも素早く、撒き散らした黒い紙を回収して撤収します(笑)。

 

 

すでに1万字超えているので、続きます。

(このペースと密度で最後まで書けるのかな、これ・・・) 

 

crearose.hatenablog.com

野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」戯曲を読んで

昨日、戯曲掲載の新潮が発売前ですが、と「フェイクスピア」観劇の感想を投稿しました。

crearose.hatenablog.com

【以下、ネタバレします】

今日、早速予約していた新潮を開いたところ

 

【時】2051年8月12日

【場所】青森県恐山

但し、これはよくある近未来の話ではない。

恐山は、30年たっても今と何も変わらない。

だから、2021年のつもりで演じて構わない。

 

という設定が!

はい、昨日さんざん「楽の年齢設定がわからない。2021年ならお父さんが3歳の時に亡くなったから今は39歳。しかし同級生のアタイが高校卒業後イタコ見習いになり50年という計算だと68歳くらいで2050年になるのでどちらだろうか」と考えていた解答が、冒頭で解決!

 

舞台では「永遠と36年の間探していた」と36年になっていた台詞も、戯曲では「永遠と66年」に変更されていました。

やはり戯曲単体では楽は68歳くらいで高齢での自殺志願者。ただしコロナ禍の今、若者や現役世代へ「頭を上げろ」というエールを送るため、2051年の生者の世界と、2021年の死者の世界をつなげて楽の年齢設定がどちらにもなるようにしている、と私は解釈しました。

 

それと、「コトバ」についてはもっと戯曲を読みこまないといけないのですが、フェイクというか、フィクションとノンフィクションについては、ノンフィクションの強い言葉をフィクションに取り込むことで、観客を第三者ではなく、芝居を成立させる当事者にしようとしている(=演劇の力)ように感じました。

思えばそのために、舞台上方に「FAKESPEARE」の文字でプロセニアムアーチを作り、白石加代子さんが「白石加代子です」と役名ではなく司会者のように自分の名前を名乗ってからイタコの服を着たり脱いだりして、厳重にこの先は演劇空間ですよと規定していたのだと思います。(ノンフィクションの言葉をフィクションの世界に絡め取るために)

 

そして野田さん自身も「不謹慎」と仰っていて、観劇された方には「この事故を何故今取り上げたのか、まだ早すぎるのではないだろうか」との疑問を持たれた方もいらっしゃいますが、この仕組みで観客を舞台を成立させる当事者に引きずり込むには、もうこれ以上は待てないタイミングだったように思います。

というのも、昨日のブログにも書いたように、あの事故がリアルなのは一定以上の年齢で、10代20代の観客にはフィクションと同じで、タイタニックの事故の再現VTR観るようなもの。(勿論それはそれで感動しますが)
劇場に足を運ぶ観客の大半があれをリアルと気付き、更に事故が自分の当時の生活にある程度インパクトを与えた記憶がある世代がそこそこ観客にいないと、あのリアルな言葉に息を呑む空気感が生まれなかったと思います。
その空気感で実際の記憶がない世代も、ある程度引きずりこまれるんだと。

もし中学高校の芸術鑑賞会で貸切公演とかだったら、野田さんの意図は成立しなかったんじゃないかなあと。

観客の年代が3~50代とすると、36年前の事故はあと5年後には知らない世代の方が多くなりそうですから、やるなら今だったのかも。

 

そんな感想を持ちました。