★お気楽日記★

アリとキリギリスでは断然キリギリスです。 うさぎとかめなら、確実にうさぎです。 でも跳ねる趣味はありません。

野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」観劇して思ったこと(戯曲未読)

明日発売の新潮に野田地図の「フェイクスピア」の戯曲が掲載されます。

 (予約しました。楽しみ)

 

フェイクスピア、初日(5列目センターブロックやや上手)、5/29(土)マチネ(2階上手のA席)、6/3(木)ソワレ(3列目ど真ん中)で観劇してきました。

席によって見え方が変わります。前方席は迫力ですが、2階からだとセットの全体がよく見えますし、クライマックスのモブシーンの動きがよくわかります。(逆に3列目ど真ん中では、クライマックスシーン、後方の野田さんと前田さんが頭しか見えなくなり、かつ舞台前方のお芝居に圧倒されてしまって印象が薄くなります。キーになることおっしゃってるのに)

 

戯曲を読んでから細かい感想は書いた方がいいかなあとも思いましたが、とりあえず3回観た中で思いついたことなど。

ネタバレしまくるので、観劇予定があってまだご覧になっていない方は、まっさらな状態で観た方が良いお芝居なのでご注意ください。

 

【以下、写真終わりましたらネタバレします】

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 あらすじなどはだらだらと前回のブログに書きました。(ネタバレです)

crearose.hatenablog.com

<感想>

野田地図さんのお芝居を観たことが無かった私、予習として過去の作品の観劇ブログを見たりしまして、どうやら野田さんのお芝居は前半は言葉遊びなどのコメディ、そこから一転して終盤へシリアスな展開になる、主に戦争と結びつくことが多いみたいだなと感じました。

それとタイトルの「フェイク」という言葉。

そこで、フェイクニュース的な話題となにか戦争の悲劇になるのかしら?と思っていたのですが、結末は大きく異なりました。

そして、私が感じた主題も「フェイク」「フィクション」「ノンフィクション」ということよりも、父と息子の絆と「頭を上げろ=生きろ!」という励ましの舞台のように感じました。

舞台などを観て何を受け取るかどう感じるかは受け手側の自由で、何を感じても間違いではないと思いますが、タイトルにもなっている「フェイク」と「リアル」な言葉についてはちょっと戯曲を読んで考えたいと思います・・・。

 

このフィクションとノンフィクションの部分にどこまでこだわるかというのは、クライマックスの日航機墜落事故の記憶がどこまで鮮明で自分の体験に近いかというものに左右されるような気がしました。

この事故の事を知らない世代にとっては、ラストのリアルな言葉(ヴォイスレコーダーのやりとりの再現)もフィクション(創作話)と同じで(日航機事故もタイタニックも同じく、昔あった悲劇のお話)、結果的に受け取るメッセージが「最後まで必死に死ぬ運命に抗った父親からの「頭を上げろ」=生きろ、になるだろうなと。

また、その世代(30代以下、主に10代から20代、と本当は子供も)は現在のコロナ禍で、もっとも死にたいという死の誘惑に近い世代な気がしています。

(高齢なほど、コロナが怖い、死にたくないとなっていて、精神的負荷や金銭的負荷のかかっている子供・若者世代は自殺欲求が高いような気がします。現状の自殺者の増加具合を見ても)

だから、野田さんの「頭を上げろ=生きろ」というメッセージは今、必要だったな、と。

一方で日航機事故がリアルな世代にとっては、あのクライマックスのシーンはフィクションの中に入ってきたリアルで、それはとても恐ろしいことだと思います。安全圏で対象物として芝居を観ているはずが、舞台上の悲劇に引き摺り上げられるのだから。

初日に観た時に、これはネタバレ避けてまっさらで観るべきものだけど、トラウマがある人は気をつけないと(気をつけようがないけど)と思いましたが、SNSを観ていたら「自分の友人があの便に搭乗していた、自分は搭乗キャンセルしたのでこのお芝居を観ている」という方がいらっしゃって、ちょっと心配です。その方はその事実だけ書かれていましたが、圧倒的リアルな体験だと、感想とかしばらくは考えられないでしょうね・・・。

そのように鮮明な記憶だった世代と、ちょうど主役の一生さんと同世代の「事件の記憶はあるけれどそこまでリアルではない」という世代もまた少し違うんだろうなあ。日航機事故はwikiで見るとヴォイスレコーダーが公表されるまでに時間がかかったようだし、事故の後も折りに触れて何度かTV番組されていたようなので、どの時点の記憶が鮮明かで様々な評価が変わっていると思います。

私はヴォイスレコーダーの「アタマ上げろ」「アタマ下げろ」と必死に操縦していた様子が印象的で(そのくせ「どーんといこうや」は全く記憶にない)飛行機落ちたら怖い、でも機長たちは市街地に落ちないようによく頑張った、という記憶でした。機長がバッシングされたとかの記憶は無く。

一説によると、関連会社が責任逃れの為にこのヴォイスレコーダーの記録を美談に持ちあげたというのもあるらしく、私はまんまとそれに導かれた感じです。

そして飛行機が落ちること自体は怖かったけれど、この日航機事故は私の周囲には関係者がいなかったので、「これをこのような形で取り上げるのはまだ早いのでは?不謹慎なのでは?」という思いは私には特に無かったです。

それよりも恣意的な報道に騙される怖さ(冒頭でmonoが持つ箱からアンサンブルの方たちが何かを取り出す仕草をし、それに合わせてmonoの台詞が流れるのも、リアルな言葉も切り取ってフェイクに使われると言う比喩なのかも)、また自分は戦争ドラマを観てわかった気になっているけれど、実際に戦争を体験した方と同じものを観ているのだろうか、自分の感覚は正しいのだろうか、そして過去の悲劇は風化して行くんだなという怖さを感じました。

(この辺りは前回のブログに書きました)

 

そして私にとって印象的だったのは「頭を上げろ=生きろ」の部分。

このお話にはmonoと楽の父子、伝説のイタコとアタイの母娘の、子のことを強く心配する二組の親子が登場しますが、親子の演者の年齢は逆転しています。

死者が若い時の姿で出る(この場合は亡くなった時の年齢で出ているのかも)ことに違和感はないので、親子の年齢逆転はわかるのですが、同級生であるアタイと楽の年齢がずれているのが不思議でした。

というのは、アタイは高校卒業後にイタコ見習いになり50年、つまりは68歳くらいということになりますが、そのアタイと同級生の楽は、父親を3歳の時に亡くした、その亡くなった事故は今から36年前の日航機事故、となると楽は39歳ということになります。

これはアブラハムと三日坊主がさんざん「永遠と36年間」と36年を強調していたので、やはり事故は36年前に起きたように思えます。

しかし楽は自殺しようと思っていたことを打ち明けた中で「地下鉄職員で定年を迎えて駅のベンチでパンを食べていた」というようなことを言っているので、そうすると二人とも68歳位の設定なのかな、と。

パンフレットの中で野田さんが、高齢の知人を自殺で失った話をされているので、68歳の楽が自殺をしようとするアイデアは野田さんの中にあったのだろうなと思いますが、(私にはまだ高齢の方が自ら死のうとする心理がわからないのですが)68歳で人生つまらないと思って死のうとした人が「頭を上げろ」で生きる選択をするものかなあ?とも思ったり。なんとなくあの自殺願望からの立ち直り方って、もっと若い世代のもののような気がします。

このアタイと楽との年齢のずれは、老年での自殺願望とも若い世代の自殺願望ともどちらでもとれるようにあえてずらしているのかな。

野田さんがこの戯曲を書きあげたのはわりと直前のようなので、(企画はもしかしたらコロナ禍前に立ち上がっていたのかもしれませんが)コロナ禍での若い&現役世代へのエールとして年代ずらしをしたのかもしれないですね。

今が2021年であるとは言っていなかったと思うので、死者たちが時空を自在に動いているとも考えられるし。(楽が恐山にきたのは2050年で、2021年から死者4人は箱がどうのこうのやっていただけかもしれない)

ちなみに「恐山にくるように背中を押した」のはmonoという解釈でいいのかしら?

 

また、野田さんのお話はいろんな要素が入ってきてすごい、読み説くのには教養がいるなあと思いました。

シェイクスピアの四大悲劇くらいは常識的な知識でいけますが、楽とアタイが気球に乗ってmonoを探す場面で、父子が出会うまでの長い旅をホメロスの「オデュッセイア」の内容に例えていて、ふとオデュッセウス(monoが例えられた)をwikiで調べたら、名前の由来が「憎まれ者」だったことに、長年の機長のバッシングを思い出させられてちょっと震えています。

>誕生時にイタケーを訪れていた母方の祖父アウトリュコスが孫への命名を頼まれ、 「自分は今まで多くの人間に憎まれてきた(オデュッサメノス)ので、憎まれ者(オデュッセウス)がよい」と名付けたという。

(ウィキペディアより)

 

またギリシア神話では、火を盗んだプロメテウスの話が出てきますが、プロメテウスの弟の妻がパンドラなので、ヴォイスレコーダー=パンドラの箱のイメージもわきます。

 

また、飛行機事故との関係もあってか、サン=テグジュペリの物語が使われていて、有名なところでは「星の王子さま」ですが、私はそれよりもmonoが子供に戻った楽に話しかけた「夜間飛行」が気になりました。

まだちゃんと読んでいないのですが、当時の郵便飛行の発展のために危険な夜間飛行を行わせるリーダーの話で、その夜間飛行でパイロットが遭難してしまいますが、それを乗り越えて夜間飛行を中止することなく事業を前進していくお話のようです。

あらすじを読んで、ラストの「頭を上げろ」という励ましに通じるものがあるような気がしました。悲劇を乗り越えて前進していく人の姿。

(なお、「星の王子さま」も子供向けに翻訳されているそうで(誤訳も多いらしい)、思うよりも本当は「愛する者への責任」がテーマのお話のようです。有名なのは今回も取り上げられた「大切なものは目に見えない」のフレーズですが。自分が世話に時間を費やしたバラへの責任を果たすため、死んでまで(?)自分の星に帰る王子様ですから)

 

と、どうも「頭を上げろ」の励ましの印象が強い私。

 

あとちょこちょこ思ったことが

・前田さん演じる「白い烏(カラス)」は白い鳥=鶴=日航機のメタファー

(飛び方がおかしい鳥、加えていたヴォイスレコーダーを落とす、という点から)

・monoの「途方に暮れる自転車泥棒のように」という台詞の自転車泥棒とは、イタリア映画の「自転車泥棒?」

・mono=モノ=超自然的なもの。死霊。(舞台も夢幻能仕立てで、死霊が身の上語りをして成仏していく作り)

 

などです。

 それにしても本当にこの作品は個人の体験によるところが大きいので、本来は観劇後に(できれば世代をまたがって)食事をしながらいろんな感想を言いあうまでが観劇だったなあと思います。

 

 

それでは、明日の戯曲の発売を楽しみにしています。

 

↓(戯曲、読みました)

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