★お気楽日記★

アリとキリギリスでは断然キリギリスです。 うさぎとかめなら、確実にうさぎです。 でも跳ねる趣味はありません。

2020ニーゼロニーゼロ初日観劇してきました@PARCO劇場

高橋一生さんの一人芝居、パルコ・プロデュース2022「2020 ニーゼロニーゼロ」の

初日(2022/7/7)と7/10の公演を観劇してきました。

作 上田岳弘

構成・演出 白井晃

出演 高橋一生

   橋本ロマンス(ダンサー)

 

「2020」というタイトルが示す通り、件のアレが流行った2020年が分岐点となった、人類のお話です。

 

初日は物販の行列がすごくて、開場時刻に来た私と友人は(入場もちょっと行列で)そこからグッズ販売の列に並んだけれど、順番が来たのは開演5分前、しかもポスター(小)は売り切れでした。

(巻いたものが無くなったようで終演後に在庫復活)

2日目からはパンフレットのみの販売列を設けたりして、かなり混雑は緩和されたようです。

(品切れしやすい商品はゴリラ柄のハンカチ。チェック、ピンク、白の順に売り切れ)

 

お芝居は75分にカテコ5分計算?で80分休憩なし。

理解に頭を使うお話でしたので、ちょうど良い時間でした。

 

では、ここからネタバレありの感想を。(今回はざっくり書きます)

ネタバレ見たくない、また、他人の感想に左右されたくない方は(このお芝居、人それぞれで全く受け取り方が違うと思います)

ここから先はUターンして下さいませ。

(てか、感想までエッジが効いちゃいました)

 

写真の下から始まります

 

<舞台セット&衣装>

 

舞台セットは50センチ四方くらいのブロックがたくさん積まれていて、そのブロックに登ったり崩したりして色々なものを表現します。

(バラバラに崩せる=ブロックの山積みは固定されていないっぽいので、登るシーンはドキドキします)

舞台の背景はブロックで作られたように見えるスクリーンで、映像が映されたりします。(ボルダリングのように登れたりもします)

後半、上から小さなブロック(発泡スチロール。多分)やボールが降ってくるシーンがあって、一生さん痛くないのかなあというのと、その後散らかった舞台を歩き回るので、ねんざなどしませんようにと思いました。

 

衣装は白シャツに黒いズボン。そこから転生した各人生で、クロマニヨン人はチリチリロン毛かつらに毛皮(ショール)、大田正一(石原莞爾)は第二次大戦のころの飛行機帽、ドンゴ・ディオンムはアフリカンなシャツにサングラス額に乗っけていかがわしい感じ、田山ミシェルは金髪のかつらに白衣に首にショール。

 

<ストーリー>私の受け取った物語です。あくまで個人の感想です

 

観客(思考放棄して全員が統合してしまった、全体主義に陥った「ひとかたまりになった」民衆)である「肉の海」から切り離された孤高の天才(最後の人間)、Genius lul-lul(ジーニアスルル。以下GL 演・高橋一生)が観客席から登場し(肉の海からの切り離しを象徴)、「沈黙は金」という格言から始めて、2020年の710年後の人類の終焉に至る歴史を語ります。

2020年の疫病をきっかけに「正しさ」に口を塞がれて沈黙してしまったために人類は道を誤ってしまったこと、GLはクロマニヨン人時代から何度も転生を繰り返し、その最悪な結末に至らないよう、外すための予言の書を書いていたのです。

いくつかの前世と、全体主義の逆に個を尊重しすぎたifルートで「大錬金」(誤った民主主義による人類全体の自殺)を起こした田山ミシェルなどを通じて予言を語り、結局2730年、人類はAI最強人間に乗せられて肉の海となり、最後の人間になってしまったGLは絶望し、「遠くに行きたい」と人類が生み出した「ブロック」(欲望(希望)→絶望、情報(他者の経験)、テクノロジーなど様々なものを象徴?)を抱えて宇宙に飛び出します。

そして宇宙で死を迎え、新たなGLとして生まれ変わりパラシュートでまた肉の海の前に戻ってきます。

こうしたことで世界は少しでも変わったのだろうか、と、また冒頭の「沈黙は金」からやりなおしが始まります。

 

 

<感想>

初日はストーリーを追うのに意識がいってしまいましたが、2回目に観た時にはGLのつらさ、寂しさ、苦しさが胸に迫りました。

基本的にGLは斜に構えてシニカルに肉の海(観客)を見ているのですが(余談ですが、lulとはスラングで嘲笑を表わすとか。「w」「草」っていう感じです)、そりゃ最後の人間で孤独なわけで、自分の頭で考えなくなって統合しちゃったおバカな肉の海でも、そんな風になる前に思いとどまって欲しいよね。

(しかも他のみんなが肉の海になってからは毎回GLにしか転生できなくなった)

なんとなくカテコの一生さんもいつになく観客に愛情向けていた気がするし。

一生さんというか、GLなんだろうなあ、あれは。

 

私は2020年からずっとコロナの感染対策には疑問を呈してきた、というか憤っていたわけですが、その立場から見ると、いやあ、ずいぶん踏み込んだ内容だったねぇと思いました。というか、私のような心情の人間に、そう解釈させるような内容だったと。

暗喩が次々と出てきて、そりゃ「社会に何か言いたいことがある作品じゃないですよー、単なる娯楽ですよー」って言わざるを得ないでしょう、これ。

 

登場は「肉の海」の中からマスクをつけて登場、これはお上の決めた感染対策で客席降りのソーシャルディスタンスではマスク付けますっていうのと同時に、舞台に上がってGLになればマスクを外し「マスクをしたって(ウイルスを)防げない」と茶化す。(思えば観客みんなマスク付けて表情隠してるの、肉の海っぽいですね)

頭の中にあるものを伝えようとして言葉を使う、表情を使うこともある、それはきっと言葉で言い表せないことがあるからだ、と言語表現だけではなく身体表現の大切さを述べて(つまりマスクで表情が読み取れないことの弊害)、2020年1月1日の人口と2022年7月23日(東京オリンピック開幕のちょうど1年後)の人口を比べて、人口はむしろ増えていると言い、スペイン風邪では人口はずいぶん減ったと数字を出しながらそれが今はただのA型インフルエンザになっていることに言及、さらには歴史を遡って説明するのに「時の頃を表わすのは西暦でいいかな?だって西暦が大好きでしょう?」と、私たちが欧米偏重主義で、ファクターXを無視して欧米が大変だ、2週間後は日本もNYになると騒いだことを嘲笑(lul)してくるし。(西暦が好きでしょう?は最初と最後、2回言われます)

 

さらに、クロマニヨン人が狩るラガンバ。牛に似た一種の一角獣と説明されますが、これ、検索しても出てこないので多分上田さんの創作。

このラガンバ、お芝居の要所要所で音として登場するのですが、絶滅種で絶滅した理由が「僕にはわかる気がする。ラガンバの肉はなにせうますぎたんだ」とクロマニヨン人が語るので、初日はこの流れに騙されて、素直に「肉が美味しいから乱獲されて絶滅したんだ」と思ったのですが、よく考えるとその前に「彼らは群れの子供や弱った個体を守るために体を張る」という説明があって、これ、(子供はともかく)弱った個体を守るってそれ自体は正しく美しい行為だけれど、その正しさは限度を間違えると全体主義につながるのでは?その正しさによって滅んだのでは?と思いました。

ラガンバももしかしたら全体主義の象徴なのかなあと。

中盤、赤ちゃん工場のオーナーのドンゴ・ディオンムが交通事故死する時も、このラガンバの音が出てきて、ドンゴはラガンバを避けようとハンドルを切ったことで死亡します。正しくないことをしていたドンゴは表だってその不正を白人ジャーナリストに暴かれること無く、正しさの全体主義に殺されたのかなと思いました。

 

登場する動物は他にゴリラが出てきます。

実験で一頭のゴリラを閉じ込めて、そこには他に何も無いが食べ物は充分与える、するとどうなったか、そのゴリラは自ら命を断ったのだと。そしてこの実験の後日談として、その閉じ込められた空間にとても深い穴(飛びおり自殺できるほどの深さの)を用意すると、不思議なことにゴリラは正気を保つ(死なない)のだと。

これはロックダウン(自粛)の暗喩であり、そんなことをしたら人は(精神的に)死んでしまうということ、餌を充分に与えても「人はパンのみによって生くるにあらず」であり、他者とのコミュニケーションや、不要不急と切り捨てられたものも精神が生きるのに必要であることを意味しているのかと思います。(そして検索してもそんな実験ヒットしないので、やはりこれも作り話?)

解釈が難しいのが「穴」で、1つは死の恐怖の象徴とも思えて、死の恐怖が身近にあると、却って死のうとは思わない(生にしがみつく)、自粛も疫病を死の病と恐れている人は耐えやすいけど、コロナが怖くない人にとっては耐えがたいものであるという解釈もできるし、もしくは「穴」が何か興味深いもの、想像力をかきたてるもの、エンタメなどを表わしていて、不要不急と言われたこれらのものがあれば正気を保てるという解釈も出来るのかなあと思いました。

 

みんなが肉の海になってしまったことを後悔している、あの年、沈黙を選んだことへの後悔、僕は決して、見過ごすべきではなかったんだ、というGLの台詞から、「他人の許されざる行動を容認する」というテーマが与えられ、「濃厚接触者になったのにPCRを拒むことを許してくれるとか?あるいは濃厚接触者になったことを許す。濃厚接触者を生み出したことを許す。別に何でも許してかまわないですけどね、僕は」という台詞から特攻隊の話につながるのですが、これはうがった解釈かもしれないけれど、史上最大の薬害事件になりそうなワクチンを若者に「高齢者を守るために打て」と国が推奨しまくったのが、特攻隊を思わせるものがあるなあと私は思いました。(さすがにここまでは触れられないでしょうけど)

それと特攻の発案者のたどった道が、今回の専門家たちのたどる道かもしれません。

 

と、まあ例のアレに引きつけて解釈するのはこの辺りくらいで。

(あとダンスの振り付けが、体についたウイルスを払って、くしゃみして、マスク外して、ピストル自殺、という感じに見えました)

 

他にはAIの支配とか仮想世界とか人が不老不死になっていくことの思想が入っていたり、科学が進んで容姿も頭も簡単にお直しできるようになってしまうと、人は生きる意味を見失って「大錬金」=集団自殺に向かうことなど、色々考えると面白そうなテーマがたくさんあります。

 

そして頻繁に登場し、セットにも用いられているブロックが何を表わすのか。

「ブロック」はある時世界に現れ、クロマニヨン人の時代には100年に1個生まれるかどうかの貴重品だったが、産業革命から指数関数的に増加、人間はこれ(ブロック)でバベルの塔を作っている。このブロックは人間だけが作れる、人を人たらしめるもの。しかし人類を肉の海へと導いたもの。

私は多面体だけあって答えは一つじゃないのかあと思いました。

欲望や希望であり、情報(他者の経験)の共有化であり、テクノロジーであり、プラスでもありマイナスでもあるもの。(私はGLの立場に立ってしまうからわりとマイナスなイメージを持ってしまうけど)

 

それと遠方担当って何だろう。

ラスト、GLが遠方担当になって、レミングみたいに宇宙に飛び出して、死を迎え(?)、新たなGLに転生してパラシュートで落下、「僕が遠方担当になって何かかわった?」とまた初めから「沈黙は金」とやりだす流れが、今一つまだ理解できていません。

なんとか全体主義に向かわないように、予言が外れるように、と行動しているのだと思いますが。

 

以上、ざっくりした感想でした。

 

追伸

公演二日目の7/8に安倍元首相の暗殺事件が勃発。

はからずも外すための予言の書の「個を尊ぶあまりにばらばらであることを賞賛しすぎると、究極の間違い(通り魔的な)看過することになる」がこういうことでもあるんだなあと思いました。

(個人の権利やプライバシー尊重すると、思想も自由だし発言も自由、それに乗せられてしまう人も出る、そして不審者でもあまり誰何されず犯罪を行いやすい)

市民舞台芸術学校劇場講座トークセッション「劇場は今」藤田俊太郎さん回行ってきました

2021年9月5日(日)14時~16時、関戸公民館ヴィータホールで開催された、市民舞台芸術学校劇場講座トークセッション「劇場は今」第一回藤田俊太郎さんの回に参加してきました。

 

(自分の汚くて読めないメモ書きを元に内容を書きだしてみました。おかしな部分はおそらく全て私のメモがおかしい&記憶力の無いせいです)

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パルテノン多摩館長の栗原喜美子さん(プロデューサー)のご挨拶で始まり、ナビゲーターは演劇ジャーナリストの徳永京子さんです。

藤田さんはグレーのスーツに赤いナイロントートバッグで登場。

(このトートバッグはイギリスでのVIOTETの時の思い出の品で、中に2020年と今年の台本を入れて持参してくださいました)

 

テーマは「演出家として公演中止や延期の経験で考えた事、公演実現の喜びとは・・・」です。

 

最初に客席を見渡しながら「ステージからは逆光で客席がよく見えないので、凝視してるかもしれないですが気持ち悪く思わないでください」と言って笑いを取る藤田さん。

 

徳永さんより、昨年から今年にかけて無くなった藤田さん演出のステージ数が発表され、「天保十二年のシェイクスピア」が11公演、「VIOLET」が29公演、(ここで藤田さんから「(無くなったのではなく)休止です」とコメント入る)、「ジャージーボーイズ」が64公演、2021年の「ゴッドファーザー」が9公演の合計113ステージ、しかし(その代わりに)天保はブルーレイで届けられ、VIOLETも5公演だけだが9月に行うことが出来、JBもコンサートで届けることが出来た、と話を振られる。

藤田さんいわく、主催者、劇団と話して、コンサートを画策した、何もしないと利益も無いし。

2020年はオリンピックイヤーだったので(オリンピックは文化とスポーツの祭典なので大きな予算がついた)、演劇界全体でも大きな作品が多かった。(3年前とかから計画)

お客様の期待も大きかった分、ゼロにするわけにはいかない。それが演劇界全体の至上命題だった。

どのようにやっていったかは、その時期(コロナに対する世情)によって違う。

JBコンサートを行い、そこからVIOLETに。

昨年の5~6月は今より自粛ムードで、JBコンサートは、ZOOMで話したり、稽古は完全にアクリル板で囲って上からマイクを降ろしたのを12ブース作ったりしていた。(お芝居と違って距離が取れるからコンサート形式に)

舞台稽古は1時間だけとか、換気の時間とか時間の制約があった。

そしてコンサートから朗読劇など少しずつ出来るようになっていき、「VIOLET」で初めてお芝居をやった、と少しずつ段階があった。国から指針は無く、現場ごとに手探りで対策して行った。

 

コロナ禍の稽古、打ち合わせについても、その座組と話した日によっても(それぞれ)違う。

2/26に自粛要請が出て、経験したことが無い、わからない状態で、コロナという状況ではどうやらお客様や俳優とものを作るのは危険があるらしい、もうお客様も来れなくなるという状況がありうる中、プロデューサーともどうするか聞かれて、僕は全部やろうと決めた。賛否両論あるのは前提で、全部前向きにとらえようと決めた。悩まないことが大切。僕自身はコロナが怖いという恐怖はゼロ。

そこをスタートにして各プロデューサーと話した。

「VIOLET」は29公演丸ごと無くなった。舞台上にセットを飾り、これは客席も舞台にあったので客席を配置、明日から俳優を迎えるという状況で中止し、セットだけ残った光景は忘れないでいようと思った。

5月に「VIOLET」出来るかなあと思ったがやはり出来なかった。

zoomでプロデューサーとも話し、キャストともzoomで会っていた。

吉原光夫さん、成河さん、唯月ふうかさん、優河さん4人と、情報交換や台本の読み解きは続けていた。上演まで稽古期間が延びたと考えた。

他にもいつかこのメンバーでどういう芝居がしたいとかも話して、「VIOLET」を深められた。

「VIOLET」のテーマがどんな苦難があっても進んでいこうというもので、またVIOLETが接触することが主題、その傷を触ってくれるというのが大きなモーメント、接触する意味をみんなで考えられた。

プロデューサーとはお金の話、実現できるかという話、俳優とは芝居の話を5~7月出来たのが、幸運だったし支えになった。

カンパニー11人とリモートで話したりしたことが9月の公演に結実した。

 

徳永さんから「コロナが怖いというキャストさんはいなかったか、どう対応したか」との質問。

これもその時の感染状況次第。大切なのは絶対にこっちの考えを押しつけない。価値観は人それぞれ。一人一人と話していく。一人一人納得するまでつきあう。

(JBコンの頃は、家族が多いので家族の為に当面舞台は控えたいという人もいたし、今だからこう言ってるけど、その時は予定が合わなかったからこの方は出演されない風に見せて(笑)、とのこと)

 

徳永さんより「もしかしたら中止になるかもしれないという状況での稽古の現場のモチベの作り方、キープの仕方は」との質問。

これもその月次第。

2つのことを気をつけた。

1、自分の立場を越境してはいけない。俳優さんのギャラは1ステージいくらなので、中止になって0円にならないか、その考えをプロデューサーに聞いておく。今やっていることが生活や未来につながるのか。幸い僕が組んだプロデューサーはみな優秀な方で、ちゃんと考えてくれていたので、僕は作る方に専念するだけ。

2、(声をかけて)参加しないことにうらみっこなし。(参加してくれなくても「嫌い(もう仕事しない)」とかにならない(笑))

2020年の今は、どうしますか?その覚悟があるかないか最初に聞く。皆さん相当な覚悟が出来ていて、短くても充実した稽古になった。2時間稽古して50分換気、とかでも、集中力が全然上がった。何かわからないことは(稽古場でではなく)持ち帰ってリモートで相談すれば会わなくても良い。演出家は孤高でいなくてはいけないという変なプライドは全くいらない(←から、リモートで打ち合わせしまくるということかな?)

葛藤は座組では見せずバスッバスッと決めていく方が良い。

 

徳永さん「コロナ禍の初期は演劇に冷たい雰囲気で不要不急と言われたり、一部の演劇界の方の提言が切り取られてネットでバッシングされたりしましたが、気になりませんでしたか?」

藤田さん「気にならないです(きっぱり)」

気にならないというか、まあ、起こっていることは見て知ってはいましたが、そこまで僕に知名度も発言権もないので最終的に気にならないだけ。僕の目の前にある現実はそうじゃなかったので。リアルな声は、座組をリスクあるけど作ろうとするプロデューサーや俳優たちであり、それを待っているというお客様の声だったので、それを信じて先に進もうと思った。いろんな声があるのは知ってるけど、僕の目の前にある仕事で前に進むだけ。芸術監督や肩書があれば違うんだろうけど。

コロナで失ったものは無いです。――あ、届ける公演が出来なかったという、機会は失いましたが。

演劇で僕は救われた。演劇は社会的にメッセージを伝えられるメディア。演劇をやること自体がメッセージになる。他者と関わることができる。

 

徳永さん「藤田さんはミュージカルの演出が多いですが、日本でもミュージカルが盛り上がったのがこの10年くらいで、これはディズニーアニメの影響が大きいと思う。お芝居に歌が入って抵抗のない世代が出てきた。藤田さんの作品は日常との関わりに楔を打ち込む作品で、(ミュージカルという)エンタメを下に見ていると出来ないと思うが、演出で意識されているのか」

 

楔を打つのは意識的にやっています。演劇を見るのは今を生きる皆さんであるので、10年後に傑作だったということは起こらない。(過去のものが今も傑作であるということはあるが)その時代を生きている皆さんが見る。SUICAが改札で引っ掛かったとか、現代のもので私たちの日常動作。日常に多くの人が感じているもの。マックは子供のセットを安くしてその後も食べ続けてもらう作戦だけど、普遍的かもしれないのを作品の中に置くことが大事。

(なんかここ、私のメモが不完全で文脈がおかしいですね・・・)

 

ここで徳永さんから、藤田さんが自発的に昨年と今年の台本を持ってきてくださったこと、中には書き込みがびっしりなことが伝えられる。

こんな時世じゃなかったら回して見ていただきたいんですけど、と藤田さん。

天保の台本の書き込み見たかった・・・・戯曲本とセットで販売して下さい、東宝さん

台本を取り上げながら「NINEは32公演全部出来た、ゴッドファーザーは・・・」などと説明する藤田さん。

緊急事態宣言で当日券出せないのが痛い、お客さんも仕事もあるだろうから2か月先の予定など決められない中、当日券は良いシステムなのに出せないのは残念。演劇の裾野が広がらない、改善されてほしい、とのこと。

徳永さんから、そんな逆境の中で天保とVIOLETで読売演劇賞?の結果を出したと言われ、ありがたいです、良かったと言ってくれることは嬉しいと。

そして赤いトート(イギリスの劇場グッズ?)をVIOLETイギリス公演のつらい思い出、とおどける藤田さん。

最近台本にメモを書くようになった、「NINE」もセットの図を貼って、と見せてくれる。

今まで俳優とディスカッションしてるつもりだったけど、もっとできるようになったのもコロナで良かったこと、と。

名前のないキャラクターにも人生があって、その役の背景について話す時間が出来た。全体稽古の前に出来る。それらを台本に書きこむ。サブテクストを作る。(その役の人生を俳優が考えろと、蜷川さんが言っていた)台本に書かれていないこと、サブテクストを作るのを、より気にするようになった。ミュージカルはストレートプレイより特にこれが必要。歌で言葉が制約されるので、むしろミュージカルの方がシビアに考える。「VIOLET」の時も何歳で何があったとか、何人と付きあったとか設定を考える。ベテランの俳優さんには「藤田君、そんなのいらない」と言われたりもするんだけど(苦笑)。

蜷川さんの時は稽古は2時間で終わった、みんな蜷川さんの前で良い芝居見せようとするから。

 

徳永さん「最近翻訳の方が増えて、すごく頑張っていますね」

僕は「藤田はしつこい」と翻訳の人に距離を置かれます(苦笑)。JBの時は小田島先生に会いに早稲田大学に通って「どうしてこういう訳になったんですか?」とか夜の10時から、終電まだ大丈夫ですから(まだやりましょう)!とか言ってた。

徳永さんから、松岡和子さんが蜷川さんのシェイクスピアの稽古場に行ってティーチインに出て一緒に作業していた話が出て、藤田さんは、それが僕の中で理想像、と。

今回「VIOLET」で実現できた。翻訳の芝田未希さんは梅田芸術劇場の社員さんでずっとついていてくれたので、5公演しか無かったのに初日と最後の方とで訳が変わっているところもある。成河さんが、やってみたらわかったんだけどと変更の提案があって、成河さんから僕、僕から芝田さんでその場で変えた。最後の2公演は違う訳のところがある(細かい部分だけど)。相手役さんも(急に成河さんの言葉が変わって)大変だったろうけど、それで行きましょうって。翻訳の方がずっといてくれたからそれができたのが良かった。翻訳の方は稽古に立ち会っても日当が出るわけではないから、翻訳の数をこなして、渡すだけで終わり、ってしないとギャラが増えないので(仕方ないが)。これがもう少し変わっていくと良いと思う。

 

徳永さん「もっと俳優とプランナー(照明とか音響とかのスタッフ)のコミュニケーションが取れて共同作業ができるのが作品を豊かにしますね」

舞台稽古はプランナーがみんないるので、早めに終わるようにして、最後プランナーが全員集まる時間を必ず取ります。どこを直したいと思ってるとか全員顔を合わせて。「NINE」の時は照明の沢田先生、先生って言っちゃうんですけど、は80代で、映像の横山さんは40歳とかだけど、みんな対等に話をする機会はなかなか作れないが、みんなで意見を言い合う時間は尊い。演出家が決定していることは伝えるけど。照明はこっちから照らすとか、10秒でまわる、とか。

三方礼、カテコで上手、下手、中央に挨拶することなんですけど、沢田先生が「なんで三方にするんだ(ACTシアターは三方無いのに)、古い」とか言いだして場が和んだりとか。で、それを持って翌日朝の俳優さんと共有します。

 

俳優さんが好き勝手言って(笑)それをOKとする演出家、僕なんですけど、俳優さんが感覚的に言うことは正しい、例えばJBで中央に立つ・・・中川さんとか(笑)、当たってる。なんかこの部分は歌なら成立するけど芝居では成立しないんだよね、と言われたり。ピラミッド(的組織)には無意識にならないようにしてます。

俳優さんでは他に城田優さんは自分で演出もされているのに、「NINE」の時に演出的なことは一切言わなかったのが素晴らしかった。いろんな演出プランとか思いつくだろうけど、俳優に徹してた。

 

徳永さん「蜷川さんもけしてトップダウンではなかったですね」

蜷川さんを反面教師としてフラットにしているわけではなく、蜷川さんの現場で学んだことでやっている。蜷川さんは怒っているところが面白いから映像で使われがちだけど、そんなことはない、優しい思い出ばかりです・・・というのはちょっと言いすぎだけど(笑)、愛のあるお叱りは受けたけど、80歳でも30歳下のプランナーさんの意見も聞いたし、若い演出家のこともライバルと思っていた(笑)。

 

ここからは観客が入場時に書いた質問から。

 

★このコロナ禍で蜷川さんが生きてらっしゃったらどう思ったと思うか

これはすぐ答えられます。ずっと考えていたから。「休もう」って言ったんじゃないかな。

トロイアの女たち」という2012年の舞台の時にイスラエルやアラブの方と日本人とでやったけど、内戦が激化した時があって、蜷川さんは稽古を休みにして家族に連絡してくださいと言った。演劇は生きる者のためのものだからまず連絡を取ろう、って。3.11の時も打ち合わせを止めた。休む時は休む。

2/26の時、僕はどう俳優と話していいか、落ちついて俳優と向き合えなかった。今は何をすべき時だと、蜷川さんなら、今こそチャンスだ、今こそこんな時に来てくれるお客さんと新しい価値観が生まれる、2~30代の脱ピラミッド、ピラミッドなんて知らないような若い演出家から面白い演劇が誕生すると言ったのでは。蜷川さんアクリル板好きだし(笑)。アクリル板たくさん使っていて、いろんな厚みのものがあって、床が厚いアクリル板だった時もある。

 

★「ジャージーボーイズ」再演にかける思い

2020年のグリーンとブラックチームをベースにして、リベンジでありながら元々2022年にもやりたいと思っていたので新しいJBが誕生する、新作と思っていただいて。

JBは歌が上手い人ばかりで、毎回始まる前のUP(歌う)が真剣を磨いてるみたいですごいです。

 

★ACTガイドの連載の写真について

16歳から写真を撮っていて今41歳なのですが、ACTガイドさんからそれで連載できないかと言われて、演劇の写真を撮ってみたいと思って、撮ることになった。

 

★JBコンサートをやってみたら上手くいったことは何ですか?

喧嘩が無かった(笑)。

皆の目的が1つだったので。JB自体良い喧嘩をして良くなっていくような話だけど、去年は何が何でもお客様に届けようと気持ちが一つだった。

(舞台が中止の時、それを伝える今村さんの「皆さん」という第一声の声のトーンで良くないニュースだとわかった)

 

★お客さんに望むことは

前知識無く面白いと思っていただけたら嬉しい。肩肘はらずに観ていただきたい。

 

★藤田さんの演出で客席降りは多いですが今後どうなるか

正直、困ったなあと(笑)。

客席降りするのは、お客様自身の物語であると感じてほしい、客席との間にある第四の壁をとっぱらいたいから客席降りをしていた。そう感じてからあえて作品をどう作れるかに考えが変わりました。

 

★「天保十二年のシェイクスピア」の再演はありますか

再演というか、やれなかった11公演をお届けするのを目指す座組を作りたい。

萬長さんのことを考えているのですが、もう同じキャストでは出来ない、萬長さんの最後の作品は「大地」だったけど、その前が天保だったんだけど。

リベンジする、やりたい、と具体的に動いていますので、乞うご期待。

 

ここで時間になりましたと栗原さんが入ってこられてお開きに。

質問の紙の束が藤田さんに渡されて、「これメールアドレスとか名前入ってるんですか?(質問の回答を送るため)」という藤田さん。(無記名です)

栗原さんが、そのうちサイトとかにまとめますか?という感じになりました。

 

最後、藤田さんが、蜷川さんが徳永さんの事をいい言葉を書くジャーナリストだと評価していたので徳永さんが何を書かれているか、今この芝居が面白いのか、じゃあ観に行こうとか気になる存在なんです、とお話して終わりました。

野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」可愛いハプニング集

ネットの呟きなどにあった、「フェイクスピア」の可愛いハプニング集。

 

シェイクスピア登場シーンで野田さんが暴れすぎて(?)蹴こみ(跳ね板みたいなやつ?)を壊した。

それを一生さんが冷静に、手にした匣でガンガン叩いて直していた。

(大事な匣じゃなかったんかい!?)

 

シェイクスピアが四大悲劇を挙げる場面、一生さんが「ではマクベスとやらは?」という台詞を言わなかった?ため、野田さんが「3つめは良いのか?」とフォローした。

 

★イタコが降霊に使う灯明?火の小道具から松明が落ちちゃったのを、一生さんが通りすがりに平然と拾ってぶすっと刺した。(芝居しながら)

 

★monoがバタン!と気を失う場面で(デズデモーナ?)舞台の段差で思いきり頭を打ってけっこうな音がした・・・・。翌日からバタンとではなく、お上品に気を失うようになったmono。

 

★楽が「ブッチョウ!」と大きな声でアタイを呼ぶ場面で「タノ!」と自分を呼んだ。何事も無かったかのように芝居は続きました。

 

★初日のmonoのカッコイイパイロットの制服姿&迫真のCVRの芝居、肩にかなり大きな茶色の糸くず(ジャケットの)がずっとついてました。かわいい。

 

アブラハムと三日坊主とフェイクスピアで匣の声を聞くシーン、「どーんと行こうや」の音声に不具合があったようで止まってしまい、それをフォローしようと上手袖から一生さんが「どーんと行こうや」と生声で言おうとした・・・・が、舞台上で蓋を閉めてしまったので、それにあわせて生声も途中で途切れさせた。(そして野田さんが「きっとどーんといこうやって言ってると思う」とフォローした)

 

ネットでの伝聞なので、勘違いや間違いがあるかもです。

 

プラス、いい話。

 

大阪は3階席まであって高さがあるので、そこからだとラストシーン、monoが「生きるよ」で笑顔になってブレヒト幕、の後(一生さんのラストシーン)、山から下りてはける時に舞台に向かって頭を下げてはけるのが見えたとか。