★お気楽日記★

アリとキリギリスでは断然キリギリスです。 うさぎとかめなら、確実にうさぎです。 でも跳ねる趣味はありません。

野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」シーンごと感想⑧

 野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」各場面の感想、続きです。

crearose.hatenablog.com

 

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フェイクスピアのフライヤーより。野田さんのメッセージ。

 

私は「フェイクスピア」というタイトルが若干フェイクだったように(フェイクというかミスリードかな。シェイクスピアとか、言葉がフェイクだとかは、そんなに最終的には、野田さんのやろうとしたことでは無かった気がします)「私ごときに創り変えられてはならない」というのもフェイクだったと思います。

野田さん、結構きっちり、このノンフィクションをフィクションに取り込んだな、と。

だから野田さんが「不謹慎」と迷う気持ちは本当だとは思う。

 

(私のブログのシーンごと感想①より↓)

>アンサンブルの方々が一生さんの持つ匣から何か(言の葉)を取り出している感じが、事故後CVR(コックピットボイスレコーダー)の機長の言葉の「ドーンと行こうや」が切り取られて独り歩きし、非難の対象になったこと(リアルな言葉のフェイク化)を想起させます。(そしてこれはラストシーン、野田さんによって「頭を上げろ」という言葉を切り取って別の意味にしたプラスのフィクション化と対になる気はします。このリアルな言葉に違う意味を付加するフィクション化を、プラスとするか「不謹慎」とするかは意見の分かれるところと思いますが

 

 

 

爆発音の後は、実際のCVRの書き起こし(?)に基づいたお芝居になります。

(台詞は私が抜粋して記入したので、全文は新潮の戯曲を)

 

【注意】

緊迫した状態なことが伝わる圧巻のお芝居のシーンですが、専門用語も出てくるので、この場面がどんな状態なのかという注釈入れています。

かなりヘビーな気分になるので、つらい方は読み飛ばしてください。

 

 

mono「なんか爆発したぞ、スコーク77」「ギア見てギア」

 

(爆発音からすかさず機長が「スコーク77」を発します。スコーク77は緊急信号で、これを発すると、管制塔との交信の優先権や着陸の優先権などがあります。

「ギア(車輪)見て」という指示は、この爆発音は何かの拍子に車輪が出てしまったのではないかと考えたから。

この爆発は、実は圧力隔壁が吹っ飛び(セットの跳ね板の模様が、圧力隔壁のようだという声もありました)それで飛行機内の気圧が減圧、破損(この時宙に舞った断熱材が「真夏の雪」)、尾翼が失われ、飛行機をコントロールするのに必要なハイドロプレッシャー(油圧装置)までもが全部やられているのですが、この時点では機長らは気がつきません。(ハイドロオールロスにはこの後に気がつきます)

圧力隔壁が吹っ飛んだので、機内の気圧が下がり、客席には酸素ボンベが降りました。客室乗務員(オタコ姐さん)が酸素マスクをするよう、乗客に指示を出します)

 

(このお芝居ではコクピット(と機内)の中の会話だけで成立させていますが、実際は管制塔と頻繁にやりとりもしています。

機長は羽田に緊急着陸しようと、副操縦士に右旋回するよう命じ、管制塔に羽田への緊急着陸を要請します。管制塔の許可を得て、右旋回するか左旋回するか聞かれ、「右旋回しています、誘導お願いします」と交信しています。

(これも事故後、左旋回していれば山に行かず海面着水できたのではないかと機長をバッシングする人が出ました。しかし羽田へ戻るには右旋回するのが最短、別に間違った判断ではない)

この右旋回で油圧使い果たし、機体は右に大きく傾いただけできちんと旋回出来ず、下田沖から焼津、そこから内陸部に向かいます)

 

mono「(機体が右に傾き)バンク(機体の傾斜)そんなにとるな、マニュアルだから」「バンクそんなにとんなってんのに」「(機体の傾斜を)戻せ」

アブラハム副操縦士:機長席に座っている)「戻らない」(ハイドロプレッシャー(油圧装置)が全部やられているので、操縦桿の操作は効きません)

mono「ハイドロ全部だめ?」

三日坊主(航空機関士)「はい」

mono「ディセント(降下)」

三日坊主「ディセンドしたほうがいいかもしれませんね」

mono「(高度警報音が鳴るのにいらだって)なんでこいつ……」

 

三日坊主が客室乗務員と連絡、酸素マスクが降りていることと、荷物の収納スペースが破損していることなどを聞きます。

三日坊主「エマージャンシーディセントやったほうがいいと思いますね」

mono「はい」

 

(酸素マスクが出ている状態なので、気圧をなんとかするため、飛行高度を下げないとなりません。

ハイドロ(油圧)が効かなくなった場合の飛行機の操縦法(と言えないレベルの、かろうじてのコントロール)は、左右のエンジンの出力を調整すること、ギア(車輪)を出して空気抵抗を使って降下すること、主翼のフラップを操作することです)

 

三日坊主「マスクわれわれもかけますか」

mono「はい」

アブラハム「かけたほうがいいです」

mono「……」

三日坊主「オキシジェンマスク、できたら吸った方がいいと思いますけど」

mono「はい」

 

(事故調査で問題になった部分。急減圧があった場合パイロットは酸素マスクをつけるよう訓練されているのに何故つけなかったのか、という疑問であり、これには明確な答えが出ていない。減圧に航空機関士はすぐに気がつく立場にあったが、機長と副操縦士はそれよりも機体の安定した飛行に必死で、この程度の減圧なら操縦操作を優先させた、もしくは操作に専念してマスクをつける余裕がなかったのか、あるいはすでに低酸素症によって判断能力が低下してしまっていた可能性が指摘されています)

 

(機体は、尾翼が無いので飛行も安定せず、ダッチロールします。

列に並んだキャスター付き椅子の表わす飛行機の座席が蛇行したり、オタコ姐さんが椅子を小刻みに左右に座りながら揺らして、機内の揺れを表わします。ターンライトの時は、列が半回転して右を向いたりします。

また、横一列に長い棒を渡して、それを手すりのように持って、機体の激しく揺れる衝撃で各シートの乗客が離れ離れになりそうになったり、手繰り寄せたりします)

 

mono「降りるぞ……そんなのどうでもいい、あーあああ、頭(機首)下げろ、あったま下げろ」(機首が持ちあがってしまっている状態)

アブラハム「はい」

mono「頭下げろよ」

アブラハム「はい」

mono「頭下げろ」

アブラハム「はい」

mono「両手でやれ、両手で」

アブラハム「はい」

三日坊主「ギヤダウン(車輪出し)したらどうですか?ギヤダウン」

mono「出せない。ギア降りない、頭下げろ」

(ハイドロ(油圧)やられているのでギアを降ろすのも反応しない)

三日坊主「オルタネート(油圧が効かない場合、車輪やフラップを電動で動かす代替手段)でゆっくりと出しましょうか?」「ギヤダウンしました」

アブラハム「はい」

 

(ギアの空気抵抗で高度は下がりますが、その空気抵抗を受けるせいでさらに機首が上を向くようになります=失速してしまう)

mono「頭下げろ」

アブラハム「はい」

mono「あったま下げろ。そんなのどうでもいい。ストール(失速)するぞ」

アブラハム「はい」

mono「パワー、重たい」

(機長も一緒に操縦桿握ってコントロールしようとしているが、操縦桿は当然効きません)

mono「ジャパン123、アンコントローラブル(操縦不能)」(管制官とのやりとり)

アブラハム「えー、相模湖まで来てます」

mono「はい……これはだめかもわからんね……ちょっと……(聴取不能)」

 

(この台詞ですが、CVRの会話内容は最初に文章で公になったようで、変に流行り言葉になってしまったのと、ここだけ文章で見ると、機長が弱音をはいているように取れますが、実際の意味は違うのかもしれません(詳しくは後述)。一生さんは、初日はわりと淡々と言ったように思いますが、途中から弱音ニュアンスの台詞の言い方にしていたように思います

 

mono「おい山だぞ」「ターンライト、山だ」「山にぶつかるぞ」

 

(ここから山間部での山との闘いの飛行になります。

一定の高度を保たないと山にぶつかるので「マックパワー(出力最大)」だったり「パワーあげろ、レフトターン、今度はパワー、ちょっと絞って」と必死の指示を出します。

 

コクピットと客席を表わす椅子の列はぐらんぐらん蛇行し、八百屋舞台の山をバックしたりして、衝撃ごとにアンサンブルが座っていた椅子を舞台から袖に放り出し、最後には、mono、アブラハム、三日坊主以外は椅子が無くなり前の乗客にしがみつき、最前列の乗客はmonoたちにしがみつく形になります。乗客ら全ての命を3人が背負っている象徴です)

 

mono「はい高度落ちた」

アブラハム「スピードが出てます、スピードが」

mono「どーんといこうや。がんばれ」

アブラハム「はい」

三日坊主「マック」

mono「頭下げろ」

アブラハム「はい」

mono「がんばれがんばれ」

アブラハム「いまコントロールいっぱいです」

三日坊主「マックパワー」

アブラハム「スピードが減ってます、スピードが」

mono「パワーでピッチはコントロールしないとだめ」

 

(どーんといこうやは、普通に「どんと構えて行こうや(動揺せずしっかり行動する)」という励ましの言葉ですね。何でこれを、切り取った部分だけ知ったにせよ、どーんと山にぶつけようと解釈するのか意味不明。がんばれがんばれは、副操縦士らに行った言葉かもしれませんが、飛行機さんにマックパワー(最大出力)でがんばれ!って言っているのかも)

 

mono「頭下げるな、下がってるぞ」

アブラハム「はい」

mono「あったま上げろ、上げろ」

アブラハム「フラップは?」

三日坊主「下げましょうか?」

mono「おりない」

三日坊主「いや、えー、あのオルタネートで」

mono「オルタネートかやはり」

 

(山に接触しないよう、今度は山に沿って機首を上に上げようとしているようです)

 

mono「(管制塔に)えーアンコントロール、ジャパンエア123、アンコントロール、リクエストポジション(現在地がわからなくなっている)」

三日坊主「熊谷から25マイルウエストだそうです」(この時、埼玉、長野、群馬の境界のあたりまで内陸に迷い込んでいる)

mono「フラップおりるね?」

アブラハム「はいフラップ10(10度。ややフラップを出した状態)」

mono「頭上げろ、頭上げろ、頭上げろ」

アブラハム「ずっと前から支えてます」

mono「フラップとめな。あーっ。パワー。フラップ、みんなでくっついちゃだめだ」

(これ、古い本には「フラップ、そんなに下げたらだめだ」になってるのですが、音声解明して変わったのでしょうか)

アブラハム「フラップアップ、フラップアップ、フラップアップ、フラップアップ」

mono「フラップアップ」

アブラハム「はい」

mono「パワーパワー、フラップ」

三日坊主「あげてます」

mono「頭上げろ……頭上げろ……パワー」

 

機内を表わす、monoたちとアンサンブル、この緊迫した場面にあわせて八百屋舞台をじりじりと山の上方に後退、そこから下に一気に駆け下りる感じで、コクピットシートに座っていたmonoはその勢いを使い、立ち上がり、舞台前方に駆け出します。他の乗客も客席に背中を向けて立ちます。そこへ舞台下手前方でずっと匣の声を聞いていた楽が匣をmonoに放り、monoはキャッチして、オープニングのシーンと同じように足を投げ出して座り、匣を抱えて顔を寄せながら

mono「火災警報の音。地上接近警報の音。シンクレイト(降下率注意)。ウーウー、プルアップ、ウーウー、プルアップ、ウーウー、プルアップ……聴取不能。ウーウー、プルアップ。衝撃音。ウーウー、プルアップ。衝撃音……録音終了……午後6時56分28秒、あなたの父は「声」になった。ハラハラと宙から舞い落ちる、目に見えない言の葉。「死」が人間が神様から盗んだコトバなら、「生」は神様が人間にくれた無限のコトバだ。…「頭を上げろ!」「頭を上げろ!」そして「パワー!」……そう言い終わると、あなたの父は、誰もいない森で永遠プラス36年前に目を瞑った」

と言って、monoは楽にまた匣を手渡します。右手で楽の頬を触ろうとしますが、触れることはできません。(この時点でもう死者の夢は覚めてしまい、親子はもう会えなくなったということか)

 

乗客やオタコ姐さん、アブラハム、三日坊主たち死者は、八百屋舞台を上にのぼって、山の向こうに消えていきます。

monoも楽に匣を渡したあと、やや泣きそうな顔で、(心が伝わったか)不安げに楽の様子を伺いながら、八百屋舞台を後ろ向きにゆっくりと上っていきます。

 

楽は客席に向かい(客席奥が父のいる天空のイメージ)こう言います。

楽「永遠プラス36年、その男は、死んでいく30分の間、ひたすら生きるための言葉を吐露した。その最後のひと葉が、この匣に入っていた。頭を上げろ!男は、息子のことを愛していた。この言葉の一群を声にしながら男の脳裏には、幾度も息子の顔がよぎっただろう。男は幾度も息子の名前を声に出して叫びたかっただろう。けれど、ただの一つの言の葉も、息子の為に残せなかった。頭を上げろ!524の魂と、地に落ちるぎりぎりまで、空の高みを目指したから。頭を上げろ。あの言の葉たちは、天高く舞う鳥の群れ、天空から聞こえてくる声の一群。息子よ、お前にはその声がどう響く?息子よ、心あらば返事せよ、そして息子よ、返事あらば言葉に書け……なんて書けばいい?パパ、この歳になって、こうかな……わかった、生きるよ」

 

後ろに下がりながらmonoは、泣きそうというか祈るように楽の方をみつめ、楽が何を言うか聞いていましたが、山の向こうに消える瞬間、「わかった、生きるよ」と楽が言ったのを聞き、ふわっと笑顔になって、山の向こうに消えます。(表情筋の魔術師高橋一生の真骨頂)←絶対見逃したらダメなやつ。

(東京では必死に楽の言うことを聞きながら、生きてくれと祈るように見つめていたmonoですが、大阪では会場サイズが違うせいなのか?、最初から楽が「生きる」と言ってくれるのを確信しているような清々しい感じからの笑顔だったとの声がありますので、大阪で確認してきます)

 

そこにブレヒト幕が走り、舞台上は楽とアタイになります。

 

楽「ありがとう、ブッチョウ」「父を呼んでくれて」

アタイ「でも昇格試験は、まただめだった」

楽「ごめんね」

アタイ「同級生だからね、楽……タノ死んで、タノ生きていこう」

楽「頭を上げろ」

アタイ「頭を上げろ」

楽「(空を見上げて)雲一つない蒼穹に、ひこうき雲が一筋……いい天気だ」

 

そこにアンサンブルの女性がやってきて、開始時とは逆の手順で、アタイと向かい合って両手をつなぎ、サポートの人がアタイのイタコスモッグをめくってその女性に移し、白石さんはイタコ服から開始時のショッキングピンクのワンピースに戻ります。

 

白石加代子白石加代子です。……本日はどうもありがとうございました」

 

<終了>

 

流れを分断したくなくてシーンを最後まで書きましたが、クライマックスのCVRについて。

野田さんが「リアルな言葉群だから創り変えない」ようなことを仰っていたの、まんまとだまされました。これ、しっかり、完璧に、演劇です。フィクション(一生さんいわくフェイク)です。個人の感想ですが)

私はこのCVRについて、恐らく何かのテレビ番組の再現VTRで見たとかそんな感じだと思うのですが、「頭下げろ!」などと機長が必死に指示を出していた記憶しか無く、実際のCVRは聞いていなかったし(ネット動画で検索しない限り、一般人では現物を聞いた人はいないかも)文章で全文を読んだこともありませんでした。

他の方の感想で、演者さんたちは何回もこの音声を聞いたんだろう、というのを目にしていたので、ここの部分はCVRの完コピなのかなと思っていたのですが、先日、意を決して、ネットにあったCVRの音声を聞きました。

 

【音声再編集】JAL123 日本航空123便墜落事故 RJTT- RJOO JA8119 【機内視点】 - YouTube

 

考えてみればこのシーンは、30分のCVRをたぶん10分くらいに凝縮しているので、管制塔とのやりとりはカット、さらに無言の部分を無くしているから、延々緊迫した声での芝居が続くわけですね。

それとちょこちょこと野田さん、言葉をトリミングしていると思います。

特にCVRには入っていた、墜落間際の叫びはカット。(これはCVRのやりとりを文字に起こしたものでもカットされているので、野田さんの意図ではないかもしれませんが。まあこの言葉が入っていたら全くストーリーの流れが変わってしまうし、観てる方も重すぎる・・・)

CVRの音声と聞き比べると、一生さんたちはむしろ台本だけを見て、その台本からイメージする言い方をしているような気もします(1,2回は参考で聞いたかもしれませんが、完コピするつもりは無い感じ)。monoと高浜機長は別人だなあと、私は思いました。(個人の感想)

 

そして、気になったのが「これはだめかもわからんね」の解釈。

台本を見てこの台詞を見たら、ここは機長が弱音を吐いた、命を諦めかけたと取れる部分かと思います。

匣をめぐる楽とのやりとりでも、monoは「亡霊だからといって、もう死ぬものだと決めていた。(略)だめだ、僕は生きる」と、いったん諦めた命を思い直していますが、それはこのCVRの発言と重ねているのかもしれません。

ただ、管制塔との交信と一緒にCVRの音声を聞くと、これは別の意味ではないかと感じました。

まず機長の言い方もそんなにシビアでは無いように聞こえます。

そして、ここ(18時46分30秒付近)の前に管制塔とやりとりをしていて(18時45分40秒付近)、管制塔から「(羽田に緊急着陸希望していたので)羽田にコンタクトしますか?」「このままでお願いします」という会話をしているので、この発言は「これ(羽田に緊急着陸するの)はダメかもわからんね」と他の二人に相談(というか報告)しているんじゃないかと。(むしろ「このままでお願いします」の言い方の方が切羽詰まっている)

1985年は戦後40年ですが、計算すると(49歳の)機長は戦中に生まれてさらに自衛隊上がりですから、この時代、部下の前で弱音は吐かない気がします。(逆に機長のお言葉が乱暴なのは、そんな昭和なので仕方ないのです・・・)

 

と、ここ、「リアルな言葉をそのままお届けしましたよ」風にみせかけて、しっかり「monoという人物が機長だった時に、なんとか墜落しないよう闘ったコトバ群」のお芝居になっていると私は思いました。

 

そして、このCVRの発言の公開や音声がどういうものだったかよくわからないのですが、ちゃんとCVRのフルの音声があり、それをもとに発言を書き起こしたものが後に発表され、やがて音声データの一部が一般公開された、ということでしょうか。

上記の動画に、音声が無いまま発言を補っている個所が多数あるので。

そして、先ほどの「これはダメかもわからんね」のように、文字データでは読み手の解釈によって機長らの意図が変わってしまうのだなあと思うと、フェイクスピアで「大切なものは目に見えない」「目に見えない言葉は声」というのはここからの連想かなあ、とか、まさに今、ご遺族の方がボイスレコーダーの音声生データの開示を求め、今年3月に訴訟をしているタイミングなので、そのことに対するバックアップの意味もあったのかなあと思いました。

 

そして、何故、今、日航機事故なのか。

 

初日にこのお芝居を観た時、観客も全て初見、演者さんも観客がどう反応するのか見当がつかないという緊張した空気の中、徐々に自分たちがどこに向かうのか(日航機墜落事故という結末に)観客が気付き始める空気感、その空気感を感じる劇場内というのが何と言っていいのか難しいのですが、すごかったです。

これは映像や円盤、もしくは生でも一人で貸切で観たとしたらわからない感覚で、客席半減でも厳しいかも、密に人が劇場に詰め込まれるほど生まれる「共感」で、「無観客配信は演劇の死である」と言っていた野田さんが、演劇は無観客配信でいいだろうと言った人を全力で殴りにいった作品だと思いました。(そして成功している。野田さんカッコイイ)

日航機墜落事故は見事に年齢案件なので、恐らく50代半ばから上の世代が一番強烈な記憶を持っているかと思います。

そして劇場に来る世代は恐らく20代からアラ環くらいなのかなあと思うと、あと10年もすると(いや、5年くらいかも)日航機墜落事故のことをリアルに知る年代が、劇場ではかなり少数派になってくるのではないでしょうか。

となると、その時に同じ劇を上演しても、この「共感」は生まれないかと思います。

観客の多くが、タイタニック日航機事故も同様の「過去にあった悲劇」と感じるだけなので。(もちろんそれでもあの圧巻のクライマックスには心打たれるとは思いますが、客席で徐々に結末がどこに行くのか気がつく人が出てくる、あの感覚は味わえない。「ローズが強く生き抜いて良かったねー」というのと同じ感想を「楽が生きる気になってよかったね、私も頭を上げる!」と抱くに過ぎなくなる。もちろんそれも野田さんの伝えたかったことではありますが。――このコロナ禍で生きるパワーを無くしている人々にエールを送るということで、ラストシーンのメッセージはすごくシンプルでストレートだったと思います)

 

なので、この題材はあと5年も待てない、そして今だからこそ劇場で演者と客席の不謹慎だという罪悪感を共有することがやりたかったんだと思います

(なので、それを考えると再演も無いかもしれないなあ、凱旋公演として来年やれるならギリギリかなあと思います。残念ですが)

 

そして今回考えさせられたのは、36年前の事故を取り上げるのはまだ早い、というけれど、戦争ドラマは不謹慎ではないのだろうか(これだって史実に残っている手紙だったりエピソードを使ったり、実在の人物のことを描いたりしているものもあるわけだし)、私たちは戦争ドラマを見て感情を動かされた気になるけれど、実際の戦争体験者の方と同じ感情を共有していたのだろうか、ということでした。

結局そうやって(たとえ傷つく人が出ても)ノンフィクションをフィクションに取り込んでいくのが小説や演劇の性なんでしょうね。

 

今回に関して「頭を上げろ」という生きるための悲痛な叫びを、息子を励ます「生きろ」という意味にしてしまうフィクション(フェイク)化は不謹慎なのかどうかですが、日航機墜落事故で遺書を残した男性たちはみんな、仕事については一言も無く、すべて家族に対しての言葉だったことを考えると、

「――頭を上げろ!男は、息子のことを愛していた。この言葉の一群を声にしながら男の脳裏には、幾度も息子の顔がよぎっただろう。男は幾度も息子の名前を声に出して叫びたかっただろう。けれど、ただの一つの言の葉も、息子の為に残せなかった」の部分は、それらから野田さんが機長らの気持ちを推測したのだろうと、不謹慎と糾弾する気にはならないかなあというのが私の感想です。

 

それでは、大阪の大千秋楽(と前楽)見届けてきます!

長々とお付き合い、ありがとうございました。

 

野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」シーンごと感想⑦

 野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」各場面の感想、続きです。

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(戯曲には完全な闇と書いてあるけど、ここ暗転はしなかった気がします。ブレヒト幕走って、開くと、台に横たわるmonoの後ろにアンサンブルさんたちが列に並んでいます。照明でその列が光の道で照らされています)

 

死者たちの声が「皆来」「皆来」とアタイを呼び、オタコ姐さんはアタイに死者の声だけを聞き分けるように言います。アタイは、イタコ昇格試験はまだ続いていたのかと驚きます。

列になったアンサンブルさんたちは、monoの匣に挿したイヤホーンでかわるがわる中の声を聞いて、下手に去っていきます。

(戯曲では上手と下手に去るものに分かれる、つまり死者と生者に分かれる、抱き合って別れて行く者も、というように書かれていますが、みんな死者として下手に消えました。お一人、台を撤収要員のアンサンブルさん以外は)

 

楽が「何が始まってるの?パパ」と聞くと「この闇の中で、死んでいく者と生きていく者の声に分かれていく」とmonoが答え、オタコ姐さんが「その声を聞き分けなくちゃならないんだよ、名代イタコになるからは」と言います。

 

そして列の順番がアブラハムたちの番になり、彼らもイヤホーンをつけると、三日坊主「オレの声だ」アブラハム「ああ、俺の声だ」「やっぱり俺たちはローゼンクランツとギルデンスターン」「届けた先で死者に還っていく運命だったのか」オタコ姐さん「あ、あたしの声も入っている」と言って死者の道に去っていきます。

 

フェイクスピアが「目に見えないマコトノ葉が、だんだん姿を見せて来た。聞こえてくるマコトノ葉は、フィクション!ではない。ノン、ノン、ノンフィクションのコトノハの一群」と言うと、楽が「お前、バカ息子じゃないな」と見抜きます。

 

monoは台から落ちるように下に降り、命が尽きそうな小動物がなんとか逃れようと苦闘するみたいに匣を抱えて、舞台奥に這うように向かいます。

 

シェイクスピアは「そうだ、このシェイクスピア元々息子なんていない。これが一番恐れた悲劇。呼んでいない悲劇。世界一の劇作家は、絶対にあの匣を開けさせない。フィクション!に生きて来た私が許さない。やがて飛ぶお前たちの飛行機の尾翼にしがみついてでも、その夜間飛行を阻止してやる」と言います。

 

(このシェイクスピアの台詞をどう解釈するか。シェイクスピアに元々息子がいない、呼んでいない悲劇」をメタファーと解釈すると、息子=フェイクスピア=フェイク、であって、フィクションを生み出す創造者は元々、言葉をフェイクにするつもりはなかった、呼んでいない=そんなこと意図していなかったのに、言葉が人間によって解釈がゆがめられ、フェイクにされてしまった悲劇とも取れます。

一方で史実から見ると、シェイクスピアにはハムネットという息子がいたのですが、11歳で病没し、シェイクスピアはその死に目に間に合いませんでした。元々いない、という台詞は史実とは異なるので、上記のメタファーの要素が強いのかとは思いますが、息子を死に目にも会えず亡くしてしまったシェイクスピアは、息子にマコトノ葉を遺せるmonoへの嫉妬から、絶対にあの匣を開けさせないと言っているとも取れます。

シェイクスピア作品の解説をHPにされている方のサイト。(ハムレットの解説)。ネットで拾いました。(天保の時に予習する時にもこのブログにお世話になりました)

ハムレット Hamlet 最後の方の段落参照)

 

アタイは「世界一の劇作家のプライドなんか、掃いて捨ててやるがいい。楽、これからアタイが一世一代の昇格試験、あなたの父さんにのりうつって見せる。だからまずは一生に一度の二回目のお願い、母さん出て来て、アタイの中に!トランジットしたいの」

と叫びます。

(アタイってぼーっとしてて可愛いかと思いきや、たまにこうカッコよくなりますね。ところでこれはきっと私の日本語が間違ってるんだろうけど、アタイがmonoにのりうつるというのに違和感を感じる。父さんをのりうつらせて、と受け身になる気がするけど、きっと私が間違ってるのよね。それともこれも何かの伏線??)

 

ブレヒト幕が走り、白石さんがアタイから伝説のイタコになっています。

そして「今度こそ、そのお前の同級生の父親に乗り移ればいいんだね、だったら同級生、あんたも、この妄想の飛行機にトランジットしな」と言います。

そしてブレヒト幕が走ると、伝説のイタコのいた場所に、白の半そでシャツに紺のネクタイのパイロット姿のmonoが匣を手にして立っています。

(下手前方袖席だった時、ブレヒト幕の目隠しが角度的に間に合わなくて、一生さんが茶色のジャケット脱がんとしているところが見えました。そりゃあのタイミングで脱ぎださないと間に合わないよね)

 

monoは舞台前方にしゃがんでいる楽のところにやってきて「楽。夜間飛行に飛び立つぞ」と笑って、楽の横にしゃがみます。

なにそれ?という楽に(ここの楽は3歳)monoは緑の紙のマコトノ葉を取り出して「星の王子さまは、お前が、……もう少し大きくなったら一緒に読もうと思っていた。キツネが言う、「いちばん大切なものは目に見えない」その目に見えないものって何だろう、あれからずっと考えていた。(匣にハッパを仕舞って)そこで、この匣をようやくお前に贈呈いたします」と言います。

 

(前田さんが星の王子様を演じたため、サン=テグジュペリの作品では「星の王子さま」引用の印象が強くなっていますが、ここで出てきた「夜間飛行」もかなりキーになる作品だと思います。「夜間飛行」は航空便の発展の為に、会社が夜間にフライトをする危険を冒していて、結果的に夜間飛行をしたパイロットは嵐により帰還出来なかった(消息不明)のですが、その悲劇を乗り越えて、夜間飛行を中止することなく果敢に今後も航空便を発展させようとする上司?ボス?のお話です。まさに、苦難を乗り越えて行け、「頭を上げろ」というパワー。一方「星の王子さま」も「大切なものは目に見えない」ばかりが強調されていますが、ラスト、王子さまは自分を待っている愛するもの(バラ)への責任を果たすため、死んで?故郷に戻る(いったん愛を与えてしまって自分を待っているもののためになんとしても帰る責任)ので、そのイメージも入っているような気がします)

 

ボイスレコーダーだよねと目を輝かせる楽にmonoは、「パパが最後に残した言の葉だよ。この言の葉も目に見えない。ここから流れ出した言の葉は、音になって消える。消えた言の葉には重力が無い。だから天に向かって舞い上がる。その言の葉は、目に見えないまま天空の高みに消えていく」と言い、楽は「やっと聞こえてきたのに、パパはどこかへ行ってしまうのか、コトバと一緒に」と嘆き、monoは「パパは飛行機に乗って、帰っていく」と、かろうじて微笑みながら言いますが、楽が「もう少し僕とここにいて、パパ」と甘えると、「……いられないんだ。パパは神様からの使いの「mono」だから」と声を震わせます。

 

(ここの一生さんのお芝居が6月半ばくらいからどんどんエモーショナルになって行きました。一生さん、泣かせどころだと思ったでしょ!!正解だよ!!! monoのエモーショナルな芝居を受け止めるには、楽の橋爪さんが本当に可愛い3歳児でなくてはならないんだけど、本当に可愛い3歳児なので、一生さんもそれに合わせてエモーショナルなパパになった気がします。行かないでじゃなくて、「もう少し」僕といて、という聞き分けの良い3歳が余計に憐みを誘う)

 

三日坊主とアブラハムが髪型はそのまま(笑)、monoと同じパイロットの服装で、オタコ姐さんもあの髪型で客室乗務員の服装に変わって舞台に登場します。

三日坊主とアブラハムが「神様からのシシャ、最初からそう言っているのに誰も信じない」というのに、オタコ姐さんは、あたしは信じていた、神様からの「死者」、死人だろと言います。そして三日坊主に、先に空港カウンターに荷物を預けておいたと言い、定年したら退職旅行に行くと決めていたという三日坊主に、「ひい、ふう、夫婦だったの?」と驚くアブラハム

 

今まで烏やイタコを演じていたアンサンブルの方々も、白シャツなどのシンプルでモノトーンな感じの服装に着替え、キャスター付き椅子を持って舞台にやってきます。(椅子を2つ持ってくる人もいる←monoの分)この椅子を3×6列くらいで観客に対面するように並べて、アンサンブルさんは乗客となって、椅子に座ります。最前列が機長や副操縦士航空機関士のシートです。オタコ姐さんはそのすぐ後ろ上手側に座ります。

また、白いパイプ棒を各横一列に渡して持ちます。(機体がダッチロールして揺れたり、緊急体勢を取るのにしがみついたりする表現に使います)

 

楽が「その飛行機で帰っていくの?」と聞くと、monoは「ああ。でも、パパが帰っても、パパの声は残るよ。この匣の蓋を開ければ、いつでも聞こえてくる」と言って、楽に匣を渡します。

楽が匣を開けると、空港ロビーの雑音と、JAL123便への搭乗アナウンスのSEが流れます。

(ああ、もう完璧にあの日航機事故をやるんだな、やはり123便なんだなとつき落とされるアナウンス。だいたい123便なんて覚えやすすぎるし、この後のCVRの再現でも「ジャパンエアワンツースリー」ってゴロが良すぎる!)

 

その搭乗アナウンスで、楽のそばを離れ、キャスター椅子で見立てたコクピットシートに座るmono。

ちなみに座席位置は、下手に航空機関士の三日坊主、真ん中に副操縦士アブラハム、上手に機長のmonoが座ります。それがこの後のCVR再現場面で機体がダッチロールする過程で、副操縦士と機長の座席位置が入れ替わります。これは本来機長は左で副操縦士は右なのに、monoが主役だから真ん中なのではなく(航空機関士の位置をずらせばなんにせよ真ん中に出来るけど)実際、JL123では副操縦士の機長への「昇格試験」が行われていて機長の席に副操縦士が座ったので、左がアブラハムで右がmonoの席になっています。(そしてこのことも事故後、非難の対象となりました)

 

舞台前方で「パパはその飛行機を操縦していたの?」と楽が聞くと、monoはシートでシートベルトをしたり機器を操作するパントマイムをしながら「うん、パパはサン=テグジュペリ星の王子さまと一緒に空を飛んでいたパイロットだ」と答え、楽は「夜間飛行が大好きで、夜空に行方不明になった星の王子さまのパパだね」と言うと、「どこかに不時着して、星の王子さまと会っているよ」と言います。

 

3歳の息子を置いてもう空に還っていかないといけない悲しさ、辛さは、シートに着く前までに表現して、ここでは息子向けパパのお仕事見学会みたいな感じで明るく会話します。かっこいいmonoパパ機長。

 

八百屋舞台の山の上に、下手に星の王子さま、上手にシェイクスピアが立ちます。二人の間にあの白い尾翼の骨組みが置かれます。

 

「ずっとずっと、お前に言いたかったことをやっと言えた。だからありがとうって言っておいて」とmonoが言うと「誰に?」と楽が尋ね、「僕を呼んでくれた、お前の同級生に」とmonoが答えます。

 

シートに座ってからは、monoは思い残す感じがないように明るいです。

星の王子さまは、お前が、もう少し大きくなったら一緒に読もうと思っていた」の部分から「……いられないんだ。パパは神様からの使いの「mono」だから」までが、息子を残していくmonoの悲しみを表現するシーン。

「ずっとずっと、お前に言いたかったことをやっと言えた」とmonoは言っていますが、「言える」ではなく、「言えた」と過去系なのは、CVRの言葉以外に何かあったのかしら?

星の王子さまは、お前が、もう少し大きくなったら一緒に読もうと思っていた。キツネが言う、「いちばん大切なものは目に見えない」その目に見えないものって何だろう、あれからずっと考えていた。(匣にハッパを仕舞って)そこで、この匣をようやくお前に贈呈いたします」の箇所なのかなあ。(なんとなく。ここ、一生さん台詞忘れた?とちょっとドキっとするくらい溜めがあったので)

楽が大きくなるのを楽しみにしていた、一緒にやりたいことがあった、一番大切なものは目に見えない、CVRを聞いて大切なものがそれとは言葉には表現されていないけど、心をちゃんと見抜いて欲しい(頭を上げろ=生きろ)ということでしょうか。

 

八百屋舞台てっぺんでは星の王子さまシェイクスピアが尾翼を両サイドから持ち、ガタガタと揺らしながら叫びます。

シェ「あいつこれからこの524の「生」と「死」を背負うことに、フィ、フィ、フィクション!」

星「フィクションという名の怨霊め、まだそんなところにくらいついていたのか」

シェ「シェイクの一念、おめおめ引き下がられおんりょう(おられよう)かあ~!」

星「だったら作ればいいさ、フィクションを、口から出まかせ」

シェ「それならおまかせ、憚りながら、生と死を背負ったハムレットさながら、”to be or not to be”と言いながら、to be ,T、O、B、E、飛べ、飛べとは、心ながらに覚え侍りし心のままにそう思われました、ということ?)

星「フェイクの中で生きる君たち、言の葉をもてあそび、人の命をもてあそぶ。けれども「生と死」のぎりぎりの水平線を見ている人の口からは、そんな言の葉は、微塵もでてこない。フェイクの中で生きる君たちと違って」

シェ「フェイクと呼ぶな、私はシェイク。シェイクスピアだ。休息万病(くそくまんびょう=くしゃみの語源とも言われる、くしゃみで悪霊がとりついて早死にしないよう唱える「くさめ」の語源)、フィクションという名の怨霊、あの世に置いてかれてなるものか」

星「置いてかれてなるものさ。置いて枯れたフィクションの森の最後のひと葉、それが僕。言葉が消える日、こころも消える」

ここで星の王子さま、アイドルのようにポーズを取って八百屋舞台から山の向こうに消える。爆発音。

シェ「うわ!この世とあの世をシェイクするのは私が創った言の葉。フィクションが揺るがす。だのに何故フィクションが揺れる揺らされる、何故にフィクションがシェイクされるんだ、私の言の葉はフェイクなんかじゃ……」

爆発音。シェイクスピアも退場。

 

ここ、私はだいたい3~5列目くらいで見ていたので、実は乗客役のアンサンブルさんに隠れてお二人の芝居がよく見えない&目の前の一生さんをどうしても見ちゃうので、大事であろう場面なのに印象が薄くなっております(笑)。

私の分類の印象では、ノンフィクション=リアルな言葉フィクション=事実ではない、実際に起きたことではないが、事の本質を書こうと作りだされた物語シェイクスピアらの作品、フェイク=フェイクニュースなどにあるように真実を伝えないもの、事実を誤解させるもの、と思っています。

シェイクスピアは自分の物語は人の本質を表わしたりするものだと自負はしているけど、ノンフィクションのリアルな言葉には敵わないのではないかと恐れている、でも王子さまにはフィクションだって口から出まかせのフェイクだと言われているということでしょうか。

一生さんもインタビューで自分のやっていること(芝居)はフェイクと言ったりしているので、それは自虐なのかしら?

私はフェイクとフィクションには違いがあると思いますが・・・。

 

お二人のこのやりとりの応酬の間、monoたちは無言(もしくは聞こえない程度の小声で)で順調な飛行機の操縦シーンを演じています。mono機長とアブラハム副操縦士がなごやかに談笑してたり。(大阪前楽では更に談笑シーンが楽しげに・・・めちゃ笑いあってた・・・)

前にも書きましたが、アタイと楽の同級生の会話で「分け目分け目」が「喚け喚け」だと気付いて笑ったり、シェイクスピアのものまねをしたり、アブラハムたちに「お得意の烏の真似」と言って手をパタパタさせたり、青年monoはお調子者の友達の横で一緒におちゃらけてるのが似合うような可愛い子で、それがパパになると、幸せそうで、パパになってしっかりしたね、変わったね、って言われる雰囲気なので、ここも、フライトは日常で、この時も「今日の夕飯なにかなー、楽はもう寝てるかなー」とかそんなこと考えながら飛んでいるんだろうなと思うと、この後突然、524人の命を背負わされたキャプテンになって、運命と戦わなくちゃいけなかった悲劇がつらいです。

そしてキャプテンmonoはとてもカッコイイです。monoたん第三形態。(第二形態はパパ)

 

そしてこの後、例のコトバの一群の引用が始まります。(圧巻)

 

続きます。

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野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」シーンごと感想⑥

  野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」各場面の感想、続きです。

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 (千秋楽のポスター写真)

 

御簾の中に入ったアタイ(中身は伝説のイタコ)は楽に、父親の「死者の夢」を追って下山したいのか尋ねます。

生きている人間の下りていく道は未来に向かうが、死者の道は過去に戻る、そしてこの「死者の夢」は覚めた時が終わりでもう二度と父親には会えなくなると。

このまま二度と会えないよりはと、楽とアタイ(in伝説のイタコ)は、気球に乗って恐山の空からmonoを探すことにします。

セットは、上から気球のバルーン部分が下りてきて、鈍い銀色のカゴに見立てた仕切りを立てて囲い、二人が中に立ち、背景に雲が描かれた空が出て、雲が下にスクロールしていくことで、気球が上昇しているように見せます。

 

伝説のイタコは、恐山のイタコたちに「うちの娘が、この恐山の底力を見せてやろうと言ってるんだ。死者を口寄せ、憑りつき、のりうつれ!恐山の頂の死者の夢を見せてやれ!」と叫び、烏は4人、八百屋舞台の上に立ち義太夫を、イタコ達は人形浄瑠璃マクベスの3人の魔女の一節を風船を持って吹いたりして演じ、「わしもひと吹きしてやるよ」のタイミングで気球が上手側に少しずつ移動します。

 

「あ、順風満帆の気球に逆風が吹いた」と楽が言うと、烏たちが「秋、夏、春、冬、秋、夏、春、冬」と季節を逆に叫びながら団扇であおぎます。

「なんか逆戻りしてませんか?」「そりゃそうさ、太古へ戻る風だ」「戻ってる、戻ってる、季節が戻ってる」「でもあんたの死んだ父親、ここらには見つからないねぇ……あれ?」「パパだ、あのシルエット」という会話で、monoが舞台に走りこんできます。今まで半袖にしていたジャケットの袖を伸ばして、肘のところの切れ目から腕を出すスタイル。

(別場面の写真ですが、この袖にしています。初日付近は前半の憑依の場面で女性になった時にもこの袖にしていたのですが、公演期間途中から、ずっと半袖で通し、この気球の追いかけっこの場面のみ、この袖にしています。意図は不明ですが、走り回る時の姿が飛行機っぽく見せたいのかも?)

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(舞台写真は篠山紀信さん撮影の宣材写真転載させていただきました)

 

走り込んできたmonoを追いかけて走り込んでくる、アブラハムと三日坊主。反時計回りに(時間を遡る)追いかけっこをし、上手の柱でmonoはいったん休憩しながら、荒い息でアブラハムと三日坊主を見、下手柱で二人は「お前、なんであいつを追ってるか、覚えてる?」「追いかけすぎて、忘れてしまった」と言います。

 

気球の背景の空に、大きな一つ目が回転しながら下手から上手に向かって移動し、イタコたちが豚の頭を持って、またマクベスの魔女の一節を語り、通り過ぎます。

楽は気球から「何が始まったんだ?」と驚き、三日坊主が「お前何故、あんな化け物に追われている?」とmonoに聞くと「あの巨人の目を潰したからだ」と答えるmono。

アブラハムが「何故そんな真似を」と尋ね、monoは「目を潰した隙に、神様のコトノハを盗んだんだ」と言います。「どんな言葉だ」「それは今どこにあるんだ」と言う二人に「ならば僕を追いかけろ、さすれば分かるさ」とmonoは答えて上手袖に逃げ、「待て!オデュッセウス!」とアブラハムと三日坊主の二人も追いかけて袖に消えます。

 

それを見て「あれ?パパじゃなかった」「誰?オデュッセウスって」と言う楽。

アタイは「遠く太古のお話さ、あれはオデュッセウスも見たという、父と子が再会するために通っていかなければならない通過儀礼、悪夢さ」と言い、楽は「なんでそんな話になるんだ?」と不思議がると、アタイは「フィークション!」と叫びポーズを取ると、ブレヒト幕が走り、アタイ(白石さん)の代わりにシェイクスピア(野田さん)がそのポーズをして気球の中に立っています。

 

オデュッセウスホメロス叙事詩オデュッセイア」の主人公で、知将で英雄の彼がポセイドンの怒りを買って、故郷になかなか帰れず、息子テレマコス(女神アテナに導かれて父を探す)に再会するまでの長い苦難の道のり(冒険譚?)のお話なのですが、このオデュッセウス名前の由来が、母方の祖父が命名を頼まれ、「自分は今まで多くの人間に憎まれてきた(オデュッサメノス)ので、憎まれ者オデュッセウス)がよい」と名付けたというとwikiにあって、日航機事故のあと、CVRの音声が表に出て名誉が回復するまでの数年、人殺しと罵られた機長のイメージと重なって、おおぅ・・・と思いました)

 

シェイクスピアは、お前たち父と子が呼んだ悲劇を、このシェイクスピアが書いたギリシア悲劇というフィクションの世界に親切にも収めてやろうっていうんだと言い、楽がギリシア悲劇を書いたのはシェイクスピアじゃないことを指摘すると、「書いた。ギリシア悲劇源氏物語サザエさんも、この世のフィクションは全部私が書いた」と言い張ります。(観客笑う)

フィクションの世界に収めてどうしたいんだと楽が問うと、シェイクスピアは恐る恐るという感じで気球のカゴの外に出て、縁を伝い歩きしながら「近頃のくしゃみがおかしい。フィクション!のこの言葉の神様が怖れる言の葉はこの世にない……はずだった。だが、ここ最近の、ノン、ノン、ノンフィクション!(くしゃみ風に) あの匣に近づいてからというものの恐怖心をビジュアル化しています(ここ戯曲と台詞変えましたね)」(観客笑う)と言って、気球のカゴを半周して急いで中に戻ります。

 

「あの匣には、そんな言の葉がはいっているのか?」と楽が言うとシェイクスピアは「わからない、だから私の息子がおまえのパパを訴えたあの裁判は示談にしよう。マコトノ葉の入ったあの匣を奪い合うのはもうやめにしよう」と提案、しかし楽はその言葉のリズムに乗って、ラップのように、気球のカゴの縁をドラムのように叩きながら「だったら生憎あの匣は、父が命を賭けて、山を駆けて、捜して捜して、私に渡しに来る算段。だから示談はなれ合い、示談にゃ乗れない。こころ痛んだ、ここらの異端児」と言い、シェイクスピアは「勝手にしろい、そりゃ面白い。兎の尾っぽの尾も白い。せっかくの示談をないがしろい。失礼千万、父親の裁判、むしろこれから、針のムシロ」とラップで返します。

 

その口調に、お前、バカ息子の方か?と楽が気付くと、シェイクスピアはフェイクスピアのかぶっていた野球帽?を取り出してラッパーのようにかぶり、「見たか聞いたかばれたかヨタカ。そうだよ、僕はフェイクスピア。じゃあ示談は不成立、神の裁きで待ってるぜ」とポーズをとり、ブレヒト幕が走ると、フェイクスピアがアタイ(伝説のイタコ)に代わっています。

楽が「この空の上で何が起こっているんだ」とびっくりすると、「何でも起こる、だってこれは死者の夢だから」とアタイが言ってポーズをとり、ブレヒト幕が走ると、同じポーズの星の王子様が現れます。「約束通り僕、現れただろう」「僕は君のパパの弁護人だ」と。

 

楽は、この逆風、ずいぶんと大昔に戻り過ぎてないかなと心配すると、王子様は「うん、太古も太古、人間のはじまりまで」と言い、ブレヒト幕、下手からスローモーションで走っているmonoの姿があります。

(自力でスローモーションするから、体幹が強くないと&ちょっと足がぷるぷるしていた一生さん)

王子様は「君がプロメテウスの従兄?」と呼びかけ「君が神様から初めに盗んだコトバ、何だったか知ってるかい?」と話しかけます。

「見当もつかない」というmonoに、「プロメテウスは「火」を盗んだ。君も「火」を盗んだつもりだった。ところが君は江戸っ子だった」「だから「火」を盗んだつもりが、「死」を盗んでしまった」(観客笑う。江戸っ子は「ひ」と「し」の発音が区別できないので)と解説する王子様。

「僕は神様から「死」という言葉を盗んだのか」とスローモーションで上手方面に走りながら言うmono。

王子様「そう、それで「死」を盗まれた神様はね、不死になった」

楽「代わりに人間が「死ぬ」ようになったのかい」

王子様「そういうこと」

mono「じゃあ、その時、僕が「死」という言葉を盗まなかったら、人間は死なずにすんだのかい?」

王子様「いいや、違う。人間は、確かに目の前で死んでいるのだけれども、それが「死」というものだということに気がつかないだけ」

mono「まるで樹木が死ぬみたいなことか、いつ死んだかわからないって」

王子様「そう、ひまわりが何時何分何秒に死んだとは君、考えないだろう」

楽「そうだね、このひまわりご臨終です。とはいわないね」

mono「人間の死が、枯れたひまわりになる」

楽「ひまわりのような死か」

mono「人は「死」を知らない方が本当に幸せなのだろうか」

王子様「そのことを知るために今、君は、生者の道を逆走している、命の限り」

mono「命の限り?」

王子様「8月12日、午後6時56分28秒(日航機の墜落時間=monoが亡くなった時間)まで逆走している」

その瞬間、スローモーションが解けてmonoは走り、気球の周りをぐるぐる反時計回りに八百屋舞台を駆け抜け、三日坊主とアブラハムが追いかけます。

 

(死を盗んで人間に与えたことにより、「死」という概念が生まれ、人は「死」を意識するようになりました。

「死」という概念が無かったら、最後までその運命に抗って死の間際まで生きようとはしなかったでしょう。

「死」という概念が無ければ、CVRの30分間の死闘も無かったということになります。(また、息子に言葉を残したいという思いも生まれなかったでしょう)

「死」を知らない方が幸せなのかどうか、知らなければ死の恐怖もありませんでしたが、息子に心を遺すことも無かったですね・・・)

 

上手の柱にすがりながらmonoは「早く、僕を追い込んでくれ」「ハーハー」(と荒い息)「もう時間が無いんだ、できる?」と下手のアブラハムと三日坊主に言うと、アブラハム「ききません」mono「山行くぞ」アブラハム「はい」mono「出ない」アブラハム「ふかしましょうか?」mono「ハーハーハーハー」という謎の会話をして、monoは上手袖に走り去ります。

観劇時は突然何を言いだした?という台詞の応酬ですが、これ(「できる?」から「ふかしましょうか」)はCVRの会話です。(どーんといこうやのちょっと前あたりの)

 

走り去ったmonoに、二人はまだmonoを追うか迷いだします。匣を届けて自分たちまでも死んでしまうなんてことになったら、匣のことは忘れてしまった方が良いのではないかと。

そこにオタコ姐さんがトランクを転がしながら登場し、「行くよ。神様の使いだって矜持を捨てるのかい?」と二人を励まして三人でmonoを追って上手袖に消えます。

(オタコ姐さんがトランクを持つ意味は、客室乗務員のイメージかなあと思います。本当はトランクじゃなく、フライトアテンダントの持つコロコロだとわかりやすいけど、わかりやすすぎちゃうから・・・)

 

そこにmonoが走り込み、またモスグリーンのレインコートの男たちが探知機で匣を探し、舞台中央のmonoがいる辺りでジジ…と反応しだします。

「いいぞ、僕を追い込め、神の裁きへ」「ありがたい、あの匣が近い、どこだ、どこに落ちている」とmonoは言い、地面を手で撫でて探します。そして匣を探しあて「あった!」と持ちあげたところで、みなに取り押さえられます。アブラハムが「オトリ捜査だ」と叫び、「ありがとう恩に着る」というmono。断熱シートのようなもので押さえこまれて覆われます。

(初回は布団でしたが、ここでは断熱シートのような銀色のシート。前回よりさらに遺体をくるんでいるかのような感じに)

三日坊主たちは「所持していたぞ、ハッパはこの匣の中に入っている!」「午前3時33分、恐山中腹、第二山小屋クラブで犯人の身柄を確保しました」「苦節永遠プラス36年、遂に取り戻しました、神様、この匣を」「神様のマコトノ葉が入った匣です」と言います。

monoは神の裁きへ連れて行けと訴えます。

 

それを見て星の王子様は「坊や、下りて行くよ!」「星の王子様はいつも砂漠に到着する」(「星の王子様」は砂漠に不時着したサン=テグジュペリと王子様のお話)「僕は君のパパの弁護人。神がぁ裁く、そんなぁ砂漠。そこに下りて行こう」と言います。

 

気球の上の部分が舞台上空に上がって収納され、カゴの部分が裁判台に変わり中央奥に置かれ、神が座る大きな椅子と、周囲を烏と烏女王が囲みます。神の席は空席です。台が3つ運び込まれて、一つはmonoが匣を置いて立ち、もう一つは下手に弁護人席で星の王子様と楽、もう一つは上手に検事席でフェイクスピアが立ちます。

 

烏女王が「被告人mono、亡霊ならば、そのバンクォーの椅子に着席なさい」と言います。

(バンクォーは「マクベス」の登場人物で、魔女の予言でバンクォーの子孫が王位を継承すると言われたため、恐れたマクベスに殺害された人。(息子はかろうじて生き延び、後に予言通り王位をつぐ)晩餐会でバンクォーの亡霊がマクベスの席についていて、マクベスにはその姿が見えていて取り乱します。亡霊からバンクォーを想起したのか、父親は死んだが息子は生き延びたというイメージもあるのか

 

monoは「僕は亡霊ではない。僕は最後まで生きる」と抗います。

そして神様はどこにいるのか尋ねると、烏の女王は「ただいま神様は留守にしております。ご用件がございましたら、ぴーと!」と留守番電話の真似をします。mono「神様は不在なんですか?」アブラハムロシア革命以来、神は不在だ」三日坊主「お前言ってて意味がわからないだろう」(この流れは笑う場面ですが、日によって笑いの量が違ったかな・・・)monoは「神様が不在の神の裁きに意味があるのか」と問います。

烏女王は「ある!やい匣ドロボー!マコトノ葉ドロボー!永遠プラス36年前、神の言葉を奪い、人間の世界に持ち込んだ男……の末裔。おかげで、コトバを盗まれた神は無口になった」と言い返し、monoは「神が無口のままでいいはずがない、山ほど聞きたいことがあるのはこちらだ、答えてくれこのマコトノ葉について」とさらに言い返します。

そこへフェイクスピアが「裁判鳥!」と手を挙げます。(さいばんちょうって、この漢字だったことを戯曲で知りました(笑))

「神様何で何もおっしゃってくれないんです?(甘えた声で)」と苦情が出るが、神を無口にしたのは人間自身だとコトバの神様(=シェイクスピア)が言っている、と。

それに対しmonoは自分はマコトノ葉を盗んでいない、盗もうとしているのはその男の父親だと抗議します。

フェイクスピアは「シェイクスピアが盗作したがってるだと?この中のマコトノ葉を欲しがっているとでもいうのか」と怒りますが、monoも「でなければ何故僕に濡れ衣を着せる、息子のお前を使ってまで」と言い返します。

 

(この辺りは、シェイクスピア創作(フィクション)の達人でもノンフィクションのリアルな言葉には敵わないということでしょうか。そしてシェイクスピアと言っていますが、実際マコトノ葉を盗んで使っているのは野田さん

 

そこに楽がパパに質問があると割って入ります。

「どうして僕たちはこんな夢を見ているの?」「ダブルブッキングしたこの夢は、いつ始まったの?」と。

息子に質問されてちょっと困惑しながら「パパはお前が、地下鉄のホームのベンチに座って「ひまわりの死」について考えていた時、そしていよいよ線路に身を投げようとした時、このマコトノ葉をお前に聞かせようと、大きな木の下で目が覚めた」「死者は目覚めて初めて夢を見る」と答えます。

 

(ひまわりの死について考えるというのは、自殺願望、希死念慮のことを指すのでしょうか。死の瞬間まで抗う人間の死との対比として。そして「死者の書」では死者は呼ばれて目を覚ましていたので――「死者の書」の場合は他の魂を呼んでいたのですが、monoも息子に呼ばれて(思い出されて)目を覚ましたのでしょうか。そして「僕たち」が見ている夢なので、やはり楽も死者の世界にある程度は足を踏み入れているんだろうなと思います。自殺願望があるためか、もしくは実際に死にそこなって生死をさまよっているのかは受け手の想像と思いますが)

 

楽はどんなコトノハを聞かせたかったのかと匣を開けたがりますが、フェイクスピアはそれは危ないハッパだから公の場で聞かせて良いものじゃないと反対します。

そこに星の王子様が弁護に立ち、「mono、君はこのマコトノ葉が一番大切なものだと感じていますね」と尋ね、monoは「はい!」とその弁護に乗るように勢い込んで返事をします。

(monoの注意が王子様の方に向いている隙に、フェイクスピアは匣にイヤホンを差し込み、中の音声を聞いています)

「だったらこれは目に見えないコトバですね」「はい!」「そこで伺います」「はい!」「目に見えないコトバとは何ですか」「声です!」(前のめりに)

そこに匣の声を聞いていたフェイクスピアが「うける~(匣の音声に対し)」と言って邪魔をし、王子様は「あなたに聞いてないから!」とフェイクスピアに怒ります。

monoは「声は、目に見えないコトバです!」と言い、王子様は「そう、だからこの匣を開けても、中には何も入っていません」「何も入っていない以上、盗みではありません!」と必死に弁護しますが、そこに匣の声を聞いていたフェイクスピアが「ゲームじゃん、これゲームじゃん」と言ってけたたましく笑うので、「静かにしてくれないか!」と怒る王子様。

「だってこれゲームだぜ、この匣から聞こえるコトバ。ハイドロプレッシャーとか。スコーク77とか」とバカにするフェイクスピアに、その専門用語に心当たりがあるように、アブラハムと三日坊主が反応します。

「だってがんばれとか、気合を入れろとか言って、ゲームやってる奴を周りで盛り上げてる」というフェイクスピアに、「君の耳にそう聞こえるだけだ」と語気強く王子様は言い返しますが、「聞こえないよ君の声。作中人物には声が無いから」とあしらわれ、ムッとします。

 

(君の耳にそう聞こえるだけとは、同じ言葉(声)でも受け手によって解釈が変わってしまうということで、まさにCVRも解釈がまちまちの部分があると思います。作中人物には声が無いというのは、息をしていないから声も無いのかもしれませんが、どういうことでしょう。作中人物は創作主に好きなようにしゃべらされる?)

 

王子様は楽に「この匣にある声の一群は、君のパパが最後に遺した足音。僕にはそう聞こえる」と必死に訴えますが、そこにフェイクスピアが「この被告人、こんなコトバしゃべりながら何を考えていたと思う?「これはだめかもわからんね」だって、ありえな~い」と言うと、楽も「裁判鳥、僕も聞きたい」と言いだし、monoは「え?」とうろたえます。

「何を考えていたの?どーんと行こうやって何?」と楽が言うと、アブラハムも「ハイドロプレッシャーって何だ!?」三日坊主が「スコーク77って何だ!?」フェイクスピアが「がんばれ、気合を入れろって何!?」楽が再び「どーんと行こうやって?パパ!!」と四方八方からmonoに質問を浴びせ、monoは最初はうろたえて四方八方の質問者の顔を声をかけられる度に困ったように見ていましたが、ここで豹変します。

 

「それがマコトノ葉だろうか!それがマコトノ葉だろうか!それがマコトノ葉だろうか!ここらあたりから吐き出された心からの言葉だろうか!」と自らの胸をわしづかみにしながら、強い語気で問いかけます。

烏女王は「折角盗んだマコトノ葉を、そんな自信のないものにしてしまった、人間という愚かな生き物よ、一言でも、神様に返す言葉があったらここで申してみろ」と言いますが、それに対してmonoは「頭を下げろ!」と叫びます。

裁判所が騒然となり、楽が「パパ、さすがに神様に向かって」と、とりなそうとしますが、monoは「頭を下げろ!かつてとてつもなく大きなものと闘った時に、私はそう言った。その記憶が甦って来た」「まさにその時、抗いがたい運命、神様と闘った……気がする。その時の僕のコトバが、この匣の中に入っていたはずだ」と血を吐くように訴えます。

「だったらそれは神様のコトノハではなくて」「神様と闘った時のコトノハか」「今度は神様と闘ったなどと言い始めた」「やはりプロメテウスの従兄だ」「神様がいないのをいいことに」と非難されながら、monoは裁判台の上に匣を抱えて上がり、仰向けに横たわります。

「やはり悪い奴なのか?あいつは」「探知機が鳴り始めた」という三日坊主とアブラハム

 

(この台の上にあおむけに横たわるmonoが、野田さん、サービスカットですか!!!!っていう感じにイセクラの劣情を誘っているわけですが(笑)、頭というか胸の辺りからもう台からはみだしているので、頭がのけぞる感じになって、汗がぼったぼったと舞台に垂れてるわ、匣を抱える腕の血管や筋は素晴らしいわ、monoが苦しげに気を失いそうな感じで、ピエタのキリストみたいという声もあったのですが、これ、怖い想像をすると、その前に「プロメテウスの従兄」と言われていたので、プロメテウスが毎日肝臓を鷲に食べられる拷問(プロメテウスは不死なので毎日肝臓も復活してしまうから苦しみが永遠に続く)を表わしているともとれます。プロメテウスの拷問シーンを描いた絵画は、こんな感じであおむけになっているプロメテウスに鳥がはらわたつついてるみたいなものが多いし。戯曲にはここのmonoの動きについて何も書いていないのですが、稽古場で考えた振り付け?でしょうか・・・・。いや、生贄的な推しはとてもセクシーなんですけど・・・・誰の発案?まさか一生さん?あなたblank13の時もいいこと思いついた風に、「コウジが服装に無頓着なことを表現するため衣装のTシャツをオーバーサイズにしました」とか言ってたけど、そのせいでゆるゆる首元からチラ見えする鎖骨と胸元が気になっちゃって、こちとら話に集中できなかったんだからね!)

 

そのmonoの匣に向かって、モスグリーンのレインコートを着た捜索者達が探知機(正確には探知機に見せかけた飛行機の機器)を持って近づき、「近いぞ!反応している!」「この辺りなのは間違いない」「くまなく探せ、枯葉の下も」「あったぞ!」とmonoが抱えている匣を発見します。

捜索者に混じった三日坊主とアブラハムが「苦節、永遠プラス36年、遂に取り戻しました、この匣を」「神様の言の葉が入った匣です」と宣言すると、捜索者が「神様のコトノハ?」「何とぼけたこと言ってるんだ」「これはボイスレコーダーだ」「知らずに捜索していたのか?」「墜落したんだよ、大きな飛行機が!」「誰もいない森で」と言います。

日航機事故の話だとここまでに気付いていたとしても、鳥肌が立つ場面。

 

monoは台に横たわり頭が落ちた状態の体勢で「ずしーんとばかりとてつもなく大きな音を立てて大木が倒れてゆく。けれども誰もいない森ではだれ一人その音を聞くものがいない。誰にも聞こえない音、それは音だろうか……私はどうしても、この音を、この声をお前に届けたかった」と言います。(すごい体幹

 

9000文字越えたので、シーンの途中ですが続きます・・・。

 

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