★お気楽日記★

アリとキリギリスでは断然キリギリスです。 うさぎとかめなら、確実にうさぎです。 でも跳ねる趣味はありません。

野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」シーンごと感想⑥

  野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」各場面の感想、続きです。

crearose.hatenablog.com

 

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 (千秋楽のポスター写真)

 

御簾の中に入ったアタイ(中身は伝説のイタコ)は楽に、父親の「死者の夢」を追って下山したいのか尋ねます。

生きている人間の下りていく道は未来に向かうが、死者の道は過去に戻る、そしてこの「死者の夢」は覚めた時が終わりでもう二度と父親には会えなくなると。

このまま二度と会えないよりはと、楽とアタイ(in伝説のイタコ)は、気球に乗って恐山の空からmonoを探すことにします。

セットは、上から気球のバルーン部分が下りてきて、鈍い銀色のカゴに見立てた仕切りを立てて囲い、二人が中に立ち、背景に雲が描かれた空が出て、雲が下にスクロールしていくことで、気球が上昇しているように見せます。

 

伝説のイタコは、恐山のイタコたちに「うちの娘が、この恐山の底力を見せてやろうと言ってるんだ。死者を口寄せ、憑りつき、のりうつれ!恐山の頂の死者の夢を見せてやれ!」と叫び、烏は4人、八百屋舞台の上に立ち義太夫を、イタコ達は人形浄瑠璃マクベスの3人の魔女の一節を風船を持って吹いたりして演じ、「わしもひと吹きしてやるよ」のタイミングで気球が上手側に少しずつ移動します。

 

「あ、順風満帆の気球に逆風が吹いた」と楽が言うと、烏たちが「秋、夏、春、冬、秋、夏、春、冬」と季節を逆に叫びながら団扇であおぎます。

「なんか逆戻りしてませんか?」「そりゃそうさ、太古へ戻る風だ」「戻ってる、戻ってる、季節が戻ってる」「でもあんたの死んだ父親、ここらには見つからないねぇ……あれ?」「パパだ、あのシルエット」という会話で、monoが舞台に走りこんできます。今まで半袖にしていたジャケットの袖を伸ばして、肘のところの切れ目から腕を出すスタイル。

(別場面の写真ですが、この袖にしています。初日付近は前半の憑依の場面で女性になった時にもこの袖にしていたのですが、公演期間途中から、ずっと半袖で通し、この気球の追いかけっこの場面のみ、この袖にしています。意図は不明ですが、走り回る時の姿が飛行機っぽく見せたいのかも?)

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(舞台写真は篠山紀信さん撮影の宣材写真転載させていただきました)

 

走り込んできたmonoを追いかけて走り込んでくる、アブラハムと三日坊主。反時計回りに(時間を遡る)追いかけっこをし、上手の柱でmonoはいったん休憩しながら、荒い息でアブラハムと三日坊主を見、下手柱で二人は「お前、なんであいつを追ってるか、覚えてる?」「追いかけすぎて、忘れてしまった」と言います。

 

気球の背景の空に、大きな一つ目が回転しながら下手から上手に向かって移動し、イタコたちが豚の頭を持って、またマクベスの魔女の一節を語り、通り過ぎます。

楽は気球から「何が始まったんだ?」と驚き、三日坊主が「お前何故、あんな化け物に追われている?」とmonoに聞くと「あの巨人の目を潰したからだ」と答えるmono。

アブラハムが「何故そんな真似を」と尋ね、monoは「目を潰した隙に、神様のコトノハを盗んだんだ」と言います。「どんな言葉だ」「それは今どこにあるんだ」と言う二人に「ならば僕を追いかけろ、さすれば分かるさ」とmonoは答えて上手袖に逃げ、「待て!オデュッセウス!」とアブラハムと三日坊主の二人も追いかけて袖に消えます。

 

それを見て「あれ?パパじゃなかった」「誰?オデュッセウスって」と言う楽。

アタイは「遠く太古のお話さ、あれはオデュッセウスも見たという、父と子が再会するために通っていかなければならない通過儀礼、悪夢さ」と言い、楽は「なんでそんな話になるんだ?」と不思議がると、アタイは「フィークション!」と叫びポーズを取ると、ブレヒト幕が走り、アタイ(白石さん)の代わりにシェイクスピア(野田さん)がそのポーズをして気球の中に立っています。

 

オデュッセウスホメロス叙事詩オデュッセイア」の主人公で、知将で英雄の彼がポセイドンの怒りを買って、故郷になかなか帰れず、息子テレマコス(女神アテナに導かれて父を探す)に再会するまでの長い苦難の道のり(冒険譚?)のお話なのですが、このオデュッセウス名前の由来が、母方の祖父が命名を頼まれ、「自分は今まで多くの人間に憎まれてきた(オデュッサメノス)ので、憎まれ者オデュッセウス)がよい」と名付けたというとwikiにあって、日航機事故のあと、CVRの音声が表に出て名誉が回復するまでの数年、人殺しと罵られた機長のイメージと重なって、おおぅ・・・と思いました)

 

シェイクスピアは、お前たち父と子が呼んだ悲劇を、このシェイクスピアが書いたギリシア悲劇というフィクションの世界に親切にも収めてやろうっていうんだと言い、楽がギリシア悲劇を書いたのはシェイクスピアじゃないことを指摘すると、「書いた。ギリシア悲劇源氏物語サザエさんも、この世のフィクションは全部私が書いた」と言い張ります。(観客笑う)

フィクションの世界に収めてどうしたいんだと楽が問うと、シェイクスピアは恐る恐るという感じで気球のカゴの外に出て、縁を伝い歩きしながら「近頃のくしゃみがおかしい。フィクション!のこの言葉の神様が怖れる言の葉はこの世にない……はずだった。だが、ここ最近の、ノン、ノン、ノンフィクション!(くしゃみ風に) あの匣に近づいてからというものの恐怖心をビジュアル化しています(ここ戯曲と台詞変えましたね)」(観客笑う)と言って、気球のカゴを半周して急いで中に戻ります。

 

「あの匣には、そんな言の葉がはいっているのか?」と楽が言うとシェイクスピアは「わからない、だから私の息子がおまえのパパを訴えたあの裁判は示談にしよう。マコトノ葉の入ったあの匣を奪い合うのはもうやめにしよう」と提案、しかし楽はその言葉のリズムに乗って、ラップのように、気球のカゴの縁をドラムのように叩きながら「だったら生憎あの匣は、父が命を賭けて、山を駆けて、捜して捜して、私に渡しに来る算段。だから示談はなれ合い、示談にゃ乗れない。こころ痛んだ、ここらの異端児」と言い、シェイクスピアは「勝手にしろい、そりゃ面白い。兎の尾っぽの尾も白い。せっかくの示談をないがしろい。失礼千万、父親の裁判、むしろこれから、針のムシロ」とラップで返します。

 

その口調に、お前、バカ息子の方か?と楽が気付くと、シェイクスピアはフェイクスピアのかぶっていた野球帽?を取り出してラッパーのようにかぶり、「見たか聞いたかばれたかヨタカ。そうだよ、僕はフェイクスピア。じゃあ示談は不成立、神の裁きで待ってるぜ」とポーズをとり、ブレヒト幕が走ると、フェイクスピアがアタイ(伝説のイタコ)に代わっています。

楽が「この空の上で何が起こっているんだ」とびっくりすると、「何でも起こる、だってこれは死者の夢だから」とアタイが言ってポーズをとり、ブレヒト幕が走ると、同じポーズの星の王子様が現れます。「約束通り僕、現れただろう」「僕は君のパパの弁護人だ」と。

 

楽は、この逆風、ずいぶんと大昔に戻り過ぎてないかなと心配すると、王子様は「うん、太古も太古、人間のはじまりまで」と言い、ブレヒト幕、下手からスローモーションで走っているmonoの姿があります。

(自力でスローモーションするから、体幹が強くないと&ちょっと足がぷるぷるしていた一生さん)

王子様は「君がプロメテウスの従兄?」と呼びかけ「君が神様から初めに盗んだコトバ、何だったか知ってるかい?」と話しかけます。

「見当もつかない」というmonoに、「プロメテウスは「火」を盗んだ。君も「火」を盗んだつもりだった。ところが君は江戸っ子だった」「だから「火」を盗んだつもりが、「死」を盗んでしまった」(観客笑う。江戸っ子は「ひ」と「し」の発音が区別できないので)と解説する王子様。

「僕は神様から「死」という言葉を盗んだのか」とスローモーションで上手方面に走りながら言うmono。

王子様「そう、それで「死」を盗まれた神様はね、不死になった」

楽「代わりに人間が「死ぬ」ようになったのかい」

王子様「そういうこと」

mono「じゃあ、その時、僕が「死」という言葉を盗まなかったら、人間は死なずにすんだのかい?」

王子様「いいや、違う。人間は、確かに目の前で死んでいるのだけれども、それが「死」というものだということに気がつかないだけ」

mono「まるで樹木が死ぬみたいなことか、いつ死んだかわからないって」

王子様「そう、ひまわりが何時何分何秒に死んだとは君、考えないだろう」

楽「そうだね、このひまわりご臨終です。とはいわないね」

mono「人間の死が、枯れたひまわりになる」

楽「ひまわりのような死か」

mono「人は「死」を知らない方が本当に幸せなのだろうか」

王子様「そのことを知るために今、君は、生者の道を逆走している、命の限り」

mono「命の限り?」

王子様「8月12日、午後6時56分28秒(日航機の墜落時間=monoが亡くなった時間)まで逆走している」

その瞬間、スローモーションが解けてmonoは走り、気球の周りをぐるぐる反時計回りに八百屋舞台を駆け抜け、三日坊主とアブラハムが追いかけます。

 

(死を盗んで人間に与えたことにより、「死」という概念が生まれ、人は「死」を意識するようになりました。

「死」という概念が無かったら、最後までその運命に抗って死の間際まで生きようとはしなかったでしょう。

「死」という概念が無ければ、CVRの30分間の死闘も無かったということになります。(また、息子に言葉を残したいという思いも生まれなかったでしょう)

「死」を知らない方が幸せなのかどうか、知らなければ死の恐怖もありませんでしたが、息子に心を遺すことも無かったですね・・・)

 

上手の柱にすがりながらmonoは「早く、僕を追い込んでくれ」「ハーハー」(と荒い息)「もう時間が無いんだ、できる?」と下手のアブラハムと三日坊主に言うと、アブラハム「ききません」mono「山行くぞ」アブラハム「はい」mono「出ない」アブラハム「ふかしましょうか?」mono「ハーハーハーハー」という謎の会話をして、monoは上手袖に走り去ります。

観劇時は突然何を言いだした?という台詞の応酬ですが、これ(「できる?」から「ふかしましょうか」)はCVRの会話です。(どーんといこうやのちょっと前あたりの)

 

走り去ったmonoに、二人はまだmonoを追うか迷いだします。匣を届けて自分たちまでも死んでしまうなんてことになったら、匣のことは忘れてしまった方が良いのではないかと。

そこにオタコ姐さんがトランクを転がしながら登場し、「行くよ。神様の使いだって矜持を捨てるのかい?」と二人を励まして三人でmonoを追って上手袖に消えます。

(オタコ姐さんがトランクを持つ意味は、客室乗務員のイメージかなあと思います。本当はトランクじゃなく、フライトアテンダントの持つコロコロだとわかりやすいけど、わかりやすすぎちゃうから・・・)

 

そこにmonoが走り込み、またモスグリーンのレインコートの男たちが探知機で匣を探し、舞台中央のmonoがいる辺りでジジ…と反応しだします。

「いいぞ、僕を追い込め、神の裁きへ」「ありがたい、あの匣が近い、どこだ、どこに落ちている」とmonoは言い、地面を手で撫でて探します。そして匣を探しあて「あった!」と持ちあげたところで、みなに取り押さえられます。アブラハムが「オトリ捜査だ」と叫び、「ありがとう恩に着る」というmono。断熱シートのようなもので押さえこまれて覆われます。

(初回は布団でしたが、ここでは断熱シートのような銀色のシート。前回よりさらに遺体をくるんでいるかのような感じに)

三日坊主たちは「所持していたぞ、ハッパはこの匣の中に入っている!」「午前3時33分、恐山中腹、第二山小屋クラブで犯人の身柄を確保しました」「苦節永遠プラス36年、遂に取り戻しました、神様、この匣を」「神様のマコトノ葉が入った匣です」と言います。

monoは神の裁きへ連れて行けと訴えます。

 

それを見て星の王子様は「坊や、下りて行くよ!」「星の王子様はいつも砂漠に到着する」(「星の王子様」は砂漠に不時着したサン=テグジュペリと王子様のお話)「僕は君のパパの弁護人。神がぁ裁く、そんなぁ砂漠。そこに下りて行こう」と言います。

 

気球の上の部分が舞台上空に上がって収納され、カゴの部分が裁判台に変わり中央奥に置かれ、神が座る大きな椅子と、周囲を烏と烏女王が囲みます。神の席は空席です。台が3つ運び込まれて、一つはmonoが匣を置いて立ち、もう一つは下手に弁護人席で星の王子様と楽、もう一つは上手に検事席でフェイクスピアが立ちます。

 

烏女王が「被告人mono、亡霊ならば、そのバンクォーの椅子に着席なさい」と言います。

(バンクォーは「マクベス」の登場人物で、魔女の予言でバンクォーの子孫が王位を継承すると言われたため、恐れたマクベスに殺害された人。(息子はかろうじて生き延び、後に予言通り王位をつぐ)晩餐会でバンクォーの亡霊がマクベスの席についていて、マクベスにはその姿が見えていて取り乱します。亡霊からバンクォーを想起したのか、父親は死んだが息子は生き延びたというイメージもあるのか

 

monoは「僕は亡霊ではない。僕は最後まで生きる」と抗います。

そして神様はどこにいるのか尋ねると、烏の女王は「ただいま神様は留守にしております。ご用件がございましたら、ぴーと!」と留守番電話の真似をします。mono「神様は不在なんですか?」アブラハムロシア革命以来、神は不在だ」三日坊主「お前言ってて意味がわからないだろう」(この流れは笑う場面ですが、日によって笑いの量が違ったかな・・・)monoは「神様が不在の神の裁きに意味があるのか」と問います。

烏女王は「ある!やい匣ドロボー!マコトノ葉ドロボー!永遠プラス36年前、神の言葉を奪い、人間の世界に持ち込んだ男……の末裔。おかげで、コトバを盗まれた神は無口になった」と言い返し、monoは「神が無口のままでいいはずがない、山ほど聞きたいことがあるのはこちらだ、答えてくれこのマコトノ葉について」とさらに言い返します。

そこへフェイクスピアが「裁判鳥!」と手を挙げます。(さいばんちょうって、この漢字だったことを戯曲で知りました(笑))

「神様何で何もおっしゃってくれないんです?(甘えた声で)」と苦情が出るが、神を無口にしたのは人間自身だとコトバの神様(=シェイクスピア)が言っている、と。

それに対しmonoは自分はマコトノ葉を盗んでいない、盗もうとしているのはその男の父親だと抗議します。

フェイクスピアは「シェイクスピアが盗作したがってるだと?この中のマコトノ葉を欲しがっているとでもいうのか」と怒りますが、monoも「でなければ何故僕に濡れ衣を着せる、息子のお前を使ってまで」と言い返します。

 

(この辺りは、シェイクスピア創作(フィクション)の達人でもノンフィクションのリアルな言葉には敵わないということでしょうか。そしてシェイクスピアと言っていますが、実際マコトノ葉を盗んで使っているのは野田さん

 

そこに楽がパパに質問があると割って入ります。

「どうして僕たちはこんな夢を見ているの?」「ダブルブッキングしたこの夢は、いつ始まったの?」と。

息子に質問されてちょっと困惑しながら「パパはお前が、地下鉄のホームのベンチに座って「ひまわりの死」について考えていた時、そしていよいよ線路に身を投げようとした時、このマコトノ葉をお前に聞かせようと、大きな木の下で目が覚めた」「死者は目覚めて初めて夢を見る」と答えます。

 

(ひまわりの死について考えるというのは、自殺願望、希死念慮のことを指すのでしょうか。死の瞬間まで抗う人間の死との対比として。そして「死者の書」では死者は呼ばれて目を覚ましていたので――「死者の書」の場合は他の魂を呼んでいたのですが、monoも息子に呼ばれて(思い出されて)目を覚ましたのでしょうか。そして「僕たち」が見ている夢なので、やはり楽も死者の世界にある程度は足を踏み入れているんだろうなと思います。自殺願望があるためか、もしくは実際に死にそこなって生死をさまよっているのかは受け手の想像と思いますが)

 

楽はどんなコトノハを聞かせたかったのかと匣を開けたがりますが、フェイクスピアはそれは危ないハッパだから公の場で聞かせて良いものじゃないと反対します。

そこに星の王子様が弁護に立ち、「mono、君はこのマコトノ葉が一番大切なものだと感じていますね」と尋ね、monoは「はい!」とその弁護に乗るように勢い込んで返事をします。

(monoの注意が王子様の方に向いている隙に、フェイクスピアは匣にイヤホンを差し込み、中の音声を聞いています)

「だったらこれは目に見えないコトバですね」「はい!」「そこで伺います」「はい!」「目に見えないコトバとは何ですか」「声です!」(前のめりに)

そこに匣の声を聞いていたフェイクスピアが「うける~(匣の音声に対し)」と言って邪魔をし、王子様は「あなたに聞いてないから!」とフェイクスピアに怒ります。

monoは「声は、目に見えないコトバです!」と言い、王子様は「そう、だからこの匣を開けても、中には何も入っていません」「何も入っていない以上、盗みではありません!」と必死に弁護しますが、そこに匣の声を聞いていたフェイクスピアが「ゲームじゃん、これゲームじゃん」と言ってけたたましく笑うので、「静かにしてくれないか!」と怒る王子様。

「だってこれゲームだぜ、この匣から聞こえるコトバ。ハイドロプレッシャーとか。スコーク77とか」とバカにするフェイクスピアに、その専門用語に心当たりがあるように、アブラハムと三日坊主が反応します。

「だってがんばれとか、気合を入れろとか言って、ゲームやってる奴を周りで盛り上げてる」というフェイクスピアに、「君の耳にそう聞こえるだけだ」と語気強く王子様は言い返しますが、「聞こえないよ君の声。作中人物には声が無いから」とあしらわれ、ムッとします。

 

(君の耳にそう聞こえるだけとは、同じ言葉(声)でも受け手によって解釈が変わってしまうということで、まさにCVRも解釈がまちまちの部分があると思います。作中人物には声が無いというのは、息をしていないから声も無いのかもしれませんが、どういうことでしょう。作中人物は創作主に好きなようにしゃべらされる?)

 

王子様は楽に「この匣にある声の一群は、君のパパが最後に遺した足音。僕にはそう聞こえる」と必死に訴えますが、そこにフェイクスピアが「この被告人、こんなコトバしゃべりながら何を考えていたと思う?「これはだめかもわからんね」だって、ありえな~い」と言うと、楽も「裁判鳥、僕も聞きたい」と言いだし、monoは「え?」とうろたえます。

「何を考えていたの?どーんと行こうやって何?」と楽が言うと、アブラハムも「ハイドロプレッシャーって何だ!?」三日坊主が「スコーク77って何だ!?」フェイクスピアが「がんばれ、気合を入れろって何!?」楽が再び「どーんと行こうやって?パパ!!」と四方八方からmonoに質問を浴びせ、monoは最初はうろたえて四方八方の質問者の顔を声をかけられる度に困ったように見ていましたが、ここで豹変します。

 

「それがマコトノ葉だろうか!それがマコトノ葉だろうか!それがマコトノ葉だろうか!ここらあたりから吐き出された心からの言葉だろうか!」と自らの胸をわしづかみにしながら、強い語気で問いかけます。

烏女王は「折角盗んだマコトノ葉を、そんな自信のないものにしてしまった、人間という愚かな生き物よ、一言でも、神様に返す言葉があったらここで申してみろ」と言いますが、それに対してmonoは「頭を下げろ!」と叫びます。

裁判所が騒然となり、楽が「パパ、さすがに神様に向かって」と、とりなそうとしますが、monoは「頭を下げろ!かつてとてつもなく大きなものと闘った時に、私はそう言った。その記憶が甦って来た」「まさにその時、抗いがたい運命、神様と闘った……気がする。その時の僕のコトバが、この匣の中に入っていたはずだ」と血を吐くように訴えます。

「だったらそれは神様のコトノハではなくて」「神様と闘った時のコトノハか」「今度は神様と闘ったなどと言い始めた」「やはりプロメテウスの従兄だ」「神様がいないのをいいことに」と非難されながら、monoは裁判台の上に匣を抱えて上がり、仰向けに横たわります。

「やはり悪い奴なのか?あいつは」「探知機が鳴り始めた」という三日坊主とアブラハム

 

(この台の上にあおむけに横たわるmonoが、野田さん、サービスカットですか!!!!っていう感じにイセクラの劣情を誘っているわけですが(笑)、頭というか胸の辺りからもう台からはみだしているので、頭がのけぞる感じになって、汗がぼったぼったと舞台に垂れてるわ、匣を抱える腕の血管や筋は素晴らしいわ、monoが苦しげに気を失いそうな感じで、ピエタのキリストみたいという声もあったのですが、これ、怖い想像をすると、その前に「プロメテウスの従兄」と言われていたので、プロメテウスが毎日肝臓を鷲に食べられる拷問(プロメテウスは不死なので毎日肝臓も復活してしまうから苦しみが永遠に続く)を表わしているともとれます。プロメテウスの拷問シーンを描いた絵画は、こんな感じであおむけになっているプロメテウスに鳥がはらわたつついてるみたいなものが多いし。戯曲にはここのmonoの動きについて何も書いていないのですが、稽古場で考えた振り付け?でしょうか・・・・。いや、生贄的な推しはとてもセクシーなんですけど・・・・誰の発案?まさか一生さん?あなたblank13の時もいいこと思いついた風に、「コウジが服装に無頓着なことを表現するため衣装のTシャツをオーバーサイズにしました」とか言ってたけど、そのせいでゆるゆる首元からチラ見えする鎖骨と胸元が気になっちゃって、こちとら話に集中できなかったんだからね!)

 

そのmonoの匣に向かって、モスグリーンのレインコートを着た捜索者達が探知機(正確には探知機に見せかけた飛行機の機器)を持って近づき、「近いぞ!反応している!」「この辺りなのは間違いない」「くまなく探せ、枯葉の下も」「あったぞ!」とmonoが抱えている匣を発見します。

捜索者に混じった三日坊主とアブラハムが「苦節、永遠プラス36年、遂に取り戻しました、この匣を」「神様の言の葉が入った匣です」と宣言すると、捜索者が「神様のコトノハ?」「何とぼけたこと言ってるんだ」「これはボイスレコーダーだ」「知らずに捜索していたのか?」「墜落したんだよ、大きな飛行機が!」「誰もいない森で」と言います。

日航機事故の話だとここまでに気付いていたとしても、鳥肌が立つ場面。

 

monoは台に横たわり頭が落ちた状態の体勢で「ずしーんとばかりとてつもなく大きな音を立てて大木が倒れてゆく。けれども誰もいない森ではだれ一人その音を聞くものがいない。誰にも聞こえない音、それは音だろうか……私はどうしても、この音を、この声をお前に届けたかった」と言います。(すごい体幹

 

9000文字越えたので、シーンの途中ですが続きます・・・。

 

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野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」シーンごと感想⑤

 野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」各場面の感想、続きです。

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 サーニット粘土で作ったイセフキンちゃんとポスターの記念撮影。

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(ピンクのベロ付き)

 

(続き)

ト書きには「mono、大木の下で眠る」とあるのですが、眠るというより力尽きて気を失う感じでした。

そしてブレヒト幕が走ると、monoは布団で寝ていて、他にも布団で数名寝ています。(さっきの場面でイタコが寝ている時よりは少ない。楽とアブラハムと三日坊主だけだったかな?)

 

monoは飛び起きると、匣が消えたと騒ぎます。隣で寝ていた楽は起き上がり「なにが消えたの」と冷めた感じで尋ねます。

(橋爪さんは3歳の楽と69歳の楽と演じますが、反抗的な高校生ノリの楽もあるような・・・)

そして、「がんばれがんばれ」「気合を入れろ」なんて時代遅れの言葉で、死のうと思っている僕の気持ちを引き留められると本気で考えているのかと言うので、monoは「お前、反抗期か?」とムッとして、客席の笑いを誘います。

 

楽は、そんなことより何でパパが死んでしまったのか、それを知りたいと。

「生意気言うな、お前は父親の背中だけ見ていればいいんだ」と言って、monoがちらっと背中を楽に向けるのが(向かい合って話していたところからの瞬間回転しての背中見せ)可愛いったらない。

可愛いから見過ごされがちだけど、父親の死因を知りたいのが何故生意気になるのかしらと思いましたが、これはその前の時代遅れの言葉で引き留められないにかかるのかな?(そしてmono自身この時は自分の死因を覚えていなくて、生意気言うなとごまかそうとしているのでしょう)

 

言い争いながら「初めての親子喧嘩だ」と気付いてちょっと照れる楽。monoはややむっとしながら「パパは愚鈍な魂かもしれない。あの匣を探しに下山する。取り返して、それからお前に贈呈する。それだけだ」と言うと、下手袖に向けてズンズンと歩きだし、その背中に楽は「年寄り!リア王頑固一徹!」」と悪口を言います。

その瞬間、monoが「そうか」とくるっと踵を返して楽に向かってくるので、楽は慌てて「あ、ちょっとごめんなさい、言い過ぎた」と否定します。

 

しかし楽のそんな言葉にはかまわず「楽、僕は君の父の亡霊だったからといって、もう死ぬものだと決めていた。この盂蘭盆が終わったら盆から先には、消えていう魂だと諦めていた。だめだ。僕は生きる……何を勘違いしていた。あの匣は、ただ僕と君だけのものではない。はっきりとしてきた」とまくしたて、そばで布団をかぶって寝ていた三日坊主とアブラハムを起こします。

 

後になって、アブラハム副操縦士、三日坊主が航空機関士、オタコ姐さんが客室乗務員だったことがわかりますが、この時点でmonoはCVRが自分だけのものではなく、彼らのものでもあることを思い出します。

(2回目の森で神様が目を瞑る話の場面で一生さんが声色を色々使い分けていたの、神様がmonoで私が野田さんとか、主語が変わるのを表わしているのかなと思いましたが、CVRに収められている声がこの4人のものであるということを表わしていたのかもしれません)

 

 monoは二人に、僕たちは仲間で、あの匣を盗もうとしたのも自分のもののような気がしたからだろう、一緒に僕たちの匣を探しに行こうと誘います。

この会話で「人を喰ったような顔をして」と、monoはまた顔の話をされます。

きっと野田さんの中で「顔を見て、見た相手が心情などを推測する」というのが意味があることなんでしょうね。(「本当に大切なことは目に見えない」というフレーズに対抗するのか、それとも楽に贈呈するCVRも、直接メッセージを述べていないけど、それを聞いて心情を推測するという共通点?)

 

 monoはいいことを思いついた子供みたいにウキウキと「こちら(上手)の道を下りて行こう。何度も同じところへ戻ってきてしまうのは、あの道(下手)を下りているからだ。またあの死者の道を下りて行ったら同じ轍を踏む」と身振り手振りで言い、アブラハムと三日坊主に自分を「言葉ドロボー」と追いかけてくれるように頼みます。「お得意の烏の真似をして。オトリ逮捕だ」と嬉しそうに手をパタパタしてトリの真似をします(可愛い。monoって基本的に可愛い子。クラスでお調子者の男子のグループの3番目くらいにいる感じ。こんな子が幸せなパパになってパパらしくなったねーって感じだったのに、ある日突然524人の命を背負わされたキャプテンになって、運命と戦わなくちゃいけなかった悲劇)。

 

追われればあの匣の落ちた場所に自分は追い詰められるだろうというmonoに、逮捕されて裁かれると心配する使者二人。

「そうだ、捕まって神様の裁きに出ていく。神様と対峙してやるんだ、闘ってやるんだ。楽、パパは目の前の「死」から逃げない。生きてみせる。だって楽、パパは生きていた方がいいだろう」とハイになっているmonoに、楽は「うん…でも今パパが下山したら、僕の同級生はどうなる?」とアタイの心配をします。

ここの温度差、リアルだなあと思いました(笑)。息子の方はまだパパがいなくなってしまう現実感が無くて、同級生の方が気掛かりだという。(クライマックス前に3歳に戻った時はちゃんとパパにいてほしがるんだけど)

 

 今日行われるアタイの昇格試験の心配をする楽に、ちょっと困って、試験の時間までには戻ってくるというmono。上手袖に向かって駆けだすmonoに楽は「駅前の焼鳥屋に行くのとは違うぞ」と叫びますが、monoは行ってしまいます。

そのmonoの後を「どうする?」「焼鳥屋に行くか」「ドロボー」と追いかけて上手にはける、三日坊主とアブラハム。(自分の寝ていた布団を抱えて)

 

その上手から入れ違いに、目隠しをした3人の男性(昇格試験の試験官)が自分らが座る椅子を持ってやってきます。

そして今横を通ったのはどっちから上って来たのかと楽に尋ね、上って来た方から下りて行かないと死んでしまうと言います。

試験がもう始まりそうなので、楽は慌ててmonoを呼びに行こうと上手の道を行こうとしますが、そこに目隠しして準備万端のアタイがやってきてしまい、試験が始まってしまいます。

 

そのとたん、舞台は真っ暗になり何も見えません。

アタイとイタコたちは、真っ暗と思うのは楽だけで、目の見えないイタコにはこの「闇」はいつもと変わらない、ただこれから聞こえる「声」の中に「死んだ者の声」が混じってくると言います。

暗闇の中、御簾が運ばれてきます。御簾の中にあの伝説のイタコがいて、そこに光源があるので(前田さんが何か光るものを持っている?)ぼんやりその姿が客席から見えます。

 

「その死者の「声」を聞き分けることができた時、無事、死者を口寄せできたと、イタコ合格の太鼓判が押されるのです」と伝説のイタコが御簾の中から言うのに「今の声!」とはっとして「どなたですか?」と聞くアタイ。

オタコ姐さんの声で「本日の試験官を務めてくださるイタコ様、もちろん匿名希望」と答えがあり、伝説のイタコの本日のご説法として、一番大切なものは目に見えないなんて言うが、目の見えない人間にとっては、大切なものどころか全て目に見えない、見えている人間の勝手な思い込みから出たコトバで失礼な話だ、と語られます。

「その攻撃的な口調、お母さんだ!」と御簾に駆け寄るアタイ。

試験官をお母さんだなんてと非難するイタコたち。

「でもあの試験官のイタコの正体、オタコ姐さんならわかるよね」とアタイはオタコ姐さんに同意を求めますが、オタコ姐さんの声で「誰?オタコ姐さんて」と返ってきます。アタイは「何言ってんの姐さん」と驚きますが、オタコ姐さんの声で「そんな人いないよ」と言われ、アタイは「でもずっとアタイの傍に」と驚きますが「でも聞こえていたのは声だけでしょう?」というオタコ姐さんの声に「あたしはマチニイタコだ」「あたしはイツモイタコだよ」と他のイタコたちの声が混じりだし、オタコ姐さんの声に「ほら、死者の声が混じり始めた。その声をよく聞き分けなくては、太鼓判は押されないよ」と言われます。

 

 でもオタコ姐さんと、あの伝説のイタコは私の母さんだって話したじゃないかというアタイに、面白いやつだね、じゃあまずお前の口寄せを聞いてあげるという伝説のイタコ(の声)。

 

アタイと楽は、父の霊を降ろそうとします。

お父さまはご病気か何かで亡くなったのかと尋ねるアタイ。

暗闇の中、御簾がやや白く光り、あとはよく見えないのですが、目を凝らすと、このタイミングで、下手からパイロット姿(半そで白シャツに紺ネクタイ)のmonoが出てきて、まさに亡霊のように(顔は見えないのですが)うつろな感じで歩き、御簾の前に立ち止まると、伝説のイタコのいる御簾の中を、客席に背を向けてしばらく見つめます。

 

三歳の時に亡くなった父親がどうやって亡くなったのか、母親ははっきりと話してくれないが、と楽が暗闇で語るのを、monoは今度は楽の背後に移動して、楽の後ろにしばらく佇み見守ります。

子供のころに父を人殺しと呼ぶ人が家に押しかけてきたことがある、なんでも父が「どーんと行こうや」と行ったからだそうです、と語る楽。

お父様はかつての国王よね?と尋ねるアタイに「いえ、パイロットでした」という楽。

楽の背後に佇んでいたmono、またふらふらと移動し、下手に消えます。

ハムレットってそんな話だっけ?と驚くアタイに、子供のころ、空に憧れたけど母から執拗に止められ、地下鉄職員になったという楽。

 

ここで伝説のイタコに、なかなか父親が現れないことを指摘され、楽は焦りながら「そろそろ出てきていいよ、パパ、戻ってきている?」と呼びかけますが、monoはもう存在せず、「もはやこの恐山の山頂にはいないんだね、あなたのお父さんの霊」とアタイが呟き、舞台が明るくなります。(暗闇が長かったので、観ているこちらも眩しくてしかめっ面になるくらい)

 

明るくなった舞台ではオタコ姐さんもいなくなっていて、御簾は形を失って中に誰かを(役者さんは前田さんで伝説のイタコです)網のようになって閉じ込めたまま、アタイは3人の男性試験官に51回目のイタコ不合格の烙印が押されたことを宣言されます。

もうしばらくのご猶予をと陳情するアタイを見て、楽は父親の霊が自分に下りたように偽装しますが、「嘘はついてないよね」と試験官に問いただされ、3回目に問いただされた時に観念して「嘘つきました、すいません」と謝ります。

この3回目に問いただすタイミングで、試験管やイタコたちは、黒い目隠しを外しています。

「バレバレなんだよ」「みえみえなんだよ」とイタコ達に言われ、驚く楽。アタイに、昇格試験の日は伝統でイタコは早朝から目の見えない振りをするだけで、本当は見えていることを教えられ、楽は、そりゃそうだ、同級生の時、ブッチョウ(アタイの渾名)は目が見えていたと元気なく笑います。

そして「悲しいなあ、私には本当に父が見えていたのに、父が消えた」と言って、monoを探しに下山しようとします。

 

そこへ御簾の向こうから「お前が死者を追いたいのなら、この恐山で上って来た道の反対に下りていくしかない。”死”を賭けていくことになるよ」と声がし、アタイは「まだ、母さん、そこにいるのね!」と喜びます。

御簾の向こうから「下手!糞!ダブルだ。下手糞。お前は本当にダメなイタコだ」と言われ、アタイは「出来の悪い娘でごめんなさい。アタイ一人じゃ何もできない」と嘆きます。

「でもね、私はね、お前がダメでダメでどうしようもないバカだけど、かわいいんだよ」と御簾の向こうから慰められ、抱きあおうとしますが、抱きしめようと伸ばした腕は宙を泳いで「ああダメだ。母さんの身体がない」と嘆くと、御簾から「何が望みなんだい?」と尋ねられ、アタイは「アタイは母さんと会えなくてもいいから、あの同級生の為に、アタイに出てきて」と懇願します。

 

そして、ブレヒト幕が走り、御簾の中に居た前田さん(伝説のイタコ)が消え、代わりに白石さん(アタイ)が御簾の中に入っています。

 

この昇格試験のシーン、とても解釈が難しいなと悩んでいます。

(昇格試験というモチーフに関しては、事故機のJAL123便の副操縦士機長への昇格試験の為に、当日機長の席に座っていた(このことがさらにクルーへのバッシングにつながった)ことから来ているのかもと思います)

 

なぜ、あんなに饒舌だったmonoがこの場面では一言も話さなかったのか。

また、ここに来て服装がパイロット姿になっていたのは何故か。

monoは何故、御簾の中の伝説のイタコをみつめていたのか。

伝説のイタコとは、オタコ姐さんは何者か。

初登場のシーンでは「この子の母親」と自分から言っていた伝説のイタコが、何故試験中はアタイに「お母さんだ」と言われても答えなかったのか、何故オタコ姐さんは「そんな人いないよ」と存在を消したのか。

 

monoがここにきてパイロット姿になったのは、自分の死因を思い出したのか、それとも死んだ直後のちゃんとした亡霊の(?)monoが、時間軸をねじまげて呼び出されたのでしょうか。遺した家族の元に人殺しと非難する人々が押し寄せても、見守るしかできなかった亡霊。

(7/26追記:SNSで見て、なるほどと思った解釈。匣を奪われたmonoは声が無くなっているので、死者の夢では話せても亡霊のmonoは声が無い。声が無いとイタコには死者は見えない)

 

そしてそのmonoが見つめていた伝説のイタコは何者なのか。

戯曲の表記で不思議なのが、私もその通り「御簾の向こう」と書きましたが、演じているのは前田さんで伝説のイタコの格好をしているのですが、台詞の話者名が「御簾の向こうからの声」という表記になっているのです。(試験中は「伝説のイタコ」表記だったり、「伝説のイタコの声」表記になったりしています)

同様にオタコ姐さんもここでは「オタコ姐さんの声」という表記になっていて、さらに途中で「誰?オタコ姐さんって」「そんな人いないよ」「でも聞こえていたのは声だけでしょう」と自分で自分の存在を否定し、明転した時には舞台上から消えています。

そして、オタコ姐さんが楽とmonoに昇格試験に協力してくれるよう頼んだ時に発した「あたしはね、この子がダメでダメでどうしようもないバカだけど、かわいいんだよ」というのと同じ台詞が、この場面で御簾の向こうの伝説のイタコから語られます。

 

シンプルに、亡くなったアタイのお母さんが、出来の悪いアタイを見守っているうちに自分が優れたイタコになってしまった(前田さん)、アタイは出来が悪くても可愛らしいので、伝説のイタコも姉弟子(?)のオタコ姐さんも放っておけなくて、同じ心境で「ダメでバカだけど可愛い」と同じ台詞を呟いた、とも考えられます。

 

しかし、深読みすると、クライマックスでオタコ姐さんもJAL123便の客室乗務員だったことが判明します。(=アタイも3歳の時の事故)

オタコ姐さんがアタイの母であり、ある一面は伝説のイタコに、ある一面はオタコ姐さんになっていた、とも考えられます。

伝説のイタコは前田さんの姿で表わされますが、この舞台で前田さんが演じている他の役は「星の王子様」=こころのメタファー、「白い烏」=JAL123便のメタファーです。

伝説のイタコもアタイを見守る母(オタコ姐さん)のメタファーなのかもしれません。

「御簾の向こうからの声」も前田さんが演じていますが、中身はオタコ姐さんなのかもしれません。

試験中にmonoが伝説のイタコをずっと見つめていたのは、同じ仲間(事故機の乗務員であり、3歳の子を残して亡くなった親である)ということだったのか?

そして3歳の娘を遺して死ななければならなかったことを思い出した母親は、その負い目で(?)アタイに母親だと言えなかったのかも?

 

 2回目に伝説のイタコがアタイに乗り移った時、その場にオタコ姐さんもいて、だからこそオタコ姐さんが「あの伝説のイタコはあんたのお母さんだ」説を持ちだしたのですが、これはアブラハムや三日坊主同様、恐山では死者は自分の正体をなかなか思い出せないということと、これ、ちょっとスピ系の話になりますが、魂って分裂することもあって、前世がマリ―アントワネットだという人が何人も出てもそれは間違いじゃなくて、グループソウルは混ざりあってそこから分裂したりするらしいので、マリ―アントワネットも同時に何人かに生まれ変わったりするらしいです。(これ豆知識(笑))

だからアタイの母親も、オタコ姐さんと伝説のイタコに分裂したのかもしれないですね。

 

それと、戯曲を落ちついて読むと、前田さんの姿の伝説のイタコと星の王子様が見えているのは観客だけで、monoや楽にはあれ、みんなアタイの姿で見えているんですよね・・・。(シェイクスピアもですが)

アタイが口寄せで、伝説のイタコになったり、星の王子様になったり、シェイクスピアになったりしている。

(でもそう考えると、途中の笑う場面で、白石さんが「若いよ若いよ」って言うのをmonoがドン引きして、この前の伝説のイタコさん(前田さん)と雰囲気が違う、あの時の感じの人と会いたい、という流れがおかしくなっちゃうんですけどね・・・。観客は素直に、若くて可愛い前田さんと白石さんとで比較して、monoが若くて可愛い方を選んだと思って笑うけど、monoには両方とも白石さんで見えていたはず)

 

と、わからないことだらけの場面でした。

 

続きます。

 

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野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」シーンごと感想④

  野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」各場面の感想、続きです。

 

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 monoが目を覚ますと枕元にあの匣があり、この匣があるということは自分は夢を見ていたんだろう、「”山だ”、”降りるぞ”(またCVRからの台詞)下山しよう、僕が亡霊になる前に、この匣を息子に届けるんだ」とmonoは布団から飛び起きますが、「目覚める度にまたはっきりしてきた。息子はここにいるんだ、隣で眠っていたんだ」と気付いて隣の布団を覗きこみます。「パパ」と抱きついてくる楽(3歳)。

 

――と、二人、我に返って(それまでパパと3歳児だったのが)、これは恐山が見せる気の迷いで、昨日リア王コーデリアになったのと同じでばかばかしいと思おうとしますが、何故かそのように笑い飛ばせません。

 でも僕たちが父と息子だなんて、ないないない、と言いあっていると、上手からアタイとオタコ姐さんがやってくるのに気付き、二人はまた布団をかぶって寝たふりをします。

(ここで一生さんは膝を立てたまま布団に潜るのですが、なんでだろうなと思っています。ずっと布団をかぶっていると暑いから換気を良くしたいのでしょうか?←起き上がった時にすごい汗なので。他のアンサンブルの方は普通に足を伸ばして寝ています。一生さんは膝を立てるから、たまに足先まで布団が覆え無くて、足が丸見えの時もあります)

 

アタイとオタコ姐さんは、アタイが伝説のイタコの娘だという話をしながら歩いてきます。「ないないない」とアタイは否定しますが(先ほどのmonoと楽と同じ台詞)、オタコ姐さんは伝説のイタコがアタイの母だと言ったのを見たと主張します。

しかし、アタイは自分の母親は三歳の時に亡くなっていると反論します。

(これ、亡くなっているからこそアタイにとりつけると思うのですが・・・何でこういう台詞になったのだろう。「アタイのお母さんはイタコじゃ無かったです」とかではなく。まあ、話の都合上、ここで3歳で亡くなったという情報を出さないといけないからというのが大きいと思いますが。ただ、この後の会話で自分の母親がイタコだったかどうか知らないと出てくるので「お母さんはアタイが3歳の時に亡くなったので、イタコだったのかどうか知りません」的な台詞で良いんじゃないかと思うけど、どうなんだろう)

 

アタイがイタコ修行に来たのは死んだお母さんに会いたかったからであり、死んだお母さんはアタイがあまりにも出来が悪いからハラハラして見守っているうちに、自分が誰にでも乗り移れる有能なイタコになってしまったのではないかと推理するオタコ姐さん。

(この会話の最中に、布団で寝ていたイタコたちは朝を迎えてパラパラと目を覚まし、布団を畳みだす)

 

でもアタイに母が憑りついている時、アタイはどこに行ってるんだろうと疑問を持つアタイに、「あんたは消えるのよ、ばか」とオタコ姐さんが答えると、寝たふりをしていた楽が起き上がり「だったら、折角出て来たお母さんは誰に会えばいいんだ?」と言います。

そこなのよ、イタコだけが感動の再会が出来ないんだと嘆くアタイに、そんなにもお母さんに会いたかったんだなあ、という楽。楽も同じ境遇で三歳でお父さんを亡くしたから、一緒だ、って部室で盛り上がったじゃない、というアタイ。

それを聞いて「ああ……忘れてた…一緒だあ!…そういうことか……父を。ありがとう」と感慨深げに言う楽。オタコ姐さんが「でも何で今更呼び出したくなったの?」と尋ねると「たぶんあれだな、自殺する前くらい」とぽろっと言う楽。アタイとオタコ姐さんが驚いて言葉がないのを見て、「あれ?俺、なんていった?」と聞きます。

 

(死者であるmonoが記憶を無くしていて、何かの拍子に思い出すのはわかりますが、楽まで大事なことを恐山では忘れてしまっているのが気になります

自分の父親が三歳の時に亡くなったことや、自分が自殺しようとしていたこと、死ぬ前に父親に会ってみようと恐山に来たことなど、全部忘れていて。

自殺しようとしていた楽は、半分死者の世界に来ていたのか(だから死者の夢の中で記憶を無くし、目覚める度に少しずつ思い出す)、その楽の気配を感じて、永遠に目を瞑ったはずのmonoは目覚めて、二人でそれぞれの方向から恐山にたどり着いたのか

 

楽は、自殺しようとしていたのは妻(デズデモーナ)ではなく自分であり、そもそも自分は天涯孤独で妻も娘(コーデリア)もいない地下鉄職員だったことを思い出します。

退職してからもパンを片手に地下鉄のベンチに座って線路を見つめながら、飛び込むべきか飛びこまざるべきかと反問していたと。(オタコ姐さんが「地下鉄のハムレットね」と言い、やや笑いが起こる場面。ここ、楽の自殺願望の動機が書かれず希死念慮のような感じで処理されているので、人の死というヘビーな問題でありながら、大半の人には真実味が無くて笑いやすいのかも)

そして結局先にベンチの隣に座っていた男に飛びこまれてしまい、「人身事故でご迷惑をおかけしています」とアナウンスされ(その男の死は「ご迷惑」であると)、人々が舌打ちをするのを見て、誰ひとりその男の「死」を思わないんだと、なおさら死にたくなったと言います。

(この「死」を思うということ、のちにmono=プロメテウスの従兄が「死」を神から盗んで人間にもたらしたという部分に関係してくるのかも。「死」という概念を与えられて人間は初めて「死」に抗って生きようとするメメント森(違)(by怪奇大家族))

  

 

「その時、ふと背中を押された気がした」「え?飛び込んじゃったの?」「いや、ここに来るように、誰かが背中を押した。命を断つ前に、父と会っておけと」という会話をし、アタイは黒い目隠しをオタコ姐さんから受けとりながら、今日の昇格試験で楽のお父さんにのりうつるから、あなたはお父さんに会えるから、飛び込むなんてやめておけ、そう言われるよ、と請け負って、オタコ姐さんともども目隠しをしてうろうろと歩き去ります。

 

 そこでmonoは布団から起き上がり(ずっと布団をかぶっていたので汗が光ります❤)「もしも息子がいて、目の前で自殺をするなんて聞いたら、どんな気持ちがすると思う?」と言い、自分のここら(心)あたり(胸)をぎゅっと握って辛い顔をして「こんな気持ちだ。だからわかる。僕は君の父です」と言います。

楽と「パパ」「タノ」と呼びあい、「生まれてきた君の名前をはじめて呼んだ日のことを思い出した」と懐かしみます(monoの幸せそうな笑顔)。一方で楽は、パパと呼んだ日のことを覚えていないと寂しそうに。

 

「そしてこんな幸せな僕の記憶からいきなり悲しいお知らせです、楽」(この言い回し好き)「パパは亡霊だ。恐山の死者だ」「でなければ、この若さで君のパパのわけがない」というmono。

(ところでmonoの楽を呼ぶ「君」と「お前」の使い分けはなんだろう。最初は他人行儀に「君」だけど、子供の楽の記憶が思い出されてくると「お前」になるのかしら)

 

楽は自分の目にはmonoがはっきり見えているから生きていると反論しますが、monoは、見えるのは楽だけでイタコさんたちには見えていないと言います。アタイもイタコたちも黒い目隠しをしてうろうろ歩いていて、目が見えないことを表わしています。

それ(イタコは目が見えないこと)に気付いた楽が、何で自分が楽だってわかったかとアタイに尋ねると、声でわかったと。声が聞こえれば、そこに人が突然現れる。聞こえなければいなくなる。それがアタイたちの世界。生きていようが死んでいようが関係ない、声さえ出してくれれば、声がするからあっちが現れる、と。そう言ってイタコ達は去っていきます。

 

僕のことが見えているのはお前だけというmonoに、これは僕の夢?と聞く三歳児の楽。でなければ死者の夢だとmonoが答えると、そんな夢ないよという楽。

そこにシェイクスピアが現れて「死ぬ。眠る。眠る。おそらくは夢を見る。そこだつまずくのは。永の眠りにつき、そこでどんな夢を見る」と、「ハムレット」の一節(to be or not to beから続く一節)を唱えながら歩き、モスグリーンの防水コートをかぶった男たちが、探知機で地面から何かを探してうろつく。(日航機から落ちたCVRを探索する人々のイメージ)

 

「死者の夢は、醒める度にはっきりとして来る。そして本当に醒めきった時、僕は死者に還っていく。だから醒めきる前に、お前にこれを贈呈いたします」と言ってmonoは匣を楽に差し出します。

何が入っているのか聞く楽(3歳)に、「ホントのコトノハ、マコトノ葉。空からはらはらと落ちて来た言の葉、これを聞いて思い直しておくれ、今更自ら死ぬなんて」と言い、楽がワクワクしながら聞いてみてもいい?と匣を開けようとすると(愛おしげに見守るmonoパパ)、寝ていた三日坊主が素早くやってきてその匣を奪います。

 

唖然とするmonoに、下手からオタコ姐さんが走ってきて、泥棒~、そいつを捕まえて!と三日坊主を追い、monoは「そうか、僕は泥棒という言葉から逃げていたのじゃない。追いかけていたんだ。お前にあげるマコトノ葉を」と追いかけて八百屋舞台を越えて消えます。

舞台に、三日坊主とオタコ姐さんが走り込んで来て、舞台上をクロスするようにジグザグと、逃げる&追いかけて、「なんてね」「なんてな」と顔を見合わせてほくそ笑みます。三日坊主とオタコ姐さんはグルになった神様の死者で夫婦だったのです。

 

神様のコトノハを聞いてみようとするオタコ姐さんと、神様に返さないとダメ、これ、すごい手柄だからという三日坊主。

八百屋舞台の立っている板の影に、寝ているアブラハムがいて、烏たちと舞台奥に登場、三日坊主とオタコ姐さんが「(神様に匣を返しに行く時に)アブラハムは置いていこう(お手柄立てての退職金は夫婦水入らずの旅行代金にしよう)」と言っていると、慌てて飛び起きます。(オタコ姐さんは烏たちと、すっと山を越えて舞台上から消える)

 

飛び起きて「ひい、ふう、夫婦だったの」と呂律が回らない感じで言い、三日坊主に涎をふけと言われます。

俺が置いてかれる夢を見た、危なかった、でどこまでがホント?と聞いてくるアブラハムに、匣を手に入れたからさっさと下山しようという三日坊主。

どっちに下山するか、神様はどちらにいるかと二人が話しあっていると、ラッパーのバカ息子っぽいフェイクスピアが上手に現れ、「あ、じゃ、それ僕に届けて」とステップを踏みながら軽薄に言います。「それ、ほぼほぼ、僕のだから」と。

フェイクスピアが言うには、自分のパパが(コトバの)神様のシェイクスピアなので、この匣は相続権上、コトバの神様の息子の所有物。だから自分にはその中のコトバを聞く権利があると。

神様のところに持っていかないといけないから開けたらダメだと言うアブラハムたちを、この匣の声が「この匣を届けた二人は不届きものだから首を刎ねろ」というものだったらどうするんだと脅すフェイクスピア。

そんな意外な展開があるのかと驚く二人に、パパの知人でローゼンクランツとギルデンスターン(ハムレットの登場人物)という二人の使いの者は、お届け先で…(首をちょん切られた身振り)と言うフェイクスピア。(上手の端にアブラハムを追いつめながら)

そして「ローゼンクランツとギルデンスターン、アーブラハムとみっかぼーず」と無理やり同じイントネーションで名前を呼び、それを聞いて、同じ響きだと恐れるアブラハム。(あまりに無理やりなので客席から笑い)

フェ「でもそれが君たちの使命だったのかもしれない。時間泥棒の」ア「え~、俺たち、時間泥棒だったの?」三「嘘だよ、何、詐欺師が騙されてるんだ」ア「どこまでがホントなの~!もうやめて~!」という会話があり、フェイクスピアが「残念だけれど、今じゃそれがこの世の言の葉さ」と言います。

(時間泥棒と言えば、ミヒャエル・エンデの「モモ」ですが、主人公のモモがどこからかやってきて円形「劇場」に住みついた、記憶喪失っぽい?少女で、大切な時間を灰色の男たちに奪われて、人が時間に追われて人間らしい生活が出来なくなっていく(価値を失っていく)のを、主人公が取り戻す、みたいなストーリーだった気がするので、そこからの軽い連想で出してきた言葉でしょうか)

 

フェイクスピアは「言ったが勝ち。書き込んだが勝ち。それが今のコトバの価値」とラップで歌います。

(これは直球の、フェイクが横行しているSNS批判

そんな人間にホントのコトバ、マコトノ葉なんて必要ないと言いながら、下手で、フェイクスピアは三日坊主が持つ匣を手にしたい(聞きたい)と手を伸ばしますが、背の高い三日坊主は匣を高く掲げて触らせません。(ぴょんぴょん跳ねる野田さんに、客席笑う)

だから神様がこのマコトノ葉をこの世界から没収、と言いながらフェイクスピアが匣を奪いたいと三日坊主に足を引っ掛けて、OPのアンサンブルが倒れて木々(大木)が倒れたのを表わしたのと同様に(?)、三人はぱたーんと倒れて(三日坊主は腕を伸ばして、匣をフェイクスピアから遠ざけたまま)フェイクスピアは「誰も耳を貸さないこのマコトノ葉なんて、誰もいない森で倒れる大木の音のようなもの……な、その音を、聞いてみようよ」と二人をそそのかし、三人は舞台中央の前方で匣を囲んで蓋を開けます。

 すると匣から「がんばれ、がんばれ」という(monoの)声が漏れ、慌てて蓋を閉めます。なに、今の?と恐る恐るもう一度開けると「どーんといこうや」と。

え?今のが?もっと感動的なコトバだと思ってた、これをマコトノ葉だと信じて、君に相続させようと思っているコトバの神様?お前のパパ?ってボケてんじゃない?と言うアブラハムと三日坊主。客席からは笑いが起きます。

 

この辺りから、気付く人は気付いてきたかと思います。これらの台詞が日航機事故のCVRの言葉で、結末は日航機事故の話につながるだろうということに。特に「どーんといこうや」は当時そこだけ切り取られて独り歩きし、物議を醸した有名な台詞だったようで(後に劇中でも「どーんといこうやと言ったから人殺しと言われた」と出てきます)それに気付いてしまった人は、この辺りから笑えなくなっていると思います。逆にそこまで詳しくなかったり、日航機事故のことを知らなければ、このシーンは3人のコミカルな動きで笑える場面です。

 

「その通り!シェイクスピアの言の葉が、誰もいない森に置いてかれた。置いて、おいて、老いて……枯れてしまった。その言葉の森の腐った土から、代わりに生まれ育ったのが、新たなコトバの神様、ディスイズ、フェイクスピア」とフェイクスピアは言い、ラップに合わせて「言ったが勝ち、書き込んだが勝ち、高得点が勝ち、それがコトバの価値。フェイクの価値」と歌います。三日坊主やアブラハム、烏たちもラップで囃します。

 

ラップが終わり、フェイクスピアが「この匣の中にあった、神様のマコトノ葉は……誰もいない森に……置いてかれてる。マコトノ葉は、置いて……おいて……老いて……枯れてる」と暗く呟くところにmonoが走りこんできて、匣を返せ!とフェイクスピアと匣を取りあいます。

第一、この中から聞こえてくる声は自分の声だというmonoに、「がんばれがんばれ」なんてだっせぇとバカにするフェイクスピア、何でそれが神様のマコトノ葉なんて呼ばれてるんだ?とアブラハム、こっちが聞きたいと言うmono、お前が神様から盗んだからだと言う三日坊主、盗まれたのは僕、君こそ目の前で盗んだだろうと抗議するmono、それは神様のコトノハを取り返すように烏に言われたからだと三日坊主。言いながら匣をめまぐるしく奪いあいます。

 

そしてフェイクスピアが、monoを神様の裁判所に言葉ドロボーの罪で訴えると言います。monoは、その匣に入っているのは空で発した自分の言の葉で、それを白い烏が神様のところに持ち去ったのが始まりだと抗議すると、そこに白い烏がやってきて、匣を奪い、八百屋舞台の上に走り、また両手で匣を持って左右に揺さぶって飛ぶ仕草をします。今度はトランクが八百屋舞台の上から下に転がされます。

椅子やトランクが落ちるのは日航機事故の暗喩でしょう)

monoが「持っていくな、白いカラス、それは江の島海岸の弁当箱じゃないぞ」と叫びます。

(この台詞、最初はmonoは客席に背を向けて白い烏に対して言っていたのですが、千秋楽間際には、客席に向けて言うようになりました。背中を向けてばかりいるのはもったいないから、観客に顔を見せようという変更かもしれません)

白い烏は神様の裁きがまもなく開かれるが、自分はmonoの弁護人に雇われているバイトの烏だから安心しろと言い、また匣を放り投げます。

 

「どこに落ちた?」「また死者の夢の中か?」と烏たちが言い、そこにヘリコプターのSEと共に、またモスグリーンの防水コートをかぶった男たちが探知機で地面から何かを探してうろつき、「いや、山の中だ!」と言います。

「山だあ!山の中だあ!」「この辺りなのは間違いないぞ」「くまなく探せ、枯れ葉の下も」と探し、そこをmonoが八百屋舞台の頂上に駆け上がって舞台から捌け、烏たちはmonoを追い、またmonoが舞台に走り込んで来て「また同じところにやって来た。僕はこの死者の夢から出ていけないのか」と言い、苦しげに膝をついて頭も落として額ずくような格好で、気を失いそうになりながら「この膨大なフェイクの枯れ葉の中から、あのたった一枚のマコトノ葉を探すことができるだろうか……できる!あの子に遺すんだ。あのハッパを、言の葉を。の最後のひと葉を。そう、あれはの遺言、がんばれ、がんばれ……気合を入れろ……頭を上げろ」と苦しげに自分を鼓舞します。

 (一人称が「私」と「僕」が入り混じっているのは、「私」は冒頭の神様monoの「私」、「僕」はmonoパパの「僕」なのでしょうか。一生さんが2番目の神様の場面(息子の形見かもしれない匣を開ける場面)で声色を入れ替えていたけど、それは神様monoの視点とmonoパパの視点の変化なのか。それとも、CVRがmono一人のものではない、アブラハムや三日坊主やオタコ姐さんら死者のものでもあるので、主語が複数あるという意味もあるのかな)

 

初日に自分がどの辺りで結末が日航機事故の話だと気が付いたのだっけと考えると、たぶんここの場面だった気がします。

頭を下げろ、頭を上げろくらいしかCVRの言葉の記憶は無かったのですが(有名な「どーんといこうや」は知らなかった)山の中の探知機と、ヘリコプターのSEで結びついたような気がします。

それにしても我ながらずいぶん勘が良いなあと思ったのですが、ちょっと変なことを言うと、これってテレパシーとか百匹目の猿現象的なものがあったのかもしれない

日航機事故の記憶が鮮明な方は、「がんばれがんばれ」「どーんといこうや」で気付いていただろうし、フルハウスの劇場という空間での共同体験で、空気感で伝わったものがあったんだろうな。(これ、収容人数50%だったらここまでの感覚は無かったかも)

今回「フェイクスピア」は野田さんにしては結末がわかりやすい、「頭を上げろ」というエールが直接的と言う声もありましたが(否定的な意味じゃなくてね)、もしかして野田さんのやりたかったことは、「演劇は無観客でやればいい」と言った人たちに向けて「バカなこと言うな」と、劇場で密で芝居を観ることでの空気感、観客を第三者ではなく当事者として舞台に参加させることだったんじゃないかなあ(そのためにラストは「頭を上げろ=生きろ」というシンプルなメッセージにして。まあ「生きろ」も言いたかったことではあると思うけれど)と思いました。

 

続きます。

 

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