★お気楽日記★

アリとキリギリスでは断然キリギリスです。 うさぎとかめなら、確実にうさぎです。 でも跳ねる趣味はありません。

野田地図(NODA・MAP)「フェイクスピア」戯曲を読んで

昨日、戯曲掲載の新潮が発売前ですが、と「フェイクスピア」観劇の感想を投稿しました。

crearose.hatenablog.com

【以下、ネタバレします】

今日、早速予約していた新潮を開いたところ

 

【時】2051年8月12日

【場所】青森県恐山

但し、これはよくある近未来の話ではない。

恐山は、30年たっても今と何も変わらない。

だから、2021年のつもりで演じて構わない。

 

という設定が!

はい、昨日さんざん「楽の年齢設定がわからない。2021年ならお父さんが3歳の時に亡くなったから今は39歳。しかし同級生のアタイが高校卒業後イタコ見習いになり50年という計算だと68歳くらいで2050年になるのでどちらだろうか」と考えていた解答が、冒頭で解決!

 

舞台では「永遠と36年の間探していた」と36年になっていた台詞も、戯曲では「永遠と66年」に変更されていました。

やはり戯曲単体では楽は68歳くらいで高齢での自殺志願者。ただしコロナ禍の今、若者や現役世代へ「頭を上げろ」というエールを送るため、2051年の生者の世界と、2021年の死者の世界をつなげて楽の年齢設定がどちらにもなるようにしている、と私は解釈しました。

 

それと、「コトバ」についてはもっと戯曲を読みこまないといけないのですが、フェイクというか、フィクションとノンフィクションについては、ノンフィクションの強い言葉をフィクションに取り込むことで、観客を第三者ではなく、芝居を成立させる当事者にしようとしている(=演劇の力)ように感じました。

思えばそのために、舞台上方に「FAKESPEARE」の文字でプロセニアムアーチを作り、白石加代子さんが「白石加代子です」と役名ではなく司会者のように自分の名前を名乗ってからイタコの服を着たり脱いだりして、厳重にこの先は演劇空間ですよと規定していたのだと思います。(ノンフィクションの言葉をフィクションの世界に絡め取るために)

 

そして野田さん自身も「不謹慎」と仰っていて、観劇された方には「この事故を何故今取り上げたのか、まだ早すぎるのではないだろうか」との疑問を持たれた方もいらっしゃいますが、この仕組みで観客を舞台を成立させる当事者に引きずり込むには、もうこれ以上は待てないタイミングだったように思います。

というのも、昨日のブログにも書いたように、あの事故がリアルなのは一定以上の年齢で、10代20代の観客にはフィクションと同じで、タイタニックの事故の再現VTR観るようなもの。(勿論それはそれで感動しますが)
劇場に足を運ぶ観客の大半があれをリアルと気付き、更に事故が自分の当時の生活にある程度インパクトを与えた記憶がある世代がそこそこ観客にいないと、あのリアルな言葉に息を呑む空気感が生まれなかったと思います。
その空気感で実際の記憶がない世代も、ある程度引きずりこまれるんだと。

もし中学高校の芸術鑑賞会で貸切公演とかだったら、野田さんの意図は成立しなかったんじゃないかなあと。

観客の年代が3~50代とすると、36年前の事故はあと5年後には知らない世代の方が多くなりそうですから、やるなら今だったのかも。

 

そんな感想を持ちました。