★お気楽日記★

アリとキリギリスでは断然キリギリスです。 うさぎとかめなら、確実にうさぎです。 でも跳ねる趣味はありません。

ミュージカル「VIOLET(ヴァイオレット)」@東京芸術劇場 観劇レポ②

ミュージカル「VIOLET]観てきましたの続きです。

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千秋楽は自宅から向かったのでうっかり45分も前に着いてしまいました(笑)。

当日券の列がすごくてびっくり。

 

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千秋楽は唯月ふうかさんのヴァイオレットです。

千秋楽のチケットは梅芸有料会員抽選でGETしました。2000円払った甲斐がありました。ありがとう梅芸。

1階の真ん中あたりの列の上手サイド。

昨日より舞台が良く見える♪ と思いましたが、これはこれで登場人物が重なると奥の人が見えない、けれど昨日聴き逃した台詞はよく聞こえました★

 

 

<微妙にネタバレ注意な感想>

 

あらすじ

アメリカ南部に住むヴァイオレットは、13歳の時に父親の不注意で顔に傷を負ってから12年間人目を気にして生きてきたが、テレビで見た伝道師の奇跡で傷を消してもらうために、1964年9月4日、1500kmのバスの旅に出る。この旅でヴァイオレットは様々な人に出会い少しずつ変化していく。長い旅の先に彼女がたどり着いたのは――。

 

事前にこんな感じの内容のあらすじを見て(さらにポスターのイメージから)、私はすっかり「コンプレックスを抱えた内気な少女(といっても25歳だが)がバス旅を通じて成長し、コンプレックスから解放される自分探しのお話」だと思っていたのですが、ヴァイオレットちゃん、そんな一筋縄で行く子ではなかったです・・・。

人目を気にする卑屈なところと、はすっぱな気の強さと押しの強さ、ポーカーで勝ちまくる賢さと、伝道師をまるっきり信じてしまう愚かさと、自分のことを醜いと思っている卑屈さと、その割に男性に積極的にアプローチするしたたかさと、とにかく二面性すごい。(頭の中で王次(by天保十二年のシェイクスピア)が歌ってますわ。♪すーべてーにそーなわーるにーめんせいー♪)(藤田俊太郎さんつながり)

 

そして最初に観たのが優河さんのヴァイオレットだったのですが、優河版は生々しいというか、重く、複雑で内面を理解しづらいヴァイオレットで、昼間の公演だったというのに、帰宅したら疲れて寝込んでしまいました、私。

千秋楽のふうかさんのヴァイオレットは(個人の感想ですが)エンターテイメント性が強くて、より整理されて、ある意味他者として引いて観られるヴァイオレットという印象。

ヴァイオレットの故郷の南部(スプルースパイン)を、藤田さんは東北出身なので東北に(位置関係を)例えてらっしゃったのを見かけた気がしますが、このコロナ禍の閉鎖性とスプルースパインの閉鎖性は何か共通点を感じます。

そして優河さんのヴァイオレットは、その閉鎖社会に生きていた感を生々しく感じました。小柄である意味幼く見えるふうかさんと違って、大人びてやや肉感的な感じなので、本当に南部の田舎で偏った知識を持って(ポーカー強かったり人の心理読めたりするのに)うさんくさい伝道師のことはすっかり信じてしまう愚かさがちょっと怖く見える、同じバスに乗り合わせたら私はあまり関わらないようにするかもなあ、というヴァイオレット。

ヴァイオレットは25歳という設定ですが、ふうかさんのヴァイオレットは17,8歳位のティーンエイジャーにも見えるので、自意識過剰だったりコンプレックス抱えて自分探しというのも、ある意味微笑ましく見ていられるのですが、優河さんは30代半ばくらいに見えるため、洒落にならないコンプレックスに感じる。

 

優河さんの声質がやわらかいアルトで、ミュージシャンとして歌は本当に素晴らしく、一方でお芝居の表現が舞台俳優のようなわかりやすく表情を出すのと違ってナチュラルなので、え?今ヴァイオレットはどういう気持ちなの?とか察するのにすごく観客に入りこむことを求める感じ。

(逆に言うと歌がうますぎるところがあるかも。「見てよ!」と歌う歌はほんとコンサートとかCDで聴きたい感じですが、個人的にはふうかさんの揺れるヴァイオレットの心の叫びの「見てよ!」に泣かされました。あくまで個人の好みですが。好みと言えば歌として聴くなら優河さんの歌が好きなんですけど・・・)

 

このVIOLETというお芝居で、ヴァイオレットは顔に傷を負っている設定ですが、メイクで傷は再現されず、観客が傷を想像することが求められます。

最初に優河さんの回を観た時に、ずっと、この傷のひどさってどんな感じなんだろうと観ながら悩んでいて、最初にバスの運転手がヴァイオレットの顔を見てひどく驚くことからするとひどい傷なのかなと思ってみたり、一方で兵士たちと一夜限りとしてもそういう関係になるというところを見ると、案外そんなにひどくはないのかなと思ってみたり。とにかく優河さんのヴァイオレットは閉塞感と生々しさを感じたので、傷もひどいんじゃないかと心配になりました。

次に観たふうかさんのヴァイオレットは可愛らしく幼さもあるヴァイオレットなので、ふうかさんヴァイオレットの傷は案外本人だけがとても気にするようなものなのかなと思いました。遠目で見る分にはメイクしていると一見わからないくらいのレベル。間近で見れば傷跡がひきつれていたりしてわかるけど、周囲は見慣れてしまえばそんなに気にしないのかな、と。ただし本人はもちろんコンプレックスでずっと気になっているのと、なまじ可愛いからこそ周囲の親切ごかしの大人たちに「あらまあ気の毒に」「もったいない」と言われやすくて傷ついてきたのかなと。

フリックやモンティーからすれば、遊んだり抱いたりするのに支障の無い程度のビジュアルで、伝道師なんてうさんくさいものにすがるより、コンプレックスを克服して自分の足で歩いた方がいいんじゃないかと思うレベルの傷。(ヴァイオレットの歌に「ゆがんだ顔」というような歌詞が出てくるけど、そして優河さんの時はゆがむレベルの傷なのかなとも思ったけど、そのレベルになると軽々しく慰めも言えないし、遊びで抱くのは難しい気がします。(中身に惚れていれば別だけど)たぶん悪い男たちからすると、ヴァイオレットは「傷にコンプレックスあるから落としやすい、手を出しやすい女の子」という感じなのかなあと。スプルースパイン時代も含め)

 

メイクで表現しないと言えば、黒人も黒塗りメイクはせず他の人と同じに表現されていました。

兵士のフリックは「黒人」と明確に言われていますが、他にも女性2人がおそらく黒人という設定。冒頭のキング牧師の有名な演説が流れるシーンで、フリックとこの女性二人だけが起立して演説を聴き、スポットライトがあたることで表現されていました。

(あと女性の髪型はドレッドヘアでした)

黒塗りしないことで他の演者さんと同じような外見でありながら差別されるという、差別のばかばかしさが際立ったかなと思いますが、黒塗りすればフリックの孤立とか孤独感がわかりやすかったかなあとも思います。(実際ロンドンでは黒人の方が演じる=肌は黒いわけだし、白人役の人と同じような外見になるのは日本独特ですね)

ヴァイオレットの傷ってどの程度ひどいんだろうともやもや考えているところに、誰が黒人なのかというのも考えないといけなくて初回はこれも疲れました(笑)

とにかく優河さん回はすごく頭を使ったなあと。(ストーリーも追わないといけないし)

これはふうかさん回→優河さん回と観た方がよかったかもしれません。(個人の感想)

 

あとは、島田歌穂さんの早変わりがすごかったです。

バスの乗客の老婦人として品の良いメイクをしていて、そこからメンフィスの娼婦?のケバいメイク、このメイクチェンジはまだ時間がありましたが、このケバいメイクから老婦人メイクに直すの、時間はあまりなかったと思うのですが、メイクも変わって服ももちろんちゃんと着替えてらして、早変わりすごいなあと思いました。(その後伝道師のスタッフの一員にもなっていて、役替わりすごいなあと)

 

あとはお芝居の感想ではないですが、とにかく拍手が大きかった。こんなに熱狂的な拍手、コロナ自粛明けの舞台でも聞かなかったです。やはり3日だけでも上演するという、まったくペイしないうえに苦労はやたら多かったであろう舞台を上演するという心意気への拍手ですね★

 

ということで、次は各シーン振り返りたいと思いますが(ネタバレ100%)、私の乏しい記憶力でどこまで覚えているかしら・・・。

 

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